忠誠心と信じるという行為 両親を演じる自我は自己足り得るのか?
精神分析は集団心理学である
岸田秀(飛鳥新社 日本人はなぜかくも卑屈になったのか 03.8)
集団心理というものは、社会における
人間の行動範囲を提起するものであり
集団心理は個人の精神分析という
現象のインターフェースからも
集団心理を読み解くことができる
精神分析は、脳の医療分野での行為の
印象が強いため、集団心理という
集団で起きる という解釈が
流布されてしまったが
集団の中にある心理、と分析し
メディアなどの情報拡張(極端に言うとウワサ)
によって、集団心理と化す認識が
必要である
これは、集団が、忠誠心を持つとき
一つのそれぞれが、実現可能な夢
いわば、幻想があるのか?
また、幻想と分かっていながら
その幻想を信じてみたい、追い求めてみたい
という、岸田秀の唯幻論
我々は、知らずうちに共同幻想を生きている
との、根源的な他者との距離は
どうなっているのか?
唯幻論は謂わば、モラトリアムに出会い
自我を見つめた時に、夢想する
現象であり
女性や男性が子供を持つ
その時に、母・父に勝手になれる訳ではない
という敷居
いわば、演じることによる自分を
見つめた時に、架空の自分に出会い
人間の行動の幅の広さを学ぶ
しかし、肝心なのは人をどこかで
信じてみたいという気持ちの持ち方の
根源は、他者を信じないことにある
信じたい
その、動詞的行為の邪魔となるモノは
経験すべきではない
浮気などは、本質的に
人間の深層心理に信じれない気持ちを
産むであろう