早すぎる再戦
日が落ち、辺りが暗くなったころ、公民館に続々と人が集まってきた。
思い思いの服装で、酒や食べ物を持っている人も少なくなかった。
弘が会場に着くと二人の歓迎会は始まっていた。開始時間より早く始まるのはいつものことなので、弘は別段気にしなかった。
「よう、こっちこいよ」
入ってきた弘を見つけ信玄は手を振る。
「どうも」
弘は軽く会釈して席についた。
「おう」
クロも弘の横にちょこんと腰を下ろした。
「先に始めているわよ」
才華は手にしたコップを置き弘の方をみた。
「ああ、いつものことだから」
弘は料理を皿に取り、クロの横に置いてやる。
「でも、なんか悪いな、気を遣わせたみたいで」
信玄は申し訳なさそうに言った。
「気にしなくていいって、爺さん連中が理由付けて騒ぎたいだけだから。二人が来なくても別の理由で集まって酒盛りしているよ」
弘は今までの行動パターンを思い出し苦笑した。
「なんかそんな感じはしていた」
「私たちが来た時にはすでに飲んでいる人もいたものね」
村長が立ち上がるのが弘の視界の端に映った。
マイクの電源が入ったのか、起動時の耳に障る雑音が会場に流れた。
話声がやみ、辺りが静かになった。
「すでに出来上がっている方もいますが、これより歓迎会を始めさせていただきます。で皆様お手元のグラスに飲み物をご用意ください」
皆が飲み物をグラスに注いだ。しかし、ほとんどの人はすでに飲み始めていたため、つぎ足す人のほうが多かった。
村長が会場を見渡す。皆が入れ終えたのを確認すると、
「乾杯!」
そう言って、グラスを掲げた。
一斉にグラスのぶつかる音が会場内にこだました。皆が思い思いに楽しみ始めた。
「唐揚げ大盛りで」
小皿の中身を食べ終えたクロが弘に言った。
村長が挨拶している間も食べていたのは明らかだった。
「食べるの、早すぎだろ」
弘は料理を皿に取りクロの前に置く。勿論、唐揚げだけでなく野菜も添えていた。
「ひぃぃ、野菜ぃ!」
皿に盛られた野菜を見ると、クロは悲鳴を上げた。
「全部食べ終わるまでおかわりなしな」
弘は無慈悲に言い放った。
「横暴!横暴!」
クロが横で騒ぎたてるも、弘は無視を決め込み自分の分を淡々と取り分けた。
「試合の傷大丈夫?」
セリフとは裏腹に才華の表情には心配するそぶりは一切なかった。どちらかと言うと、ただの確認といった感じだった。
適応者は、基本的に身体能力が上がるのに比例して、治癒力も上がっていく。弘ほどの身体能力があれば、あの程度のダメージはたいした問題にならないレベルだ。
「大丈夫だ、問題無い」
身体を一瞥すると弘は言った。
身体全身に痣を作っている人物のセリフとは思えなかった。
「本当にすごいわ。俺だったら骨が折れて完治まで数週間はかかる」
弘の身体を見て信玄が言った。剥きだしの腕には生々しい痣ができていた。
「治るのに結構時間かかるんだな」
「貴方なら、引っ付くだけなら一週間もかからないと思うわよ。奇麗に折れていればだけど」
グラスを片手に、才華が言った。実際に骨折したなら鈍った動きを取り戻す期間もいるため完全復帰までにはもう少し時間が必要だが。
「一週間はだるいな、仕事に影響が出る」
弘は顔をしかめる。しかし、日常生活において弘が骨折する事態はそうそうない。もし車に跳ね飛ばされたとしても打撲程度で済む可能性が高かった。
「うん?」
足元に気配を感じ、弘は机の下を覗き込んだ。そこにはほうれん草だけが残された皿があった。クロは明らかに食べ残しをこっそりと置きざりにしようとしていた。
二人は無言で数秒間見つめ合った。
「ばれた」
クロは自分の席に戻ろうとした。しかし、それを逃がす弘ではなかった。
弘は机の下からクロを引っ張りだし、自分の足の上に乗っけた。
「何かいいたいことは?」
弘は淡々とした口調で言った。
「唐揚げとって、骨なしのやつね」
クロは全く悪びれずに言った。反省のはの字もなかった。
「才華、クロの口を食べさせやすいように開けてくれないか?」
弘はゆっくりと言った。才華に話すというより、これから起こることをクロにしっかり認識させるような言い方だった。
「ごめんなさいね」
才華は笑いながらクロの顎を掴み、口を開かせた。口では謝っているが一切の容赦がなかった。
才華の力はクロを遥かに凌駕するため抵抗は無意味だった。
暴れようにも、弘が両手両足でクロを逃がさないように固定していた。
「信玄」
弘が信玄に合図を送った。まだ付き合いは浅いが、状況からいともたやすく読み取れるはずだと確信していた。
「ほうれん草を食えぇぇ!」
信玄は口の中にほうれん草を突っ込んだ。むろんクロは暴れるが、超高校級の二人に抑え込まれているため抵抗は無意味だった。
クロが声にならない悲鳴を上げた。
ほうれん草をすべて投入すると、口を閉じさせ上下から抑え込み吐き出せないようにした。
観念したクロがほうれん草を飲み込んだ。
「ひどい目にあった」
解放されたクロが不満を漏らした。
「ざまあ」
「うーーーーっ」
クロが信玄を睨みつけて、威嚇した。しかし、まったく怖くなくむしろほほ笑ましかった。
「ほい、唐揚げ」
弘は唐揚げを手に載せ、クロの前に差し出した。
「美味い」
一口で食べると、クロは言った。とても幸せそうな表情だった。
料理をよそってやると、クロは弘の横に座り込み食べ始めた。
三人と一匹は飲み食いしながら雑談を交わす。弘は飲み食いの席ほど親交を深めるのに相応しい場所はないと考えていた。
どこかの席でだれかが歌っている民謡を背景に、食事は進んで言った。
三人と一匹がある程度腹を満たしたころ、周りは混沌としていた。それぞれが席を立ち、好きな場所に行き、酒を飲んで話しこむ。一区切り付いたらまた移動。それの繰り返しだった。
「俺らも他の人のところ回ってくるわ」
「またね」
才華が手を振り、席を立つ。
「俺らは爺さんのとこでも行くか」
二人を見送ると弘が言った。
「いく!」
途中クロが仲のいい人に食べ物を進められ、全てを食べていた。運動量の多い猟犬だが少し食べすぎかも知れない。弘は明日以降で帳尻を合わすかと幸せそうなクロをしり目に考える。
「顔真っ赤だぞ」
腰を下ろすと、弘は一之介に言った。すでに一之介の顔は酒が回り真っ赤になっていた。
「まだ、たいして酔っとらんわ」
お猪口を置くと、一之介が言った。本人の口調はしっかりとしたものだった。体質のためか酒が入ると直ぐに顔に出る。しかし、赤くなりやすいだけで一之介は酒に強い部類だった。
「そっか」
まだ大丈夫だと分かると、弘は一之介のお猪口に日本酒をついだ。
一之介はお猪口に口をつけ、ゆっくりと日本酒を味わった。
「油断したじゃろ」
ジッと弘を見て、一之介は言った。
弘は何のことかすぐに分かった。二回線目の武器を弾いた後だった。いや、今思うとわざと弾かされたのかもしれない。
「ああ」
弘は素直に頷いた。戦いに“もしも”はないが、それでも考えてしまう。もしもあの時油断していなければ防げたのではないかと。それでも結果は変わらず負けていたかもしれないが、少なくとも勝機はあったはずだ。
「世の中広いぞ、お前に勝てる使い手などゴロゴロいる」
「痛感しているよ」
弘は苦笑いを浮かべた。
「今からでも遅くはない、進学してみんか?」
「でも…………」
弘は言葉を濁した。
「もう、わしも十分動ける。気にせず進学してもええ」
「俺は猟師が気に入っているから。また机に向かって勉強とか勘弁したい」
弘は何かを吹っ切るように明るく言った。
「そうか……」
一之介はポツリと呟くと、お猪口を口にした。
「ああ」
視線を動かすと待ての態勢でじっとしているクロがいた。
弘とクロ視線が交わった。
「何とる?」
弘はことさら明るく言った。まるで今までの空気を払拭するかのように。
「ウインナーと蒸し海老」
「ほらよ」
弘は皿に取り分けるとクロの前においた。野菜の煮物も追加で入れておく。
真っ先に煮物を飲み込み、クロは顔を歪めていた。
「村長のとこの娘じゃが、入学を決心したそうじゃ」
一之介が言った。夏奈の入学はほぼ確定だったが、決定事項ではなかった。特待生は基本的に入学のひと月前までに申し込めば間に合った。直前まで入学に必要な書類をださない学生は少数ながらいた。
「情報はやいな」
「なーに、さっきまで村長と話しておったからな」
「弘はどうする?ここ無くなるんやろ」
心配そうに、クロが言った。
この村は来年の春までには住民の引っ越しを完全に終わらせ、廃村になる予定だった。
「違う山に行くか……。いっそ猟師以外の職に就くのも悪くない。まっ、どっちにしろお前とは一緒だよ」
クロの頭を撫で、弘は言った。
宴会が始まってから三時間以上たつが、賑わいに陰りはなかった。それどころか、そうそうに酔い潰れたものが復活して騒ぎ出す始末だった。
座布団を枕に寝ている者もいれば、カラオケを歌っている者もいた。時刻は既に十時近かったが、宴会はまだまだ続きそうだった。
弘は一旦抜け出し広場に来ていた。いつも一緒にいるクロは座布団の上で寝息を立てているため今は居なかった。
夜風は冷たく、吐く息が白く染まるほどだったが、火照った体には心地よかった。
雪を踏む足音が弘の耳に届いた。
「こんな場所で、なにやっているの」
現れたのは片手に棒を携えた才華だった。
「何となく来ちまった。何時も持っているのだな」
弘の視線が才華の手元に動いた。
「持ち歩くのが癖になっているの。最初は面倒だったのだけど慣れたわ」
「障壁張ってもらってもいいか?」
棒をじっと見つめ、弘は言った。
「ええ」
解けた布が地面に落ち、才華の身体を霊力が包み込む。
「なるほど……、これは勝てないな」
生物としての格が違うことを、弘は本能で理解した。しかし、弘は重苦しく息を吐き出すと、本能を押しやり決意を固めた。
「才華!俺と模擬戦してくれ、今すぐ!」
弘は真剣な表情で才華に詰め寄った。
「何よ急に」
才華はいきなりのことに、戸惑いを隠しきれなかった。
「………………」
「………………」
お互い見つめ合ったまま沈黙がつづいた。先に根を上げたのは、才華だった。
「酔っている?」
「素面だ、酒は一滴も飲んでない」
「何時でもいいって言ったけど、いいの?結果は変わらないわよ」
「だろうな」
(これは才華の本気を感じるために必要なこと、昼間の続きみたいなものだからノーカンだな)次は負けないと言ったことに対しても、弘は理論武装を終了させていた。
「本気?」
「ああ」
弘は頷き、言った。
「分かった、相手してあげる」
弘の決心の硬さを悟った才華は棒を構えた。
「ありがたい」
会釈をすると、弘は距離を開け才華と対峙した。
「いつでもどうぞ」
余裕綽々の顔で、才華は言った
才華の言葉が合図となり試合が始まった。
「うがぁぁぁぁっ!」
一瞬で距離を詰め、弘は上から叩きつぶすようにして才華に殴りかかった。
ドンッッ!
生身の肉体が出すとは思えないような音がでた。
「すごい力ね、障壁がなかったら手首が逝っているわ」
弘の拳を片手で受け止め、才華が言った。足が地面にめり込むほどの衝撃にも関わらず、才華の顔色は涼しげだった。
「これほどかっ!」
弘の手には人体ではなく、とんでもなく硬いゴムを殴ったような感触があった。
弘は才華の頭を両腕で抑え込むと、顎めがけて膝を打ち付けた。ちょうど、腕と膝に挟まれる形となる。普通なら顎が砕け死んでもおかしくないような一撃だった。しかし弘はすぐさま後方に飛び退く。
「障壁があるからって普通はためらわない?」
何事もなかったように才華は言った。事実才華には一切のダメージが無かった。
「手加減できるような相手では無いからな」
「確かに。じゃあ、そろそろこっちから行くわね」
才華は言うやいなや弘の目の前から消えた。弘の動体視力をもってしても霞んだようにしか見えなかった。
棒が無造作に水平方向から振り上げられるも、弘の目にはほとんど映っていなかった。
弘はすぐさま両腕でガードした。間に合ったのは奇跡と言うほかなかった。野生の勘ともいうべき直観が弘を救ったのだ。
恐ろしいほどの衝撃が弘を襲った。ガードした両腕が軋みを上げた。まるでティーバッティングのボールのように打ち上げられた弘は、有りえないような滞空時間を経て地面に落下した。
かろうじて受け身はとれたものの、両腕の感覚は痺れて無かった。
「ぐううっ!」
弘は歯を食いしばり起き上がろうとするも、目の前に棒の先端を突きつけられた。
「王手」
才華は弘に一言告げた。
「降参だ」
弘は負けを認めると、再び地面に倒れこんだ。この短い戦闘でどれだけ神経をすり減らしたのか、弘の身体は全身汗でじっとり濡れていた。
「よく反応できたわね」
弘のすぐそばにしゃがみこむと、感心したように才華は言った。上から弘の顔を覗き込むような形だった。
「たま……たま……、もう一回……やれって……言われても……無理」
荒い呼吸を整えながら、弘は言った。
「いい反応だったわよ、ちょっと失礼」
弘の両腕に才華が触れた。ちょうど棒が当たったところだ。
「うぐ」
両腕の痛みに弘は顔を歪める。
「骨は大丈夫そうよ。ほんとにあきれるほど頑丈ね」
「自慢の身体だからな」
「でしょうね」
これほど恵まれた体格は望んでも手に入れられるようなものではなかった。格闘家なら誰もがうらやむのは想像に難くない。
「そろそろ戻るけど弘はどうする。何なら抱えてあげましょうか?」
意地のわるい笑みを浮かべ、才華は言った。
「もうちょっと休んどく。月でも見ながらな」
「そう、じゃあ先に帰るね」
再び宴会場に戻るのだろう。才華が離れていく音が地面を通して伝わってきた。
雪の上に寝転がった弘の目の前には、美しい星空が広がっていた。