雪山1
山陽村はまだ早朝と言っていい時間帯にもかかわらず、蜂の巣をつついたみたいに騒がしかった。一人で行動している村人は一人もおらず、必ず複数人で行動していた。皆が猟銃や刀などで武装し、頻りに辺りを警戒していた。
弘は村に帰りつくと、嫌な予感が的中したことを悟った。
弘たちを確認した村人達が駆け寄ってきた。
「ぶじだったか!」
村人たちは心底安どした表情だった。
「何があった」
弘は努めて平静に言った。しかし、物々しい装備からある程度予想はできた。
「田村のじいさんが死んだ。今朝畑の近くで死体が見つかった」
「熊か?」
「まだ分からねえ。死体がその場に残っていたからな。畜生が!!」
村人は語気を荒げ言った。猟銃を握る手にも力が込められているのが見て取れた。
「そろそろ公民館に集まる時間だから一緒に行こうか。あんたの爺さんも来るだろう」
「わかった」
「道中の護衛は大船に乗ったつもりで任せてくれ」
信玄は明るく、幾分芝居がかったように言った。
「まかせたぜ兄ちゃん」
村人は信玄の背中を、バシッ、と叩き言った。
「ほんとっ、調子いいこと言うわね。前で戦うのは私と弘でしょうが」
才華は呆れたように言った。手には触媒の金属棒が握りしめられ、いつでも戦闘できる状態だった。
「サポートはまかせとけ」
腰にさしているナイフを叩き信玄は言った。小型の投げナイフのほかに大形のサバイバルナイフも身につけていた。それらに特殊な効果は無いが、頑丈さと切れ味はなかなかのものだった。もっともナイフを装備しても弘の方が数段強いのだが。
途中武装した村人と合流しながら公民館に向かった。
皆が怒りや悲しみの感情を隠しきれずにいた。
「皆の衆、すでにご存じとは思うが田村さんが亡くなられた。傷痕などから熊の仕業だと判明した」
座った一同を見渡すと、村長は言った。俯く、怒りを露わにするなど反応は様々だった。しかし、誰一人として村長の話を遮る者はいなかった。
「ご存じのとおり、一度人の味を覚えた熊はまた人間を襲う。安全が確認されるまで外出は控えていただきたい。それと、当番制で村の見回りを実施する。ぜひ協力していただきたい」
村長が皆を見回した。皆は顔を見合わせ、互いに頷き合った。誰一人として反対する者はいなった。
「山中君、クロ君、討伐を頼めるかな」
村長は弘を見て言った。頼む形をとってはいるが実際は強制だった。もっとも頼まれずとも弘は行くつもりではあったが。
「任せておいてくれ。必ず仕留めてくる」
自信満々に弘は頷いた。
クロも無言でうなずいた。
「それと、お二人にも依頼という形でお願いしたいのだが、引き受けてくれないか?」
村長は信玄の隣にいる二人に言った。
「了解しました」
「俺の武勇伝しっかりと学校に伝えてくれよな」
二人とも最初から手伝うつもりでいた。しかし、依頼を出し二人が受けたという形が望ましいのだ。むろん依頼がなくとも違法性はないが、学校での評価に加点はされない。
学生なら少しでも点数がほしいと思うのは当たり前のことだった。
「感謝状は期待してくれて構わんよ」
村長は笑みを浮かべ言った。
「では、一体終了。わしらは引き続きここで見回りの詳しい取り決めを行う。くれぐれも頼んだぞ」
村長は弘、クロ、才華、信玄に向って深く一礼した。
弘たちは公民館を出ると余分な荷物を置きに帰り、遺体が安置されている場所に向かった。クロの鼻ならば匂いを嗅ぎわけ目標を追跡することも可能だからだ。
すぐに連絡が回ったのか街中には弘たち以外の人影はなかった。
弘は立ち止るとしゃがみ込みクロと顔を突き合わせた。
「大丈夫か?ずっと無言だけど」
弘はクロの目をじっと見つめた。
「…………、俺熊が憎い。喉元を噛みちぎって殺してやりたい。でも俺強くない」
クロはいつもよりだいぶ低い声で唸るように言った。その言葉の中には、悲しみや怒りなど様々感情が含まれていた。田村のじいさんとの付き合いは弘よりクロの方がはるかに親密だった。よく餌をもらったり、遊んでもらったりしていた。またクロは村の人達を一つの群れと考えている節があった。群れの仲間がやられたのが許せないのだろう。
「熊を見つけるのはクロの仕事。熊を倒すのは俺達の仕事。どっちも大切な役割だ」
弘は言い聞かせるように言った。
クロは頷いた。納得したのか先ほどより明るい表情だった。
「よっしゃ!すぐに見つけたろ。俺の鼻は最強や」
クロは自分を鼓舞するように叫んだ。
「知っている、いつも助かっているからな。またせたな、行こうか」
弘はクロの頭を一度撫でると、立ち上がり二人に言った。
「気にしないでいいわよ」
「でもクロはすごいよ。俺だったら親しい知り合いが殺されたら引きこもるかも」
信玄は明るく弱気な言葉を吐いた。
「そこは男らしく、俺がぶっ殺すぐらい言いなさいよ」
「俺はそこまで強くなれそうにないな」
「チキンやろうやな。これは雄としての魅力零ですな」
クロがすかさず茶化しに入った。
「元気になったとたんにそれかよ。くそ犬、やっぱり、どっちが上かはっきりさせないといけないようだな」
信玄は額に青筋を浮かべ言った。
「俺の素早さについてこられるかな?」
クロはさらに信玄を煽った。左右に軽快なフットワークを刻み、身軽さをアピールした。
信玄が上から掴みかかろうとするも、手の間から、スルリ、とクロは逃れた。しかも触れるか触れないかの絶妙なタイミングで。
クロは口の両端を吊り上げ小憎たらしい表情を浮かべていた。
信玄は再び手を伸ばすもクロはいとも簡単に逃れていった。しかし、クロの逃げ出す位置を先読みしていた弘につかみ上げられ、そのまま抱きかかえられた。
「つかまった」
クロが喚く。
「またこんどな」
抱きかかえたまま、弘はクロに言い聞かせた。
じゃれあいながらも、弘たちは遺体が安置されたすぐ近くまで来ていた。
「おう」
「次は吊るしあげるからな」
信玄はクロに向かって軽い調子で言った。
遺体は村の中心部から少し外れた場所に安置されていた。熊は執着心が強く獲物である遺体を取り返そうと再び現れる可能性が高かった。そのためひとけの無い場所が選ばれた。さらにはその周囲には猟銃を持った村人が待機し、熊が現れてもすぐに仕留められる万全の態勢だった。
「お疲れさま」
弘達は村人たちに軽い会釈をした。
「頼んだぞ」
「任せておいてください」
弘は自信満々に言った。
「速攻で倒して熊鍋にでもしてやるわ!」
クロは語気を荒げ言った。
「人を襲った害獣は適応者として見過ごせませんから」
才華は適応者として模範的な回答を言った。
「任せとっけって。おっさんたちは危ないと思ったらすぐ逃げてくれよ」
信玄が注意を促す。普通の熊ならば猟銃で仕留められるが、適応個体ならばその限りではなかった。
「ワシら逃げるのは得意じゃ」
村人たちは笑いながら言った。まだ村が栄えていた頃には、ちょくちょく村の方まで魔物や害獣が現れていた。そのため逃げ隠れするのは皆慣れていた。
弘たちは遺体収納袋を開けると手を合わせ祈った。頭部に損傷はなく綺麗なものだった。しかし腹部の損傷はひどく、何度か死体を見たことのある者ですら目を覆うような状態だった。氷点下を下回る気温が腐敗を阻止していなければさらにひどい状態だっただろう。
クロは真剣な表情で死体の匂いをかぎ分ける。その間わずか十数秒。
「いける!」
嗅ぎ終え顔をあげると、クロは自信満々に言った。
犬の嗅覚は一般的に人の数千倍から数万倍と言われている。臭いによっては人の一億倍まで感知できるほどの能力を有していた。その嗅覚は雨さえ降らなければ一週間以上たった、古い匂いですら嗅ぎ分けるほどだった。
弘たちはクロの鼻を頼りに殺害現場の畑から森に入って行った。まだ殺害されてから時間があまりたっていないため、しっかりと匂いが残っていた。
三人の装備は前回に比べ驚くほど軽装だった。めぼしい物は携帯食料に水、それに応急処置のための医療セットだけだった。後は才華と信玄がそれぞれ自分の武器を携えているぐらいだ。
「俺の予備のナイフ使う?」
信玄は丸腰の弘を見ると、予備のサバイバルナイフを取り出した。
信玄は用心深く、同じサバイバルナイフを三本携えていた。一本貸し出したとしても問題はなかった。
「気持ちだけ受け取っとくよ」
弘はやんわりと断った。
信玄もある程度は予測していたのか、素直にサバイバルナイフをしまい込んだ。
「心配しなくても大丈夫よ。ナイフもったあなたより弘の方が強いから」
才華がきっぱりと断言した。
「分かっているよ。でも有った方が便利かなって」
「やっぱり素手は珍しいのか?」
「かなりレアだ。一年には一人もいなかった。ほかの学年にもいないんじゃないかな?たぶん」
「二、三年にもいないわよ」
才華は言った。基本的に素手はありえなかった。全国から選ばれたエリート達でも、武器を持たねばライオンや熊などの一般的な猛獣にさえ負ける可能性は大いにあった。本来人間という種族は肉体的には脆弱で、武器を身に纏うことでやっと他の種族と同じ土俵に上がれるのだ。
特待生レベルになれば素手でも十分に戦える可能性はある。しかし、武器の持つ優位性をわざわざ捨てる者はいなかった。
「そっか」
弘は少し寂しそうに言った。
「障壁張れるレベルの人なら、徒手空拳の人も一定数いるわよ」
「そういう人のための防具型触媒もあるしな」
「俺やったら防具の方がいいけどな。武器持てないし首輪型とかかな」
クロは鼻をひくつかせながら言った。熊の臭いは途切れることなくあり、追跡は順調だった。
「首輪は量的にきつくね?」
「量?」
クロは首をかしげた。
「障壁を発動させるにはある程度の量が必要なんだよ」
「マジで!?」
「ああ、マジだ。才華の棒は全部が触媒の金属で出来ているけど、あれでも少ない方かな」
信玄は頷くと、才華の方に視線を向けた。
才華が携える棒は、長さ百八十五センチ直径三・五センチの総金属製で、軽く十キロを超えるだろう。
「これが私に必要な触媒の量なの。もちろん人によって必要量は変わるけどね」
才華は棒を持ち上げ言った。同世代でトップクラスの才能を誇る才華でさえこの量が必要だった。使い慣れれば必要量が減ってはいくが、それにも限りがあった。
「才華はかなり少ない方かな、普通はもっと多い。そこで防具だと問題が出てくる」
「問題?」
弘は首をかしげた。まじめに考えても全く思い浮かばなかった。
「一部の公共施設とか建物は触媒持ち込み禁止なんだ」
「そっか。脱ぐのが大変なのか!」
弘は眼を見開き言った。村には禁止の場所がなかったため、思いもしなかった。しかし言われてみればすぐに理解できた。
「正解」
信玄は親指を立て言った。基本的に防具は紐やベルトを使い、複数の箇所でしっかりと身体に固定する。当たり前だ、戦闘中にずれたりする防具はいくら防御力が高くても誰も着たがらないだろう。
「そうよ。特に女子だと場所とかも問題になるし」
才華はため息をついた。防具の下は発汗性の良いインナーだけの場合もしばしばある。しかもそのインナーはかなり透けやすい。男子ならばあまり気にしない人も多いが、女子の場合そうもいかなった。着替える場所に脱ぐ時間、混雑するのは目に見えていた。
「大変そうだな」
触媒を所持していない弘には無縁の事柄だったが、簡単に想像ができた。
「ええ、触媒の適性が低い人とかは全身フル装備とか当たり前よ。私なら胴あて位で済むけどね」
「確かにめんどうだな」
「しかも、専用の場所が無かったらトイレで着がえるんだぜ。狭い個室でガチャガチャ全身の装備ぬぐのか?俺だったら絶対やだね」
信玄が首をふって言った。
「そういうわけで武器の方が人気なの」
障壁を張れるレベルの適応者は大剣や巨大なハンマーなど、大質量の武器をよく使用している。それは好みの問題だけではなく、取回しの良さや触媒の量を確保すると言う理由もあった。
「俺がつかえる触媒売ってなくない?」
クロは匂いを辿りながら器用に才華を見上げた。仮に才華に匹敵する才能があったとしても、首輪のサイズではおさまらず、確実に身体を覆うことになるだろう。
「特注で頼めばいけるわよ。すごく高くつくけど」
首輪で触媒の量が不足するなら、体積の多い鎧にすれば解決はする。しかし、小型犬用の鎧など誰も聞いたことがなかった。そして、完全にオーダーメイドとなれば、下手な車より高くなるのは目に見えていた。
「うげ」
クロはうめき声をあげた。正確な金額は分からないが、べらぼうに高くなることだけは理解できた。
「特待生なら学校からある程度補助が出るけどな」
「弘!」
「なんだよ」
弘はクロの言いたいことが手に取るように分かったがあえて尋ねた。
「特待生になって俺に触媒買ってくれ」
クロは期待の眼差しを弘に送った。
「あほか」
弘は一刀のもとに切って捨てた。
「それに俺が特待生になれるとはかぎらん」
「俺らの学校ならなれる可能性は高いよ。一度受けてみる?」
信玄はさりげなく勧誘した。
「いや……」
「暇な時にでも一度考えてみて。まだ期間はあるし」
才華は弘の言葉にかぶせるように言った。
「分かった。暇な時にでも考えてみる」
弘はついつい頷いていしまった。
「そう言えば朝の熊は関係なったのかな」
ふと思い出したように信玄は言った。今は朝帰ってきたルートとはかけ離れた所を移動していた。
「そういえばそうね」
「そっちの方がありがたい」
弘は今朝の熊を思い出しながら言った。もし、あの熊が村人を殺害した熊ならみすみす取り逃がしたことになる。しかも、すこし無理をすれば倒せていた相手だったため、悔しさは倍増だ。




