羅生門
「やっぱり、ファンタジーが好き!」から書いている、浅い私のエッセイ。
なんと、この<続>も94話になりまして。
たくさんの方にお読みいただき、しかも感想までいただき、ありがたいことでございます。
一応、この<続>も100話で終わる予定です。
で。今回は、何にしようかと。
ちょうどツイッターで古い映画の記事を見かけたので、「羅生門」の話でもしようかと。
黒澤映画の「羅生門」。こちらは、ネタバレになるので、詳しくは話しませんが、一つの事件にかかわった人物たちが、それぞれの『視点』から、自分たちの都合のいいように事件を話すというお話です。
つまり、同じ事件を何度も何度も、角度を変えて、少しずつ内容が違う話が提供されます。
見ていると「真実って何?」って感じになります。
たくさんの視点から同じ事件を描くという手法は、小説でも見受けられますが、「羅生門」のように、人によって、事件の内容が完全に違ってしまう! というタイプは、あまり見ません。
あったとしても、よほどしっかりとラストを作らないと『矛盾しかない』と思われそうですが。
ただ、一つの事件に対して、アプローチが違えば、表現することは全く変わってきて当然であり、視点者によって感じることは違うでしょう。
かの本能寺の変にせよ、『信長』の立場、『光秀』の立場、はたまた『家臣』の立場によって、見たモノ、感じるものは別物なわけです。
現実の事件についても、私達はマスコミから与えられる情報で知ることが多いので、多かれ少なかれ、マスコミの持つ印象操作に引っかかることがあります。
いかに冷静に、多角的に情報を知るか、というのが大事だな、なんて思うんです。
真実は一つでも、価値観は多様。
もっとも、羅生門については、真実が何か、最後までわからんのですが。
ただ、最後、人間愛だけは信じられる形で終わります。
小説で言うなら、一人称は嘘をつくってやつです。
羅生門の構成は難しいのですが、技法としては、面白いなあと思います。




