独創性
創作物について、必ず問われるのが『独創性』。
よく、新人賞とかの募集要項でも、『独創性』あふれた作品を! なんて、謳い文句があります。
もちろん、他人の創作を盗作したりしてはいけません。
しかし。本当に『独創性』あふれた世界を、読者は求めているのかというと、謎。
たとえば、人間の目が4つあるのが普通の世界に、3つ目で生まれてしまった少女の話とか、考えます。
最終的に少女は、異世界の住人だったとかいう、オチだったとしましょう。
今、超テキトーに考えた話だけど、それなりに『独創性』はあるんじゃないかな。4つの目で見える景色が必然を持って描かれるならば。
ただ、これ、まず、人間の目が4つあるのが普通、というのを読者に説明しなくちゃいけない。
それに、異世界の住人というオチなら、異世界という概念があるということも提示しなくちゃいけない。
この二つくらいの設定なら、別段たいしたことないんですけれど、現実世界と違いすぎる設定の物語を作ると、『独創性』はあっても、読者への負担は非常に大きいわけです。
思うに、求められているのは、あふれるほどの独創性ではなく、ほんの少しの『独創性』ではないかな、なんて思うのです。
百年に一度の天才なら話は別です。ただ、ベストセラーでも、そんなのはマレじゃないかと思います。
つまり。たいていの場合は、「誰も全く見たことのない物語」ではなく、「見たことがあるようで、ちょっと違う物語」を読者は求めている。
『独創性』や『個性』を求めているというコンテストでも、いわゆるテンプレと呼ばれる作品が受賞したりします。
それを見て、『独創性とかいうくせに、やっぱり、テンプレしかダメじゃん!』とか判断するのは早計。
「見たことがある」というのは、読者の間口の広さ。
そこを安全に確保しておきながら、その奥に『独創性』が入っていれば、『見たことがあるようで、今までと全く違う』という物語になるので、本当に『独創性』が皆無かどうかは、読んでみないことにはわからないわけです。読んでみて、それでもありきたりだと感じるなら、それはその賞の特性ですから、新しいものを求めていないというしかありませんが。
安心の味だけど、新しい何かである、もしくは、新しい味だけど、安心の材料だったりとか。
全部が新しいというのではなく、どこかが新しいというのが大事。
まあ、どこまで新しく感じるかも、個人差があるので何とも言えませんけども。
独創性と真逆の話になりますけれども、『大衆』を無視したら、たいていの小説は読まれません。
流行作かどうかは、好み上、ある程度違うのは仕方がないことなんですけども。基本的な喜怒哀楽の価値観は、やはり多数派を向いている方がのぞましい。
大衆、ひとが「共感」を持ちにくい作品は、やっぱり弱いのです。そこに独創性はいりません。
たとえば、ふつうの人間は、眠くなったら、寝るのがふつうですけど、納得できる理由が提示されていないまま、起き続けるとしたら、不思議すぎて理解に苦しむわけですよ。
理解に苦しむことは、やはり一般受けはしません。
そういった作品を書くことが悪いことではありません。しかし読者は増えないでしょう。
ただ。本当に、このさじ加減って難しいですね。
はっきり、加減がわかるなら苦労しないよ、と書いている自分でも思います。




