字面のリズム
今回は、字面のリズムです。
前にも書いたことがあるのですが、大衆文学の大御所さんの文章というのは、案外、読みやすくて、簡単な日本語でつづられているものであります。
素人小説ほど、漢字が多く、難しい言葉を使っていることが多い。
理由は、『簡単な言葉』で説明するということは、実は非常に難しく、『漢字を使わない』という決断をするには、実はセンスがいることなのであります。
文章のリズムというのは、たいてい、『句読点』『改行』から生まれますよね。
これについては、私はすごく苦手なので、あえて語りません。というか、語れません(泣)
ところが、それ以前に、小説というのは、文字を読むものです。
日本語の文字というのは『かたち』として、目に入り、それを追うことによって、言葉となり、脳で『意味』を認識します。つまり、脳で『言葉』を認識するまでの速度やかたちの印象が選んだ文字によって、少しずつ変わってくるのです。
文章において、意味を伝えることが一番大事なことではありますが、文字を認識する時点での『字のかたち』というのは、意味と同様、実は文章の印象として頭に残るものなのです。
簡単な言葉を使うとやさしくわかりやすい表現にみえる、というのは、容易に想像がつきますね。
例えば
①彼は瞠目した。
②彼は目を見開いた。
の場合、②のほうが、わかりやすいです。どちらが良い文かどうかの判定は別ですが。
さて、字面の話のほうに戻ります。
日本人は学校教育の過程では、『習った漢字』というのは全部使うのが良いというような指導を受け、作文の授業を受けてきたかたが多いのではないでしょうか。
ゆえに、『漢字が多い文章』=『頭が良く見えるカッコイイ文章』という先入観があります。
昨今は、手書きではない執筆のかたが多いため、自動変換というワナがありまして、油断すると漢字がどんどん増えてしまう傾向がございます。
自動変換は便利ですが、日常で読めないような難解漢字も、平気で使ってしまいます。
漢字が増えると、賢そうに見える……気はします。でも、硬くて読みづらくなります。
個人的な印象で申し上げますので、異論はあるかとは思いますが、『漢字は硬い』『カタカナは強くて跳ねる。しかも軽い』『ひらがなは柔らかい』です。
文面を見た時の第一印象というのは、文字の『かたち』で、文章の内容ではありません。
もちろん、『空白』の多さなんかも、『見やすさ』の印象にはなりますが。
たとえば、漢字でも、『男』と『漢』では、おなじ男子を現す言葉でも雰囲気が変わります。
字面で意外と、文章の与えるリズムが違ってくるのです。
拙作の『星蒼玉』で実験してみます。冒頭部分になります。
<原文>
――腹、へった……。
昨日となりに住むおまつが差し入れてくれた沢庵のわずかな残りを、白湯をすすりながら、シャクシャクかみしめる。
<漢字増量>
――腹、減った……。
昨日隣に住むおまつが差し入れてくれた沢庵の僅かな残りを、白湯を啜りながら、シャクシャク噛み締める。
<ひらがな増量>
――はら、へった……。
昨日となりに住むおまつがさしいれてくれた沢庵のわずかなのこりを、白湯をすすりながら、しゃくしゃくかみしめる。
どうでしょうか。違い、感じていただけますでしょうか?
原文がベストではないあたり、例題が悪い、とかいうツッコミは、このさい聞こえないフリをします。
<原文>
「あら、だんな、おでかけですか」
井戸端で洗濯をしていたおまつが声をかけてきた。すでに、長屋の女たちが井戸端に集まっていた。
「ほんと。今日も、いいおとこだねえ」
「あんた、色目使ってると、亭主がヤキモチやくわよ」
「なにいってるの、アレがそんなタマなわけないでしょ。少しは妬いてほしいくらいよ」
<漢字増量>
「あら、旦那、お出かけですか」
井戸端で洗濯をしていたおまつが声をかけてきた。すでに、長屋の女達が井戸端に集まっていた。
「ほんと。今日も、良い男だねえ」
「あんた、色目使ってると、亭主が焼餅焼くわよ」
「何言っているの、アレがそんな玉な訳無いでしょ。少しは妬いて欲しいくらいよ」
<漢字そのまま、カタカナ封印>
「あら、だんな、おでかけですか」
井戸端で洗濯をしていたおまつが声をかけてきた。すでに、長屋の女たちが井戸端に集まっていた。
「ほんと。今日も、いいおとこだねえ」
「あんた、色目使ってると、亭主がやきもちやくわよ」
「なにいってるの、あれがそんなたまなわけないでしょ。少しは妬いてほしいくらいよ」
<漢字そのまま、カタカナ増量>
「あら、ダンナ、おでかけですか」
井戸端で洗濯をしていたおまつが声をかけてきた。すでに、長屋の女たちが井戸端に集まっていた。
「ホント。今日も、いいオトコだねえ」
「アンタ、色目使ってると、亭主がヤキモチやくわよ」
「なにいってるの、アレがそんなタマなわけナイでしょ。少しは妬いてほしいくらいヨ」
はい。例題が悪いことは承知しております。こうしてみると原文に改良すべき点があります(反省)
それでも、印象が違うことが、なんとなくわかるのではないでしょうか。
漢字を減らして、ひらがなを増量すると、文字が多少読みにくくなりますので、原文ではカタカナを入れているという側面があります。
同じ「やきもち」ということばでも『焼餅』『やきもち』『ヤキモチ』と書くのでは、なんとなく印象が違います。
これのどれを選ぶのかは、結局は書き手の好みです。ただ、同じ文でも字面によって、文章から伝わるリズムが変わるのです。
作品の種類、世界によって使い分けるのも大事ですし、何より『読みやすく』感じてもらえる字を選択するのが大切かな、と思います。
自作引用は、宣伝の意図ではなく、著作権の問題と、新たに考えるのが面倒だっただけです……。
ご不快に思われた方がいらっしゃいましたら、申し訳ございません。