古典名作
先日、ある人気漫画を先輩にすすめられて読んだけど、面白いと感じられなかった、なるブログが掲載され、Twitter界隈が騒然となるということがございました。
時代が違うからとか、薦められ方の問題とか、指摘されている方も多かったです。
件の記事については、誰もが(今は世界中の人が)知っている作品なのに『面白かった!』という感想ではなかったため、みながびっくりしたというだけのもので、残念ながら、それほど作品の詳しい分析がなされていたわけではありませんでしたが。
まあ、でもあれですよ。
どれほどの名作でも、全ての人が『面白い』となる作品はないのです。
例えば。
普遍の名作『赤毛のアン』。私、苦手です。
いえ、この作品が人気作であって、女性の共感を得やすい作品であることは知っています。
孤児のアンの境遇、そして、想像力や憧れ、美味しいお菓子、たくましさ。美しい自然と優しい人たちとの出会い。等身大の少女が生き生きと描かれた作品だとは思います。名作であることは否定しません。
私の場合、小説を読むのはほとんど男性作家。エロくて血が飛び散るような作品ばっかり読んでいる人ですから、自分の趣味が世間からズレているのだとは思います。
読者としては、『好きじゃない』それでいいと思います。
同時代のヒット作だって、『ふーん』と思う作品は数多いわけです。
発表して、十年、二十年と過ぎて、受け手の生前の作品となれば、当然発表された『時代』を理解することも必要となりますから、理解しがたいものになっていくのは当然のことです。
それでも。
時代がたっても『色褪せない』部分を持っている作品は数多いです。
また、『褪せてしまった』部分にも、理由があるのです。
単に『人から薦められた』というのではなく、研究とか興味で過去の名作に触れるとするならば。
『色褪せない』部分を捜すことこそ、大事なのではないかと思うわけです。
例えば。
トールキン御大の『指輪物語』。
水野良先生の『ロードス島戦記』
時代が変わり、作者も(国籍も!)変わり、話はゲーム性を加え、エンタメ度が増します。
ただし、指輪があるから、ロードスがある。それは確か。
どんどんゲーム性を増し、さらに転生転移をプラスして、今のなろう系ファンタジーの全盛があります。
ただ、まあ。『ヒット』作というのも、種類がありまして。
大ヒットソングを出した歌手の次のシングルって、そこそこ売れますが、売り上げ枚数に反して出来がイマイチということもございます。もし、二曲目の枚数に注目していたら、『?』となるかもしれませんね。映画でも大ヒットのあと、その監督が手掛けた二作目なんかがそれにあたります。
もっとも、二作目も、素晴らしい作品ということはもちろんあります。
それこそ、雨後の筍状態で、類似作が乱作されるような作品のオオモトというのは、たとえ時代で多少色褪せた部分があったとしても、名作なのです。
黒澤監督の『七人の侍』『用心棒』、トールキン御大の『指輪物語』もそうです。
単純に『受け取り手』として楽しむなら、『古いなあ』だけでいいのですが、『作り手』であることを意識するならば、大本を知ることは決して無駄にはなりません。
後進の作品より、『愛される理由』がむき出しになっていることが多いです。
そして、後進の作品がどこを取り入れ、どこをブラシュアップさせていったかを考えるというのも、作り手として身につけたい視点かな、と思います。
※例によって、自分が出来るとは言っておりません。




