読者タイプ
物語を読んでもらえるかどうかは『冒頭』の吸引力。
物語を読んで、満足してもらえるかは、『終盤』の展開と『結末』。
もちろん、一つの話を通して読んでもらうための一種の中毒性は、全体を通しての魅力という結論になるので、小説のどこの場面も手を抜いていいわけではないのですが。
実は、小説の読者には二つのタイプがあると思うのです。
ひとつは、感情移入型で、とにかく主人公に入れ込むタイプ。もうひとつは、一歩下がった場所で、物語の仕掛けを楽しむタイプ。
たいていの場合は、完全に分けることはできないのですが、我が家の場合は、私は前者、夫は後者になります。
以前、山田正紀先生の『神狩り』を読んだとき、私は、「すごく面白いけどキャラクターに入り込めない! 主人公がもっと好きになれたらいいのに!」といったら、夫に、「そんなものは作品に関係ない。この世界を楽しめ」と、言われました。
その時、人の受け止め方って違うのだなあとしみじみ思ったわけです。
なろうの読者はキャラ小説に慣れ親しんでいる方が多いので、前者が多いのかな、という印象があります。もっとも、ジャンルによっては、違うと思いますけれど。
感情移入型の読者様のタイプには、とにかく「入りやすい」主人公が好まれ、仕掛けを楽しむタイプには、『凝った世界』が好まれます。
したがって、前者が多いと思われる、なろうの小説は、冒頭に世界説明が地の文で延々と入るタイプの小説より、キャラの会話から突然始まるような作品冒頭のほうが好まれる傾向があります。
一人称が多いのも、そのせいでしょう。もっとも、一人称というのは、主人公の性格や行動が読者の共感を得られない場合、回れ右されやすい表現法でもあります。
感情移入型の読者傾向が高いので、ハーレムや、ざまあが好まれるという側面もあるのではないかな、と思います。
仕掛けを楽しむタイプのかたは、ライトノベルには貴重ですが、ちょっとした設定の特殊さなんかを買われるかたが多いかもしれません。
もっとも、これはあくまで傾向であって、感情移入型の私も、仕掛けが凝った小説が嫌いではないし、仕掛けを楽しむタイプの夫でも、主人公に感情移入を絶対しないわけではないので、本当は『どちらのタイプもウエルカム』という小説が、一番強いわけですね。
で、物語の終盤と結末に関して言えば、やはり主人公にどれだけ共感をしてもらっているかが、カギとなるわけです。
共感をしたうえで、仕掛けが決まる。
片方だけでは、満足度は上がらないわけです。
とても激しい感情移入型をする私の友人などは、仕掛けより、『主人公が幸せ』になることが最良とする傾向があるのですが、やはり、バランスが大事。
まあ、中には共感なんぞどこ吹く風で、仕掛けだけで読ませるというタイプの作品がないわけではありませんが、一般的ではないと思います。その手の小説は、私みたいなタイプの読者に敬遠されてしまいます。
ちなみに。推理小説の読み方で、読者タイプはわかるのではないかと。
私は、圧倒的に作品の主人公にのめりこんで読みますが、トリックにこだわる方もあるのではないでしょうか。
犯人の動機の弱い作品は、私は苦手ですが、そういう作品でも、トリックが素晴らしいと賞賛されている人気作品もあります。
両立は商業作品でも、難しいのしょうね。