後味
後味の良い物語というのはどういうものでしょうか。
もちろん、ハッピーエンドは、すっきりすることが多いです。
いわゆる「ざまあ」のように、意趣返し系がすっきりするひともいるでしょう。
これは、趣味が分かれるところかもしれません。
個人的には、きちんと畳まれた物語というのが、非常に好き。
ところが。
ホラー映画系のように、『続編あります』的な、『まだまだ続くよ』系エンドのほうが、小説は売り上げが上がるという噂。
ライトノベル小説のコンテストも、どちらかといえば『続編』が書けるタイプの物語が好まれるという話もあります。WEB媒体発のコンテストの場合、WEBと同じでは売れませんから、『加筆』『改稿』が当然かもしれませんが、紙公募でも、『話は完結』していてもシリーズとしてドカンと当てたいという出版社さんの意向があるような気がしています。
ライトノベルは、とにかく『続巻』ありき。そんな印象。
最近は、作品で買いの読者が多く、作者買いがあまりされないそうなので、一度つかんだ読者を逃したくないということなのかもしれません。
「俺たちの旅はまだまだ続くぜ!」エンドが悪いわけではありません。
物語が終わっても、その登場人物達の人生は続くわけですから、それは間違いじゃないです。しかも、そのほうが後味が良いこともあります。
例えば。
豊臣秀吉主役で物語を考えた時。必ずしも死ぬまで書かなくてもいいわけです。
それこそ、明智を討った時点で終わって、『これから天下統一だぜ!』的なエンドのほうが、むしろ英雄的。物語の切り取り方の『趣味』の問題ですね。
シリーズものの宿命として、『あそこで終わっていたらよかったのに』と言われてしまう可能性が付きまとうのはどの作品でもあることなので、作者さんも売り手さんも悩ましいところかもしれません。
ただ、どんな形にせよ『後味が良い』というのは、やはり『好印象』で終わります。
冒頭が良いというのは、確かに『手に取るかどうか』にかかってきますので、やはり大事なのですが、終わりをしっかり魅せる作者さんは、『次』につながると思います。
中には『後味悪い』でも『面白い』という厄介なものもあります。
横溝正史先生の 「悪魔が来りて笛を吹く」なんてのは、猛烈に後味が悪いお話ですが、つまらないかといわれれば違って、とても面白かった作品。同じ金田一シリーズでも、「獄門島」なんかは、すっきり終わり後味がいい(ハッピーエンドとは言えませんが)。どちらが好きかと言われれば、やっぱり「獄門島」のほうが好きと言ってしまう。もしファーストコンタクトが『悪魔が来りて』だったら、他の本を読んだか疑問でもあります。
(個人の感覚ですが)
拙作に関して言うならば、読後、特に感動してもらう必要はないけれど、ちょっとだけスッキリしてもらえるような、そんな仕上がりの後味になっていたらいいな、なんて思います。




