燃えにくい話こそ創作の薪かも?
あなたがペンをとるときは、素晴らしい本を読んだときでしょうか? それとも投げたくなるような本を読んだときでしょうか?
実は私の場合、圧倒的に後者です。
「くそったれ! こんなのなら、私の方が面白く書けるに決まっている!」←思い込みです。
大体において、私は物語というのが好きですが、満足する作品を読んでいるときは、それで幸せなのです。書くことも好きには違いありませんが、書くという労力をメンドクサイと思ってしまうことが多々ある程度の『好き』であります。
だから、書きたくてたまらない! ってひととは、ちょっと違うかもしれません。
私の場合、与えられたものに満足できないからこそ、自分が書くわけです。
逆に言えば。
読んだところで、くすぶるだけの薪のような作品のほうが、圧倒的に燃えます。
心の糧になるのは、満足する作品ですが、心に火をつけるのは、ある意味での駄作なのです。
えっと。
実は私、話を作り替えるというのが趣味なのです。
ベテランのかたは、ともかくとして。初心者のかたには、結構おススメ。発想訓練になります。
作品の構成の勉強になりますし、様式美なんかもくっきりと肌身に染みてわかります。
野田昌弘先生の『スペースオペラの書き方』の中で、アンデルセン童話を作り替えるという話がありました。
哀しいアンデルセン童話をハッピーエンドに変える。
こういうのって、逆に『自分が好きな路線』を再認識するきっかけにもなるのです。
たとえば、ハードボイルドものとかで、ヒーローが「お前にはもっとふさわしい男が」なんていって、ヒロインを置いて去ってしまうラストがあったとします。
それはそれで、作品としてふさわしい様式美でありますが。
女の立場から考えれば。「私がいいって言ってんだから、逃げないで!」とヒロインが強引に腕を組むラストのほうがいいな、と思ったりもするわけです。
こういう、燃えにくい薪を積み重ねていくと、自分が作りたいお話が見えてくるようになってきます。 燃えにくい場所のある作品というのは、ある意味、創作にとっては得難い薪なのではないかな、と思う今日この頃です。