オリンピックとナショナリズム
日本、羽生選手、宇野選手、金、銀メダル、おめでとうございます!
オリンピックというのは、政治的なモノを持ち込んではいけないという、たてまえがあります。
しかし、オリンピックほど、ナショナリズムを煽るイベントは、少ないのではないかな? とも、思います。
普段、国というモノを意識しない人間でも、メダルに一喜一憂し、浮かれたり、失望したり。
「頑張れ、日本!」
その言葉の下、強い連帯感を味わう訳です。
先日、最近のオリンピックがつまらないのは、スポーツでなく、国代表に報道が向きすぎだからと言う記事をネットで見ました。
ある意味、そうかな? とは、思うけど、この頃のライブ放送は、昔より、あっさりぎみ傾向です。
特に今回、冬は種目が少ないこともあり、意外としっかり日本の選手が参加していないものも放送されています。
多少の偏向放送傾向は、ありますが、昔ほど、日本人だけ放送という感じではないかな? と、感じます。最も、団体競技は、相変わらずナショナリズムが強いですが。
前に書いたこととは矛盾しますが、思うに、たいていの人は、いわば話題として、オリンピックを楽しみますから、実はナショナリズムを煽る偏向放送の方が分かりやすく、面白いと感じる面もあるかもしれません。
ただ、その場合、メダルがとれないと、つまらなかったとなるわけで、それはそれで難しいです。
だからこそスポーツの魅力を、と申しましても、現実問題として、残念ながら、アマのスポーツは、メダルが絡まないと、人気が出にくいですし、それをバックアップする団体の活動資金(強化資金)なども得られにくい。
とはいえ、その昔、スキージャンプ団体で金メダルを逃した時、その後、選手のひとりが執拗な嫌がらせを周囲から受けた等と言う話などを聞きますと、注目競技での選手の背負う国民の期待というのは、個人が背負える大きさ以上なのかもとも思います。
日本人は、大戦後の教育で、愛国心の比較的薄い民族。
自国を愛せないようではいけませんが、強過ぎても、とも思います。
物語では、国に命を捧げるという戦士の心を美しいと感じる私ですが、現実では、国より、大切な人のためであって欲しい。
まして、オリンピックの選手であるなら、第一に努力も結果も個人のもの。
応援する人間も、そこをわきまえないとなあ、と思います。
南北融和の平和アピールは、政治的ではないのか、と、つい思う。
平和なことは、良いことですけど。




