スランプを脱却するには
誰だって、スランプというのはあります。
これは執筆に限らず、人生、さまざまな分野であります。
心もしくは体の調子が不振になって、実力が発揮できない、という意味ですから、それこそ、日常にだって、スランプはあるわけですよ。
主婦なら、「料理が思いつかない!」「味がなにをやっても決まらない!」という料理スランプのようなものだって、そうなのです。
さて、レジリエンス、という言葉はご存知でしょうか。
「回復力」「弾力」というような意味ですが、精神医学的には、『立ち直る力』をさすらしいです。
私たちは、「強くある」ことが素晴らしいことだと思いがちですが、本当は「立ち直れる」しなやかさのほうが大事。強くありつづけるというのは、いつか息切れします。
たとえば、自信をもって書いた作品を、酷評にさらされたり、公募に落ちたりすれば、誰だって傷つきます。
酷評を受けても『面白いはずだ!』と、そのまま突き進むのは、『メンタルの強さ』。
酷評を受け入れて、それから何かを得て乗り越えていくのは、『メンタルのしなやかさ』。
強さは当然、必要な部分ではありますが、しなやかさがなければ、成長はありません。
では、しなやかさは何から生まれるのか。
まず、心が平安であること。穏やかであること、だそうです。
睡眠不足は一番ダメ。体調不良は、心の健康を損ねます。
さて。
執筆がスランプに陥る原因は、まず、体調不良を疑うのがいいかも。
そして、次に、心の不健康。
様々な執筆、またはそれ以外の悩みというのも、度を超すと書けなくなります。
(ある程度までは、執筆のブーストになるのですけどね)
場合によっては、他者の意向と自分の意向のギャップということもあるかもしれません。
スポーツのスランプと違い、執筆スランプというのは、主に発想の問題が大きいです。技術的なスランプもあるでしょうが、身体を動かしませんので、やはり『思考』的な部分でしょう。
他者の意向と自分の意向のギャップでのスランプの場合に必要なのは、『強さ』。
執筆というのは、書いた本人の意向を優先してこそです。もちろん、職業作家さんなら、読者意向を外したら商売になりませんから、自我を通すことが最良とは言いません。
ただ、素人である限り、その小説は、誰よりもまず、書く本人の意向が優先されるべきで、それだけの自尊心をもって書くべきかな、と思います。
思ったように書けないとか、思いつかないというようなスランプなのであれば、その状況を乗り越えていく『しなやかさ』が必要です。
何より一番大事なのは、一度『作品』から離れること。
書かないと書けなくなるなどと、書いてある本もあります。そういう面もないとは言えませんが、スポーツの練習ではないのです。
逆に言えば、スポーツじゃないから、余暇の時間、ずーっと頭をその作品が支配し続ける可能性があります。リアルな他事というのが、たくさんあれば、そうではないかもしれませんが、例えば、料理をしながらでも、布団にはいっていても、頭の片隅に常駐していたりもします。
もちろん、だからこそ見えてくるものもありますが、焦れば焦るほど、『書きたいけれど、書けない』という思いは強くなっていくことがあります。
ところが、モノノ本によれば、人間の強い感情というのは、十秒くらいでおさまるものなのだそうで。
ネガティブな感情は、重ねることで大きくなり、のしかかってきます。
ですが、泣いたり、笑ったり、怒ったりも、その『十秒』原因となるものから意識をそらせば、切り替えられるとのこと。まあ、現実には、刺激というのは連続でおしよせますから、難しいですけど。
しかし、ドラマでうるっとした瞬間に、頭にお水をバチャンと誰かにかけられたら、感情はすぐに怒りに切りかわりませんでしょうか?
もちろん、怒りをスルーして、感動に浸り続けるという選択肢はありますが。
この理論で行けば、書けないという悩みも、十秒考えなければ、忘れられます。
忘れるということは、リフレッシュになります。
たいていの執筆スランプは、リフレッシュでぬけられます。
執筆というのは、多面的な角度からの発想が必要で、視野狭窄というのが一番スランプの要因のように思えます。(私は、ですが)
執筆は、自分が強くあるより、しなやかであることを意識した方が、良いものが書ける、そんな気がする、スランプ中の私でした。
そう、わかっているけど抜けられない。それがまたスランプの真実(笑)




