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医療系短編

心からの幸せを祈って

作者: 朝樹
掲載日:2016/08/24

「世界が満たされる時、最も美しいキスシーンを」参加作品です。

よろしくおねがいします。


「こんの大バカ者――!!」



 いつもの罵声が、小児病棟の無菌室(クリーンルーム)に響き渡る。

 私が、こんな大声を上げることはすでに珍しくなくなってしまった。


 私、高橋咲(たかはしさき)は小児病棟に勤務して4年目になる。

 そしてこの大バカ者の受け持ち看護師である。




「白血球が下がっている時の・注意事項は・耳にタコが出来る位説明したよね!……なのに・何故・常温に・一週間も置いておいた・オレンジジュースを・飲んだのかな?」


 説教の相手、吉田大樹(よしだだいき)君は中学二年生の男の子だ。

 本人は今、自業自得と言う名の腹痛と戦っている。






 大樹君の病名は急性リンパ性白血病(ALL)

 小児の白血病は、寛解しやすいけど再発もしやすいという厄介な物だ。


 寛解と言うのは「病気の症状が一時的に軽くなったり消えたりした状態で、このまま再発しないで完全に治る可能性もあるけど、再発する可能性もまだあるから様子を見て定期的に検査を受けたり薬を飲んだりしてください」という状況。

 この病気の完治は難しい。


 それに初回治療だけで八カ月前後の入院が必要だ。

 中学二年生の八カ月は大きい。


 しかもこの大樹君。父子家庭の上、自宅は車で二時間弱と言う遠方在住。

 だけど近所の小児科のクリニックが異常を早期発見して転院させてくれたので、初期治療は順調に進んでいる。


 この初期治療――寛解導入療法は抗がん剤を結構ガンガンに使う辛いもの。


 でも大樹君は頑張った……ように見えた。




 そもそも入院時も、お父さんと一緒に来院し白血病の詳しい説明を表情を変えずに聞いていた。

 時々質問もしながら。


 確かに大人びている。頭も良い。自分の状況を冷静に分析出来ている。

 そう思ったが、同時に一四歳と言う年齢を考えると違和感もあった。

 ここまで冷静になれるものだろうか。


 五年生存率や、治療後の再発の可能性の話まで出ている。

 主治医は、本人や家族の希望によって本人にどこまで話をするのか決めるのだ。

 この子は全て知りたいと言った。






 そして、この第一印象にみんな騙された。







 最初にやらかしたのは、薬だった。


 抗がん剤による白血球減少に対応するために、お腹いっぱい薬を飲まなければいけない。

 食欲も無くなる時にである。

 

 配る薬は、「飲んだよ」と言って、薬の殻を見せてくれる。

 それで飲んだものと思っていたら。


 シーツの交換の時、枕の下から大粒で飲みにくい薬が二種類。多量に発見された。



 御丁寧に、薬を殻から出して、ゴミ箱にそのまま捨てるとばれるので隠していたらしい。


 その時は、丁寧に説明した。

 この薬がどんなに大切か。

 今の治療が、どんなに体に負担をかけるか。


 彼は私の話しを殊勝に聞いていた。

 ごめんなさい、と謝った。

 



 しかしこの悪ガキは反省などしてはいなかったのだ。




 枕の下がダメだと学習した彼は、洗面台に流そうとしたらしい。

 洗面台が詰まってばれた。


 この頃から私の額には血管が浮いていたかもしれない。



 だけど、大樹君はお父さんが仕事の関係上昼間は来ることは出来ず、日曜日の夜のみの面会だ。

 友達とも会うことは出来ず、会うのはガウンやマスク・ゴーグルで完全装備をした医療者だけ。時々院内学級の先生が勉強を見に来てくれるけど、さすがに吐き気や口内炎などの痛みと戦う今、勉強なんてしても頭には入らないだろう。

 それよりなにより頭に入れてもらいたいのは無菌室での過ごし方だ。


 ストレスは溜まるだろう。

 それは分かる。

 分かるがしかし、この病気の治療段階には三段階あって、初期の寛解導入療法が終わってもすぐに強化療法と言う長い戦いが待っているのだ。第三段階は退院してから自宅でできる維持療法と呼ばれるもの。内服の抗がん剤だけになり、学校へも行かれるようになる。

 何としても、無菌室での正しい生活を身につけてもらわないと命にかかわる。






 そうやって、四苦八苦しながらの戦いが、二カ月を過ぎようとした頃。


 大樹君が読んでいるマンガ雑誌が、ゲーム関係の本であることに気がついた。

 実は私もゲーマーさんである。RPG専門だけど。


「あれ?大樹君もゲームするんだ」

 私がそう言うと、ちょっとだけ私の顔を見て頷いた。


「父さんが、中古の店で安かったからってプレステ買ってくれて……」

「そっかぁ。面白かったよねこのゲーム」

 そう言って有名RPGを指さす。


「俺まだそれ持ってないんです……」

「あ、じゃぁ貸してあげる。私もう終わっちゃったから」


 その時の大樹君の顔は忘れられない。

 びっくりしたような、嬉しいような申し訳ないような。

 だけど嬉しいが一番勝っていたようだ。


「ホントに良いんですか?」

「いいよ― 私そのシリーズ、前作の方が好きだったから今回あんまりやり込みもしてないし。私メインルートを通っただけだから隠しイベントとかあったら教えて」

 そう言って笑うと、大樹君は本当に嬉しそうに、花が咲いた様に笑った。



 この悪ガキのこんな嬉しそうな顔は初めてだった。








 受け持ち看護師は、勤務に来れば必ず受け持ちの子の担当になる。

 私は毎日のようにゲームの進捗状況を話題にし、大樹君もどんどん私に慣れて行ってくれた。


 この作戦は大成功だったようだ。


 さすがに今時の子だけあって、ゲームを進めるのがうまい。

 私のセーブデータを引っ張りだして、ここが甘いとかいろいろ豆知識を教えてもらいながら、大樹君が楽しそうに過ごすのを、私も楽しく見守った。



 口調も砕けて来て、最初のですます調の口調は完全に猫をかぶっていたこともばれた。

 何のことは無い。

 この子も普通の中学二年生なんだ。

 ……ただ、お父さんを心配させたくないと思っているだけの、優しい子だったんだ。



「咲さん、今日は俺ここまで行ったんだよ」

 そう言って、ゲーム雑誌の攻略ページを見せてくれる。

 ちなみに私が名前呼びなのは、病棟にもう一人「高橋さん」がいるからだ。これは仕方ない。


「もう?! 早いんだね― 私なんて全クリに二カ月かかったよ?」

「咲さん、どんくせ―から」

「私は地道なレベル上げが好きなのよ!」

 そう言って一緒に笑う。


 こんなに普通の子だったんだ。

 今こうして一緒に笑えることが嬉しい。





 大樹君のお父さんからもお礼を言われた。


 大樹君のお母さんは、大樹君が物心つく前に事故で無くなったということ。

 日常の生活は祖父母と同居しているので不自由は無いが、祖父母も高齢の上、免許はもう返納してしまったため面会は難しいことなどを話してくれた。


 それと、思ってはいたんだけど、やっぱり家は経済的にいろいろと厳しいらしく、そのためゲームも買ってやれなかったと。

 私の貸したゲームをあんなに喜んでいるのを見ると、早く買ってやればよかったとそんな話をした。

 開封したオレンジジュースを一週間も置いておいたのも、どうも本人は節約をしているつもりだったようだ。

 

 あの子はあの子なりに、病気になってお金がかかることを心配して、出来る限り節約していたんだ。


 それを知った夜、私は布団の中で泣いた。大樹君のお父さんに対する気持ちをわかってやれなかったことを後悔した。





 ――――しかし次の日会った悪ガキは、今度は例の薬が病衣の上に羽織る半纏のポケットから発見された。


 私は自分の血管の切れる音を聞いた。



「こんの、大バカ者――――!!!」




 

 










「なぁ。俺外に出られないかな?」


 時々やらかすバカ以外は、文句も言ったことのない彼がそんなことを言ったのは、強化療法も中盤に差し掛かった二月中旬。


 現在の白血球205(正常値3500-9000)

 とてもじゃないが外には出せない。


 貧血も進んでいるし、何より血小板が絶対的に足りない。

 日々輸血で補っている状況だ。



「どうしたの? いつ出たいの?」


「……卒業式。部活の先輩の」

「そっかぁ…… それいつ?」

「三月一五日……」 

「あと一カ月かぁ。清田先生に相談してみるね」

 私がこう言うと、彼は心底驚いたという顔で私を見た。



「……何とか、なるの?」

 


「絶対大丈夫とは言えないけど、一カ月あれば白血球に余裕は出てくるとは思うし…… きちんと薬を飲んで、尚且つ常温放置したオレンジジュースなんて飲まなかったらね?」

 すごい勢いで彼はうなずいた。


 そうだよなぁ。

 彼は野球少年で、入院した頃は真っ黒に日焼けしていた。

 二週間あれば白血球は立ちあがる。

 ……後は、お目付役が必要かどうかだなぁ。


 大樹君は入院時に比べると五キロ以上体重は減っている。

 真っ黒だった顔色は、青白くなっている。

 それだけ、頑張って来た。


 この辺で息抜きはさせてあげたい。





 彼の主治医、清田結子先生は小児腫瘍疾患の専門医だ。

 三五歳独身。ちなみに美人だ。

 私はこの医師と一緒に来月の治療計画に卒業式への出席が可能か検討することにした。



「本来はその一週間前に抗がん剤治療(ケモ)を始める予定だね」

「一週間って言っても四日ですよね。ずらせませんか?」

「うーん、ダメって訳じゃないと思うけど…… 親御さん次第かなぁ。四日ずらしたからって実際予後に影響するとは思わないけど、最悪の結果になった場合、親御さんが後悔しないかだよね」

 そうなのだ。この事を後で家族に後悔させちゃいけない。



「そうですよね…… しかもお父さんが卒業式の日に迎えに来られるかも確認してませんし」

「仮に迎えに来てもらっても、まだ外泊は無理だから卒業式に行って、終わったらとんぼ返りで病院だ。それでその子が納得するかな?」

「それは大丈夫だと思います。本人は卒業式の先輩に会いたいとしか言っていませんし」

「……その間、中心静脈栄養(てんてき)はどうする?」

「ロックじゃダメですか?」

 ロックとは、点滴の管内で血液が固まらない様にする薬剤を入れた上で蓋をすることだ。


「……行って帰って…… 4時間?5時間? 水分が取れれば良いけど……」

「…………最悪、私が一緒に行きます。師長と相談ですけど」

 こういう場合出張扱いに出来ることがあるんだ。


「じゃ、親御さんと話しするから日時を設定してくれるかな?」

「はい。分かりました」




 こんな大事な話は、必ず主治医が行う。


 小児病棟の暗黙のルールとして、日頃細かい事の指導・生活の世話や小言など母親的役割は看護師の仕事。大事な話をしたり、ここ一番で雷を落とす父親的な役割は女性だろうと医師の役割だ。


 私は大樹君のお父さんに電話連絡した。

 お父さんは、病院側の配慮にしきりに恐縮しながら、お父さんの次の休みの日中に来院することが決まった。









 大樹君のお父さんは夜の九時頃に恐縮しながら現れた。

 でも九時なんて、遅いうちには入らない。実際日勤の半分はまだ残っているし、医師に至っては勢ぞろいだ。


 私はお父さんを家族説明室に案内する。

 この時もお父さんは私にゲームのお礼を言っていた。

 もう何回目だろう。ホントに気にしなくっていいのに。


 この時の説明も本人の希望で、大樹君も入っての話し合いになった。

 卒業式に行くとなると、抗がん剤治療の予定が四日遅れること。

 それについての影響は今のところ分からない。でも今度、悪化した場合に「あの時予定通りにやっておけば」と言う後悔が残るかもしれない事。


 やっぱり大樹君は表情を変えずに、清田先生の目をまっすぐ見て話を聞いていた。


「どうする?大樹。それでも行きたいか」

「行く」


 お父さんの問いに対する大樹君は即答だった。

 


「ではすみませんが、行かせてやって下さい」

 そう言ってお父さんが頭を下げる。


「分かりました。調整します。お父さんはその日は仕事は大丈夫ですか? 大樹君を迎えに来られますか? 日程的に外泊はまだ出来ません。式が終わったらすぐに帰って来てもらうことになります。それとその日の状況によっては看護師が同行することになるかもしれません」


 え?と言う顔で大樹君が私を見る。


「咲さんが来るの?」

「うん。点滴もあるしね。大樹君の体調にもよるけど多分私も行くよ?」


 そう答えると、大樹君がまた、嬉しそうに笑った。

 ……この瞬間、今回の同行は私の中で決定事項になった。 



 やっぱりお父さんは恐縮することしきりだったけど、私は構わなかった。

 まだ一カ月も先だ。

 勤務表の事はどうとでもなる。師長にも了承は取っていた。







 その日から、大樹君は薬を溜めこむことは無くなり、正真正銘の優等生になった。

 院内学級にも行ける時は行き、行けない時は部屋でプリントをしていた。

 空き時間にゲームをするのは日課のようだ。



 そんなとき、私は大樹君が見ている雑誌に、ゲームのグッズ?が通販で売っているページを見ている事に気がついた。私が貸したシリーズのグッズもある。

 

「へ―。そんなの売ってるの? 見せて見せて」

「咲さんもこんなの好きなの?」

「だってこのゲームのシリーズ自体好きだもん。へ―、このモンスターのぬいぐるみ可愛い」

「ぬいぐるみって年じゃねーだろ」

「やかましい。可愛い物に年は関係ないの! じゃぁ大樹君ならどんなのが良いって思うのよ」

「うーん、俺だったらこんな感じかな」

 そう言って指差したのは、ペンケースだった。


 ……私は大樹君がぼろぼろのペンケースを持って、院内学級に行っていることを知っていた。


 そして都合のいいことに、その通販ページは雑誌についているはがきでしか申し込みが出来ないようだった。



「ふーん、大樹君の好みはそんなのかぁ…… 私なら、コレとかいいなぁ」

 と、ヒロインが主人公にもらったシルバーの指輪を指す。


「咲さんアクセサリーとかしてるの見たことないけど」

「仕事中は禁止なの! いつもしてない訳じゃないわよっ 私これ欲しい!大樹君。このはがき貰っても良い? 一緒にペンケース頼んでお礼にプレゼントするから!」


「え……?」

 驚いてる。

 こんな顔を見ると中学二年生だなぁ。


「ね、一枚しか、はがきないじゃん。申し込んでも良いかなぁ」

「あ、はがきはあげるよ。でも咲さん……」

「ペンケースは気にしないで? 指輪に比べたら高いものじゃないし。私がこのはがきのために雑誌を買うのも何だかちょっとなぁ……」


 と、困ったなぁという顔をする。



「いい、いいよ。…………その。ありがとう」

 



 そのはにかんだ様な嬉しそうな顔は、私にとって最大のお礼だった。







 申し込みのはがきを書いてから、二週間位で私の家に指輪とペンケースが届いた。

 タイミング良く大樹君の無菌室の隔離がとけた所だった。


「これ、昨日とどいた」

 朝一番に部屋に行って、ペンケースを届ける。


「私のこれも届いたんだよ」

 そう言って、就業中は指輪禁止のため、チェーンネックレスに通した指輪を見せる。


 大樹君はしばらく手を出さずにじっと見ていた。


「ホントにもらって良いの?」

「はがきのお礼だって。見て見てこのリング。グラフィックそっくりだよね。良く出来てる―」

 そう言って私のリングを見せて、これがホントに欲しかった、嬉しいんだって強調する。



「…………ありがとう、ございます」



 大樹君は下を向いたまま、丁寧にお礼を言った。

 きっと甘えることに慣れていないんだろうと思うと、いたたまれない。


「私こそありがとうだよ。大樹君と会わなかったら、これ買えなかったもん」


 そう言って頭をぽんぽんと叩いて部屋を出た。

 振り返ると、カーテン越しにペンケースの袋を丁寧に出しているのが分かる。


 



 あ― 神様って不公平だなぁ。




 

 この日の夜はまた、今度は指輪を見て泣いた。








 そして三月十五日。

 卒業式に間に合うように朝早くに出発。

 私もお父さんの車に乗せてもらって、一緒に行く。

 点滴をギリギリまでしておくためだ。

 

 この日のために、医療品の業者から車のライターソケットに接続できるタイプの点滴の滴下装置を借りて来ている。

 ロックの準備も万端だ。


 予定では、卒業式自体には出ないで保健室待機。

 式が終わって卒業生が花道を出てくる所で野球部と合流。

 先輩たちと話をしたり、みんなで買うという花束を渡したり写真を撮ったりするらしい。


 さすがに大人数が入る体育館へ入れることは出来ないと思ったんだ。

 あそこは普通の人でも風邪を貰うぞ。

 私とお父さんは保健室で待機だ。

 

 もちろん学校側とも話はついている。

 院内学級の先生が協力してくれたんだ。


「いい、マスクは外しちゃだめよ。咳をしている人には近づかないこと!」

「咲さんそれ何度目?」

「目の前にいるのが、何度言っても聞かない大バカ者だからかな!」


 くどい程に注意事項を繰り返し、式が終わるころ点滴をロックし、ルートをはずす。


「うわ―― 久しぶりの自由の身!!」

 そう言いながら、両手を振り回し始める。



「大バカ者――!! ロックしてるだけで点滴の先はまだ身体の中に入ってるんだよ―!!」 




 学校にまで私の罵声は響きわたった。



 

 だけど、野球部の友達と一緒に笑っている姿や、野球部の先輩にもみくちゃにされながら楽しそうにしている姿をお父さんと一緒に保健室で見ていたら、ふと気付くと二人で泣いていた。



「高橋さん。……本当に、感謝しています。貴女があの子の受け持ち看護師で良かった」

 お父さんが、ぽつっと呟くようにそう言った。


「ありがとうございます。私も、受け持たせてもらって良かったと思っています。……それに、その言葉は看護師にとって最大の賛辞です。ありがとうございます」

 ホントに、彼にあえてよかった。

 彼の受け持ちが私で良かった。


 彼の母親役が、私で良かった。










 その後、彼は薬をため込む事もなくなり、治療は順調に進んで行った。




 そして、入院から9カ月。

 無事に寛解に入ったのを確認して、今日退院する。




「ちゃんと薬は飲むのよ。家に帰ったら手洗いうがいは絶対だからね。それと……」

「咲さん分かったって。ホントにうるさいんだから」


 憎まれ口を叩きながらも、大樹君の笑顔は優しい。


「みなさん、高橋さん本当にありがとうございました」

 お父さんが深々と頭を下げる。

 その横を大樹君はさっさと通り過ぎて、エレベーターホールに向かって歩いた。


「帰るよ父さん」

 そう言って、振り向きもせずに歩いて行った。


「大樹、お前もお礼を」

 そう言うお父さんの言葉にも足を止めない。



「風邪には気をつけるんだよ―」

 ああもう、他に言うことがあるはずなのにこんな言葉しか出てこない。


 ナースステーションには、見送りの看護師や医師がたくさんいる。

 みんなでいろんな言葉をかける。




「元気でね――!!」




 最後に私が叫んだ言葉に彼は、振り返らないまま手を振って返してくれた。


 結局最後まで降りかえらないまま、彼は帰って行った。






「照れくさかったのかな?」

 と、清田先生。

「まぁ、あんな性格でしたもんね」

 と二人で笑う。

 二人とも涙ぐんでいるのは、もう仕方ない。

 小児病棟と言う所は、良くも悪くも涙の出る所だ。



「再発しないと良いですけどね」

 と、清田先生が心配そうに言う。

 先生はこれからも外来で二週に一回は会うんだ。


「再発はしないと思いますよ」

 私はそう、サラッと言った。


「え?なんでそう思うの?」

「先生知らないんですか? 血液疾患は良い子ほど再発率が高いんですよ」

 そう言って笑う。


 これはうちの病棟の看護師はみんな言ってるジンクスだ。


「成程。じゃあ大丈夫かな?」

「絶対大丈夫だと思います!」


 そう言ってまた笑った。


 










 通常、寛解に入ってから五年再発しなければ完治とされる。

 大樹君の経過は良好だと、時々清田先生が報告してくれていた。


 そんな時、一通の暑中見舞いのはがきが病棟あてに届いた。

 大樹君からだった。


 真っ黒に日焼けした大樹君は、大学の正門前で多分入学式にでも撮ったのだろう写真に、某一流大学に入学しました、と言うお礼文の印刷された文字の隣。



 手書きで『薬学部に入った。飲みやすい薬を作る』と書いてあった。




 もう当時を知る看護師は少なくなっていたけれど、私は清田先生と二人で大笑いした。

 涙を流して笑った。




 散々笑った後、私はハガキを貰って帰っても良いと清田先生から了承を貰った。


 私が持っているべきだと言ってくれた。




 家に帰って、もう一度見る。

 大人びた顔になったけど、悪ガキそうな目は変わらない。


「……本当に、ありがとうは私のセリフだよ」




 私はそう言って、はがきにそっとキスをした。




 この大バカ者の幸せを願って。





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― 新着の感想 ―
[良い点] もうっ、これもレビューを書きたいっ。 なんていい話なんだ。ホロホロ。 最後の飲みやすい薬を作るに泣けました。
[一言] テーマがテーマだけに読む方も構えて読んでしまうところがあります。 主な登場人物が主人公の女性看護師。患者である中学二年生の男の子。そして彼のお父さん。女性医師。 つい、キスのシチュエーション…
[良い点] はじめまして。うみのまぐろと申します。セカキス企画から参りました。 すぐ怒ってくれるお姉さん的な看護師さん。しかも親身に大樹君のために頑張ってくれて、一緒にゲームの話して…… ほれてまう…
2016/09/20 17:44 退会済み
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