あと少し
(なんで…………)
その現実を前に、男は絶望を味わうしかなかった。
もう残り時間はわずかとなり、否応なしにその時がやってくる。
遮る事もできない流れの中、出来る事は何も無かった。
無情にも進んでいく事態に、非力な人間でしかない彼に何ができようか?
ただ震えて今を嘆くだけが、彼に出来る全てである。
そんな彼を責める事ができる者は、おそらくそうはいないだろう。
(こんな、こんな事って)
昨日は楽しかった。
今日も最初は楽しかった。
数時間前までは。
だが、日差しが落ち、夜がひろがり、星がまたたくにつれ。
男は焦燥をおぼえた。
気持ちは衰弱し、目から光が失われていった。
楽しかった時間も、その後の悲惨さを際だたせる悪夢の材料となってしまった。
このまま進んでいく事が、途方もなく苦痛でしかなかった。
男の抱えた苦痛は時と共に大きくなっていく。
体の怪我と違い、それは決して癒される事はなかった。
(何をすればいい?)
これから逃れる手段を考える。
あるわけがない事を十分に知りながら。
それでも男は、今この瞬間から逃れる方法はないのかと頭を働かす。
焦りで鈍った思考がそんなものを思いつくわけもなく、それは文字通り徒労に終わる。
体を動かしてるわけではないのに、疲労感だけが蓄積されていった。
考える事は一つだけ。
(どうして────!)
何の落ち度もないはずなのに、どうしてこれほどまでにつらい思いをしなければならないのか。
それが男には分からなかった。
否、分からない事にしておきたかった。
事実を理解すれば、あまりの悲惨さに心が壊れてしまいかねなかった。
その恐怖が男に現実を認識する事を拒絶させている。
向かい合わねばならない事を避ける事で、男は自分を保っていた。
(嫌だ、嫌だ、嫌だ!)
それが無駄な努力と知りつつも。
何が起こった、どうしてこうなった。
そんな考えは常に頭に浮かぶ。
これが世の常であり、避ける事も無くすこともできないものだと知りつつも。
自然の摂理というわけではないが、その中で起こる事であるのは明白だった。
だからこそ、この流れ、この運びの中で最善を尽くすしかない。
それをこなせば、ある程度は楽ができるのだろう。
翻って己はどうなのか、という事に至る。
自ずと浮かび上がってくるはずのその問いかけに、男は答えたことはない。
そこまで考えた事もなかった。
思考が浅いと言うのは酷というものだろう。世の多くの人間は、おそらくそれほど深くは考えないのだから。
日常の中で「いつも」に追われ、日々を忙しく過ごしているならば、他の事を考える余裕もない。
あっても、男が直面してるような事についてどれほど考えるか。
おそらくより多くの者達はもっと別の事に全てを費やすだろう。
寝るか、休むか、遊ぶか、と。
悪いとは言えない。それもまた、人のするべき事であり、必要とされるものであろう。
だが、それらをやる中で、ほんの少しでも大事な何かについて考える事ができたなら。
何かが少しは変わったかもしれない。
周囲の状況や、襲いかかってくる悲劇は変わらなくても。
それに接する己を変える事は出来たかもしれない。
直面する勇気がもてれば、であろうが。
男にはそれがなかった。
そのどれもがなかった。
だからこそ、これほどまでに恐れを抱くのであろう。
(あと、少し…………)
もうすぐやってきてしまう。
(あと、少しで…………)
それを考えるのが怖い。
(あと、あと少しで…………)
布団の中、暗い部屋の中で、表示部分を光らせたデジタル腕時計の時刻表示を眺める。
眠気はない。
血走った目は、まぶたを閉じることを許してくれない。
悲しみと焦りに満ちた心は、落ち着く気配もみせてくれない。
あと少しで、その時がやってくる。
そこから数時間後、彼はまた急き立てられる事になる。
分かっていても、男にはどうする事もできなかった。
あと少し。
あと少し。
あと少し。
ただただ、その時がやってくるのを震えながら待つしかない。
いつもと変わらぬ夜がきて、いつもと変わることなく日付が変更されていく。
そしてまた朝が来て、一日がはじまる。
たったそれだけの事でしかない。
しかし。
もう月曜日になる。
日曜の夜が終わり、月曜日になってしまう。
「…………嫌だ」
おもわず口からもれた言葉には、悔恨が混じっている。
こうなる事は分かっていた。
なのに、自分はいったい何をしてるのかと。
自分は今日の一日をどうしていたのかと。
楽しく過ごしたとは思っていたが、いざこうして今日が終わろうとすると、後悔だけが残ってしまう。
明日からまた日常が始まるというのに、何をどうしていたのかと。
遊ぶにしろ、もっと有意義に使えたのではないかと。
何かを学ぶ事にあてていたら、もっとよりよい自分になれていたのではないかと。
誰かと連れだって共に過ごせば、より密接な関係を重ねていけたのではないかと。
だが、もう遅い。
今日という一日は終わり、取り返しはつかない。
「こんなの、こんなのおかしいよ」
誰もいない部屋の中、男は呟く。
おかしいのはお前の方だと言ってやる誰かがいれば、あるいは彼の気も紛れたかもしれない。
それが良いかどうかは別として、少なくともこれほど悩んだり悔やんだりする事に時間を費やしはしなかっただろう。
しかし、独身・社会人の男には、そんな相手もいない。
終わりのない自問自答を、ただただ繰り返すだけであった。
それでも。
月曜日はやってくる。
出勤時間も。
その時になれば彼は布団から出て、背広に着替える事となろう。
重い足を引きずりながら、どこかの誰かと一緒の電車で職場近くの駅まで向かう事になる。
終わる事のない作業と、いつ果てるともない残業が、彼の体ののしかかってくる。
楽しみは、週末と給料日だけ。
その週末も、週休二日のはずが片方は潰れる事となる。
給料も、基本給が少ないので残業が多くても総額は悲しいものになる。
だが、人生を支えるために彼はまたいつもの毎日に戻っていく。
逃れる術は────ない。
あと少し。
あと少し。
あと少し。
(いやだ…………)
男は考える事をやめた。
といった調子ですがいかがでしょうか?
笑ってくれればいいんですが。
だいたいこんな調子というか、こういう感じの文章だというのが伝わればと思って書いたものです。
内容の善し悪しについては、聞くのも怖い。
こういったものばかり、というつもりもないけど、こういったものも書いたりします。
なんにせよ、小説家になろうへの初投稿。
機能の確認も兼ねてやってみました。
執筆所要時間、たぶん一時間余りと思われる短文なのはそんな理由もあったりなかったり。
とにもかくにもこんな感じなので、どうかよろしく。