第1章 第5話
搭乗員待機所に集まると先に帰還したパイロットらが休憩をしながら次のミッションに備えてブリーフィングを行ったり、各種手順を確認したりと準備を行っていた。
装具類を脱ぎ捨てたい気持ちを堪えてウォーターサーバーの冷水を自分のコップに注いで飲む。五臓六腑に水が染み渡るようだった。
「食え」
麻木が操縦手用の加給食を月島に放ってきて、月島は慌ててキャッチした。加給食とは平均的な勤務よりも過酷な業務を行う隊員の食事に一品加えられるもので、バナナ一本であったり、カロリーバーであったり、ゼリーであったりとそこまで特別なものではない。例に漏れず、加給食とラベルが貼られた市販品の最中だった。
「実戦やってきてもこれか……」
「なんだ、ケーキでも振舞ってもらえるとでも思ったのか?」
麻木が呆れた顔をする。月島は仲間から回されて来たポットの水出し茶を麻木の分もコーヒーカップに注ぎ、壁際のカウンターで書類を睨む麻木の元へ向かった。
「どうぞ」
「座れ」
月島は麻木にコップを渡し、目の前のカウンターチェアに腰を下ろす。麻木はコップのお茶を飲み、最中を齧りながら戦闘の推移を時系列順に表示するクロノロジーを睨んでいた。最中を齧る麻木は豪快なように見えて上品さがあった。そのことを不思議に思いながらも包みを開けて最中を食べる。ぎっしりと餡子の詰まった最中の甘味が疲れ切った体のエネルギーになっているのが知覚できそうだった。
クロノロジーは戦略級の情報しかなく、戦闘機や編隊等の戦術情報は無い。日本の置かれた状況は厳しく、中国は第一列島線を確保しようと南西諸島地域だけでなく、日本の最西端の領土である台湾に上陸作戦と空挺作戦を同時に行い、同盟国である満州へ地上戦を開始していた。
南西諸島を守らんとする第二機動艦隊がもし退けられ、南西諸島地域が敵の手に落ちれば台湾で防衛戦を繰り広げる部隊は孤立する。太平洋側に敵は戦力を展開させ、絶対国防圏どころか防衛線はさらに北に下げられることになりかねない。
搭乗員待機所のパイロット達も情報に飢えていて落ち着かない様子だった。テレビやインターネットの繋がった端末を気にしていた。待機所のパイロットは数名ずつ入れ替わるように再び準備を整えて出撃のために機体へ向かっていく。命令を待つパイロット達の緊張感が漂っていた。
そこへ待機所に月島達の飛行隊長の住之江中佐が入って来た。住之江もフライトスーツに身を包んでおり、今にも自ら飛び立つと言い出しそうな雰囲気だ。住之江に気付いた麻木がそちらへ向かう。
「よく戻った、麻木。戻って早々だが、15と16、18を加えた五機編隊の陣容とするクーガー12フライトの編隊長を頼む」
「了解。17のビルとマーシーは?」
通常、編隊は偶数機で編成され、その中でも二機編隊を組み、僚機が決まっている。編隊が奇数機で編成されることは訓練以外ではない筈だ。
「撃墜された。二人とも任務中行方不明だ」
その言葉に月島は息を呑んだ。今名前の上がった二人は月島よりもはるかにベテランの飛行隊の先輩だった。
「第201飛行隊は二機未帰艦機だ。第202飛行隊も一機やられた。ビルとマーシーは救難機が捜索している」
第二艦上航空隊でF-14を運用する第201飛行隊は十六機が出撃し、四機が艦隊直掩につき、十二機がそれぞれ艦隊防空戦や攻撃隊の護衛など制空戦を繰り広げていた。
FA-1を運用する第202飛行隊も十八機を出撃させ、一部は対艦攻撃を実施し、一部は同様に艦隊防空戦を行っている。
「余計な感傷に浸っている暇は無いぞ」
麻木は月島を軽く睨んで、住之江に作戦の説明を求めた。
現在の状況として、第一次攻撃隊は艦隊が発射した巡航ミサイル群の到達に合わせ、空軍の攻撃隊と共に敵艦隊を攻撃。敵艦艇少なくとも九隻を撃沈。四隻が大破したとの情報が入りつつあった。一方、第二機動艦隊に飛来した敵の対艦ミサイル及び巡航ミサイルはその数二百を超えたが、艦隊防空機と防空艦の迎撃によって辛うじて艦隊の損害は前衛の駆逐艦の被弾のみにとどまっている。
しかしながら敵はさらに本土から戦闘爆撃機や攻撃機を飛ばし、飽和攻撃を実行しようとしており、空軍がそれを食い止めるべく、艦隊の西側で壮絶な空戦を繰り広げていた。敵は攻撃部隊の中に囮の無人機も飛ばしており、数では依然劣勢だ。
戦闘が長引けば長引くほど、物量で勝る敵の優位は高まり、質だけではカバーできなくなる。
第一次攻撃隊は帰艦を開始しており、攻撃隊の準備が整い次第、空軍と連携して第二次攻撃を開始。
月島達の新たな任務は第二次攻撃の露払いとして攻撃隊より先行し、敵の艦隊防空機を食い止めて攻撃隊を護衛することだ。
敵艦隊の中でも防空能力が高いソヴレメンヌイ級駆逐艦等は艦隊陣形の東側に重点的に配置されており、敵がこの陣形を変えなければ攻撃は西側から実施。敵空母撃沈が必成目標であり、敵艦隊の主力艦艇を継戦不能にすることが望成目標だった。
「二機編隊は12と16。13と15、18だ。リードはそれぞれ私、コーク」
16はハラミこと三原司中尉とノーマこと溝口慎之介中尉。15はサニーこと都築日向中尉とトトこと安曇野敬一中尉、18はローストこと笠井俊二中尉、JJこと今里孝介中尉。
搭乗員の入れ替えは行わずにローテーション通りの編成だった。
「敵の数は不明。貴様ら喜べ。エースに名を連ねるのがこれほど容易な戦場は無いぞ。お前たちのキルマークを敵機のノーズに描かれたくなければ死ぬ気で戦え。いいな」
「はい!」
パイロット達が気合の入った返事をする。麻木は煽り方が絶妙だ。自分も同じ立場の時、こんな場面でどんな声がかけられるだろうかと月島は考えていた。
「行くぞ」
プリ・フライト・ブリーフィングもそこそこに終え、再び月島は麻木と共に飛行甲板に戻る。
「どうだ、気分は」
「さっきので自信がつきました」嘘だった。先ほどよりも足取りは重かった。
麻木が急に立ち止まって月島を振り返った。真っ直ぐな澄んだ目が月島を射抜く。月島はその迫力に思わず腰が引けた。
「先ほどの判断は正しいとは言い切れないが、間違っていないと私は思っている。私が後ろに乗っているからと言って気負いする必要はない。お前は自分の判断で飛べ。しっかり付き合ってやる。いいな」
「はい」
その真剣な眼差しに月島は素直に返事をした。麻木は頷くと再び踵を返し、歩き出す。
月島にとって麻木は恐ろしさと尊敬が入り混じった存在だ。徹底的に人を追い詰めることもあれば、心の籠った声をかけてくることもある。どちらが麻木の本性なのかまだ月島には分からなかったが、少し麻木に対する抵抗が和らいでいた。