第1章 第2話
『クーガー12編隊、こちらソーサラー01。目標、北側集団、方位三四八度、距離百十海里、高度一万八千フィート』
艦隊の上空の哨戒コースを飛ぶE-2D早期警戒機の機上兵器管制官の淡々とした指示が下る。
敵機との相対距離は一一〇海里(二百キロ)程度。はるかかなた、途方も無い距離だが、五分もあれば目視できるまで近づいてしまう。そして間もなく、F-14が装備する長距離ミサイルの射程に敵機は入ろうとしていた。
『クーガー13、EW準備、マスターアーム・オン』
麻木の声を聞きながら月島は火器管制装置を安全から即応にし、いつでも武器が使用できる状態にして後席で麻木が火器管制レーダーを起動したことを確認する。
『クーガー12、ターゲット・マージ。タイプH-6、ボギーは四機。エスコートが速度を上げた。タイプフランカー。ボギー四機』
『クーガー12、ラジャー。レーダーコンタクト』
火器管制レーダーでデータリンクによって取得していた情報を元に直ちにターゲットを追尾、捕捉する。
『象潟、ターゲットはH-6。ボマー四機編隊。艦隊を射程に捉えるまで二分。撃たせるな』
轟炸H-6爆撃機は初飛行が一九六八年の旧式な部類の大型爆撃機だが、ミサイル母機として対艦ミサイルや巡航ミサイルを二基ないし四基搭載することが可能だ。
『了解』
『いい返事だ、行くぞ。クーガー12、交戦する』
『13、エンゲージ!』
藍田も無線に声を張っている。有無を言わさず戦闘が開始され、自分もその真っただ中に突っ込むことになる。敵機とは互いに四百ノット以上の速度で近づいており、相対距離はあっという間に縮まっていた。
『視程外射程から長距離空対空ミサイルでアウトレンジ攻撃する』
麻木が無線に吹き込むのを聞きながら月島は兵装選択装置でFOX3のAIM-54E長距離空対空ミサイルを選択。しかし、間を開けずに統合電子戦システムのRWRの警告音が響いた。
耳元に鳴り響いた警告音に月島は肩をぴくりと跳ね上げた。今まさに敵が自分を殺そうとしている音だ。心拍数が上がり、呼吸が荒くなろうとしている。しかし戦闘において緊張は無駄で、思考や行動を阻害する要素だ。麻木に言われた通り、冷静さを保つため、月島はしっかりと呼吸を意識する。
『12、スパイク・デッドアヘッド(十二時方向からロックオンされた)。回避しろ、ビーム機動だ』
麻木が早口ながらも聞き取りやすい声で月島に命じる。爆撃機編隊を守るべく増速して接近する殲撃J-11戦闘機の編隊が追跡捜索レーダー波を浴びせてこちらの正確な位置を探ろうとしていた。こちらが補足され、攻撃されるまでの猶予はない。月島はロックオンから逃れたい欲求と麻木の指示を履行しようとする反射的な反応で操縦桿を倒そうとしたが、それを踏みとどまった。
「ヘイズ、爆撃機攻撃を優先すべきです」
月島は緊張しながらも麻木に進言した。艦隊はすでに多数の巡航ミサイル攻撃を受けて対処に追われている。ここで自分達が四機の爆撃機を落とせなければ艦隊に向かうミサイルの数は少なくとも二倍を超えることになる。
『艦隊にはイージスもいる。我々が無理に踏みとどまる必要はない』
「ですが、敵はそれを突破するため飽和攻撃を……」
回避にかけられる時間は刻一刻と減っており、敵との距離は恐ろしい速度で近づいている。
『……分かっているな、相当にシビアだぞ。覚悟しろよ……』麻木は月島に釘を刺しながら僚機に指示を出す。『ダン、ブレイクしろ。護衛機を引き付けろ』
『ラジャー』
藍田の駆るF-14Jがチャフを放ちながら翼を立てて回避旋回する。
『クーガー12、ミュージック・オン』
麻木もチャフを放出しながら機上自衛妨害装置とJ/APG-1F電子素子電探に付与された電子戦機能で電子戦を展開。敵のレーダー波を妨害する。
月島機は回避せず単独でなおも爆撃機を射程に入れるまで突き進んだ。IEWSがなおも警告音を鳴らし続け、月島の額を冷や汗が流れ落ちる。そうしてようやくAIM-54Eの射程に爆撃機編隊が入り、発射のキューがHMDに表示された。
「クーガー12、FOX3」
無線でコールし、ミサイルレリーズボタンを押し込む。機体から短いながらも重量のあるAIM-54Eが次々に機体を離れ、機体が動揺する。四発のAIM-54Eはハードポイントから切り離されるとロケットモーターに点火し、北に向かってマッハ五に加速しながら、はるかかなたの空に向かって消える。
「ブレイクします」
発射するや否や月島は操縦桿を引きながら一気に左へ倒し、回避旋回を開始する。
AIM-54Eは最初にアクティブレーダー追尾装置を導入したAIM-54フェニックス空対空ミサイルをベースとしており、その誘導性能は一九七二年当時の物とは別物と言っていいほど進化している。
慣性誘導装置とデータリンクによる中間誘導とアクティブレーダーによる終末誘導によって撃ち放し能力を備えており、発射母機がレーダーを照射して誘導する必要が無いため、発射後は離脱回避に専念できた。
だが、鳴り響いていたRWRの警告音が、間隔の短いMWRの警告音へと変化する。
『ランチウォーニング。ボギー、ミサイルを発射したぞ。回避しろ』
まるで他人事のように淡々と麻木は言う。
「ラジャー、ビーム機動」
アラートを聞きながら月島は操縦桿を切って旋回し、ミサイルに対し、九十度の角度で飛ぶように機動を取る。荷重メーターの数値が上がり、あっという間に+4G、+5Gと体重が四倍、五倍になる。ジェットコースターでも一時的になら4Gを体験できるものがあるが、戦闘機で急旋回しようとすると断続的に強烈な荷重がかかることになる。
プラスG、つまり機首を上げる旋回機動を続けると、体内の血液は下半身に集まり始め、脳への血液供給が滞って視界がぼやけ、意識が薄れる。
それを防ぐために耐Gスーツが血流をコントロールするために体を締め付ける。
同時に旋回機動では速度を失うため、スロットルを推力増強装置を使用しない最大出力であるミリタリーゾーンにまで押し込み、自機の運動エネルギーを保とうとする。
『ダン、援護位置につけ』
耐G呼吸をするのに必死な月島に対して麻木はけろりと落ち着いた声で指示を出し続けている。
『ボギー、近づいているぞ。懐に食い込まれるな』
「こ、コピーっ」
敵はAIM-54Eに並ぶ射程の長距離のPL-15中距離空対空ミサイルを持っており、それで月島たちを攻撃したが、それだけでなくさらに接近して確実にとどめを刺さんとしていた。
レーダーディスプレイで互いの位置関係を確認しながら回避を続ける。まずはミサイルをかわさなくてはならない。
麻木がチャフを放出。チャフ・フレアディスペンサーから射出されたチャフ・キャニスターが弾け、アルミを蒸着させたグラスファイバー片が散布される。
レーダーにチャフ雲が出現。敵のアクティブレーダー誘導ミサイルのシーカーを幻惑し、ミサイルを誘引する。
『ミサイル、二発』麻木が告げる。マッハ四で接近してくるミサイルを視認できる時間など一瞬だ。その時、背後から突き上げられるような爆発を感じた。チャフ雲に突っ込んだ敵ミサイルの近接信管が作動して炸裂したのだ。
『回避した』
麻木の言葉に思わず旋回をやめてGを緩めようとするが、『どこを見ている、四時方向、ボギー・急迫』という警告に咄嗟に反対側に操縦桿を切る。
翼を翻し、再び回避機動に入る。敵がこちらをロックオンしようと、レーダー波を浴びせてきていて警告音が鳴りやまない。月島は即座に兵装選択装置をFOX2の赤外線画像誘導のAAM-5B空対空ミサイルに切り換える。麻木が対抗手段としてECMを実施し、再びフレアやチャフを放出した。
『タリホー、タイプフランカー、ボギー二機』
さすがに麻木の声も息が荒くなる。月島も操縦桿を切り返して急旋回しながら敵機の姿をこの目で捉える。殲撃J-11戦闘機の二機編隊だ。ロシア空軍のSu-27フランカー戦闘機を中国がライセンス生産して配備される殲撃J-11は劣化版とは言われているが、その飛行性能や能力は圧倒的に脅威だった。
『ダン、オフェンス』
麻木の指示で、藍田が援護しようと旋回する。麻木の言葉には月島に囮になるよう、藍田が攻撃位置に付ける最適な針路を飛べと言っている。
『ライトブレイク、コンテニュー』
「ラジャー」
月島は敵機を引き付けて旋回し続ける。F-14に対して、Su-27フランカー戦闘機をベースとする殲撃J-11は機動性の面では優位だ。
『旋回半径に回られるぞ。合図でレフトブレイクしろ……ナウ!』
月島は操縦桿を反対に切り、スロットルを押し込み、アフターバーナーに点火する。アフターバーナーは高推力を得るが、エンジンの排気に燃料を加えて再燃焼させているため、燃料消費量は跳ね上がることになる。排気ノズルからバーナーの青白い円錐形の炎が伸び、機体が蹴飛ばされたように加速する。
速度は旋回運動で失われる。低速では旋回半径も小さくなるが、空戦で速度と高度を失うことは敵に対し、劣勢となる。強烈なGが月島と後席の麻木を襲う。
『オーバーG……オーバーG……オーバーG』
高G域に達し、過荷重警報システムがアラームを鳴らす。肺が圧迫され、臓腑が体の下に押し沈められる。目まで頭の奥に押し込められそうだった。骨が軋む音と共に麻木の荒い息遣いが機内通話を通して聞こえた。
耐G呼吸をしながら追ってくる殲撃J-11の位置を確かめる。水色の迷彩すらはっきり見える距離に殲撃J-11はいた。
――あれが俺を殺そうとしているのか。
『シザーズで踊らせてやれ』
「ラジャ」
月島は機体を右へ左と旋回を繰り返すシザーズ機動を取る。後方から追尾する殲撃J-11もそれに合わせて旋回を繰り返す。
『ミサイルは命中した』
格闘戦に専念していた月島は麻木の言葉を一瞬、理解できなかったが、それは月島が発射した長距離ミサイルが敵爆撃機を撃墜したということだった。
艦隊の方向が見えると曇天の空の下、白いミサイルの発射煙の筋がいくつも艦隊から伸びている。艦隊の防空艦の迎撃ミサイルが敵の爆撃機や巡航ミサイルを攻撃しているらしい。
そんなことを一瞬、思考したが、それどころではなかった。
『クーガー13、FOX2』
藍田のコールが聞こえた。藍田のF-14Jより発射された短距離ミサイルが月島機を追う殲撃J-11に向かって旋回しながら飛ぶ。
ほぼ同時にIEWSの警告音がMWRに変わった。
『ミサイル、来るぞ!』
シザーズ機動を中断して右に振ったまま翼を垂直に立てて急旋回する。
――なんて日だ!月島は心の中で絶叫していた。
『チャフ・フレア、アウト!』
レーダーミサイルを妨害するチャフが放出されてレーダーに虚像を作り出すと共に赤外線誘導ミサイルを惑わす熱源の囮となるフレアが機体の航跡を描くように放出される。
殲撃J-11が発射した通称パイソン3ことPL-8短距離赤外線誘導ミサイルはマッハ三・五で月島機に向かって突進するが、月島機から立て続けに放出されるフレアの筋に吸い込まれて炸裂する。
『ミサイル、回避した。反撃しろ』
「了解」
その時、正面で火球が弾けた。爆発閃光の後にどす黒い黒煙に包まれた何かが落下を始め、空中でさらに炸裂して粉々に砕け散った。
『クーガー13、スプラッシュ1』
その黒い煙を突き抜けて藍田のF-14が月島を追う殲撃J-11の前を横切る。
殲撃J-11は機関砲を発射しながら機首を上げて藍田を追い始めた。月島は翼を切り返して速度を殺して小回りの急旋回を行う。
再び強烈なGがかかり、歯を食いしばって耐えつつ、ミサイルシーカーを起動し、機首方向に殲撃J-11を捉える。
ロックオンを報せるオーラルトーンが鳴り、発射キューが点灯し、月島は操縦桿のミサイルレリーズを押し込む。ランチャーから六四式短距離空対空誘導弾AAM-5Bがロケットモーターに点火して飛び出し、殲撃J-11に向かう。ミサイルを発射してからもなお、スロットルをアフターバーナー・ゾーンにスロットルを押し込んで、アフターバーナーに点火。さらに追尾にかかる。
殲撃J-11はフレアを放出しながら急降下する。急降下で位置エネルギーを運動エネルギーに変換し、急加速しながらフレアを放出して回避機動を取る。
AAM-5B短距離空対空ミサイルはIIR誘導によってフレアなどの妨害耐性が強化されている。ミサイルはフレアの雲筋を突き破って殲撃J-11に吸い込まれ、近接信管を作動させて炸裂した。
弾体の破片が殲撃J-11の水平尾翼、垂直尾翼を吹き飛ばし、主翼とエンジンをずたずたに損傷させる。致命傷を負った殲撃J-11はそのままの速度で海面に向かって落ちていった。
『敵機、ワン・キル。残燃料に気を付けろ』
速度を回復した月島はアフターバーナーを切る。
『モタモタするな、目標はまだ大勢残っているぞ。十一時方向、方位三四五度より新たな敵編隊。爆撃機だ。高度差を取った四機編隊。距離九十マイル。艦隊まで百四十マイル。撃ち落とせ』
「了解。ダン、編隊を組み直せ」
『ウィルコ』
月島と藍田は再び合流し、編隊を組み直す。レーダースコープを見ると艦隊に向かって低高度を四機の殲轟JH-7攻撃機と二機の殲撃J-10戦闘機が飛んでいるのが見えていた。
「麻木、低高度を攻撃機の編隊が……」
『燃料を食い過ぎた。あれと追う余裕はない。構わん、お前は爆撃機撃墜に専念しろ』
「アイ・マム……」
殲轟JH-7攻撃機の編隊には同じ第二艦上航空隊の第203飛行隊のFA-1ラファールが割り当てられ、迎撃に向かっていた。FA-1ラファールの大半は対艦攻撃に加えられており、ASM-2五三式空対艦誘導弾を抱えて飛び立ち、敵艦隊を攻撃しようとしている。
轟炸H-6爆撃機の編隊に向かい、麻木が目標をレーダーで捕捉する。護衛戦闘機の殲撃J-10戦闘機二機がこちらに機首を向けて接近してきた。
『十時方向、タイプJ-10、急迫。ボギー二機。クーガー12はこれを叩く。ダンは引き続きボマーに向かえ』
藍田機はまだAIM-54Eを温存しているため、長距離から爆撃機を攻撃させるようだ。月島は敵護衛戦闘機に正対し、迎え撃つ構えを取る。
RWRが鳴り、敵レーダーをこちらの機上自衛妨害装置が妨害している。月島はFOX3に残るAAM-4B中距離空対空ミサイルを選択。
『ターゲット、ロックオン。撃て』
麻木の言葉と共にSHOOTキューが点灯する。
「クーガー12、FOX3、長射程」
操縦桿のミサイルレリーズボタンを押し込んだ瞬間、機に残っていたAAM-4B空対空ミサイルがランチャーより打ち出される。AAM-4Bのロケットモーターは煙を残すことなく、一瞬のうちに視界から消えていった。
ミサイル発射と同時に月島はスプリットSを打つ。翼を立てて機体をロールさせて背面飛行に移りながら機首を引き起こす形で一八〇度ループを行うそれは縦方向へのUターンともいえる機動だ。
アフターバーナー・オン。最大加速で敵機の反撃に備えて距離を取る。
『クーガー13、FOX3、四発』
藍田も爆撃機に対して攻撃を敢行。四発の長距離空対空ミサイルが空を駆け抜ける。藍田に対し、殲撃J-10の一機が向かい、ミサイルを放った。
『ダン、ブレイクしろ』
『13、スパイク・ノースウェスト(北西よりミサイルを撃たれた)』
藍田が回避機動を取り、チャフを放出している。月島が攻撃した殲撃J-10二機はミサイルを回避するための機動を取って逃げていて、こちらも対抗手段でミサイルを回避しようとしていた。
目まぐるしく戦況は変わっている。日本本土から来援した空軍機が第一機動艦隊の攻撃隊と合流し、西側では空軍機が第二機動艦隊に向かう敵攻撃隊を攻撃していた。月島と敵編隊をクロスする形で別々の高度からミサイルが飛び交い、空に幾筋もの発射煙が伸びている。
『敵爆撃機、四機の撃墜を確認』
麻木が告げる。少なくとも月島たちクーガー12編隊に与えられた目標は達成した。月島は回避機動のまま機首を艦隊に向け、帰還ラインに乗る。
『クーガー13、位置を報せ』
『ヘイズ、貴機の右後方六マイル。これより合流する』
『よぉし、生きているな。帰艦するぞ、やることは山のようにある。気を抜くな』
中長距離射程の空対空ミサイルを全弾発射し、残るは自衛用のAAM-5B短距離空対空ミサイル一発と機関砲弾だけだ。燃料も残り少なくなっている。
『先ほどのミサイルは二発中一発命中だ。初戦で六機撃墜とは……案外そつなくこなすじゃないか。初めての実戦にしては上出来だ」
麻木の言葉は存外月島に感心したようだった。
「教官の教えのおかげさまで……」
月島は機体を艦隊に向かって飛ばしながら目視警戒を続けていた。麻木もしゃべってはいるが、六時方向の警戒は怠っていない。
『私を後ろに乗せて防御よりも攻撃を優先するとはな。そんな無謀を教えたつもりはないぞ』
「すみません……」
自機の安全を最優先にすることは常々に麻木から指導されている。艦隊のためとはいえ、攻撃を優先して回避できる攻撃を回避できずに撃墜されれば元の子も無い。
『生き残れば反省も出来る。帰ったら覚えていろよ』
煽るような、それでいて少し楽しそうに麻木は月島を脅したが、月島は悪い気がしなかった。