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4. ガソリンがたりん

 公園を歩く。

 僕は何かがあると近所の公園を歩くのだ。

 ありきたりだけれども、死を待つ年老いた熊のように、何か落ちているものを探すジプシーみたいに、心のどっかで何かを拾えるまで歩き続ける。


 木々が風に乗って踊るように葉っぱを揺らす。

 やすいクラブで汗を流すやすい女みたいに、空っぽな音と匂いがする。


 僕は嫌いじゃない。


 持つべきものがない、軽さを感じる。重みを感じない秋の風が、じっくりと自分の中にわだかまりを作っていく。

 意識しなければ浮かび上がってこない自分の心の置き石が、歩きながら足下から少しずつ転がってその色を見せていく。

 僕はそれを角度を変えて眺めていく。

きれいな角度もあるし、とげとげしくて痛みを感じるものもある。


 なめらかで、癒しを覚えるものもあれば、激しい悲しみを訴えかけてくるものもある。それらを事務的に、ただ事務的に並べていく。一つ一つに番号をつけて、ただの色と感情にロジックを加えていく。


 ナンバー27。

 それが彼女に割り当てられた数字だ。

 僕は彼女をナンバー27と呼ぶことにする。

 僕の心が彼女と正しく向き合った初めてだ。


 さて、僕はベンチに腰をかける。

 面前には大きな噴水がある。しばらく修理中となっていてたが、最近直った噴水だ。小さな子供達が靴を脱いで水遊びをしている。大人達は噴水の周りで手先だけ濡らして涼をとっている。僕も小さな時はこの噴水で遊んでいた。

小学生くらいになると、もうここには入らなくなったけれども、よく眺めているのだ。


 ジーンズのポケットに入れている文庫本を取り出す。

『若きヴェルテルの悩み』なんて読んでいた頃、僕はカッコつけてたなとちょっと思った。取り出したのは、吉本ばななの『tugumi』。


 はじめからナンバー27のことを考えようと、散歩にいくときに選んだ本だ。


 読むのは中学生以来で7~8年ぶりとなる。

 別にナンバー27は病弱な訳ではないけれども、少しだけ自分の中のイメージとかぶるところがあった。


 物語に出てくるヒロイン「つぐみ」は病弱だけれども頭がよかった。

 ナンバー27は世界で有数の知能を持ち、その結果、数字以外を失った。


 彼女は数字以外を本当に失っているかというと、そういうことではないけれども、また彼女の『本当の幸福』が数字以外にあるということも僕には分からないけれども、でも、僕は彼女の数字にはきっとなり得なくて、僕だけが、彼女を数字化した。


 これも一つの片思いだ。


 さて、認めよう。僕はナンバー27が好きなのだ。

出会った瞬間に彼女に恋をしたのだ。


 僕は恋をしたことがなかった。もしかしたらあるのかもしれないけれども、自分自身がそれを認めることはなかった。


 今回初めて、僕はナンバー27を特別な女性として、認識した。

 胸が少しすっきりして、暖かくなる。

 おなかの下あたりがふわりとする。

 二十歳を越えた男がこんな気持ちになるなんて、ちょっと恥ずかしくて、誇らしかった。自分の中の人間性を、単純な人間らしさに感激した。


 僕は僕の人間性を正直疑っていた。

 僕は人を好きになることがあり得るのかということが分からなかった。

 人を好きになるということが理解できなかった。

親も兄弟もクラスメイトも先生も、平等に同じくらい好きで、同じくらいどうでもよかった。

 夏目漱石も谷崎潤一郎もドストエフスキーもフランツカフカもすべて同じだった。

 同じくらい好きで、同じくらい『僕ではなかった』。

 僕とは違う世界に生きていて、僕と同じ感情を共有できなかった。


 彼や彼女達は、僕の周りを回る衛星みたいで、時々見上げて、うらやましく思うだけで、手を伸ばしても届かないほど遠くに見えて、現実感がなかった。


 自分の手元に、この恋という感情が暖かく灯った、今、僕は世界のあらゆるものとつながった気がした。

 地球に僕の居場所があるように思えた。

 いろんな人が、君は必要だ、君の居場所はここにあると、言ってきたけれども、僕は自分の居場所を今、とらえたと思えるのだ。


 それが、ナンバー27にとって、限りなくどうでもいいことであったとしてもだ。


 雲が文庫本に影をつくる。

 視線を文庫本から噴水に移す。

 子供達は相変わらず、高いテンションで水の中をかけ巡って、親たちはそれをまぶしそうにめでている。子供達はみんなで遊んでいるように見えて、自分と噴水とその水たまりに一生懸命だ。

 時折、ほかの子供がかけた水に反応して、声を上げたり、不快に感じて泣いたりしている。大人は泣いた子供をひろいあげて、まあまあとなだめている。

 子供は親を見上げて、抱きついて、かみついたり、その小さな手で背中をたたいたりしながら自分の感情と折り合いをつけている。ちょっと経つと元気になって、まだ噴水の水につかりにいく。その様子を親は同じように愛でて眺める。親はチラリと腕時計を確認する。まだ大丈夫だとうなずいて、空を眺めて、目を細める。

 そこにはまだ夏の暑い日差しがある。


 セミが鳴いている。

 雄が雌を誘うために鳴いている。

 一週間もすぎればお腹を天に向けて死ぬ。

 その死にっぷりは気持ちがいいように思える。

 ふと振り向くと、小学生くらいの男の子たちがセミを採っていた。小さな虫かごにいっぱいになっている。


 かごの中には雄雌関係なく入っているのだろう。

 よく鳴く雄の方が見つけやすく、捕まりやすいのだろうか?


 そういえば僕はセミ採りをしたことがない。

 何となくそれを眺めていたら、かごを持っていた男の子の一人が、その成果を掲げてみせてくれた。すげえだろっていう得意満面の顔つきだ。

 僕はちょっとほほえんでうなづいた。その僕の様子を確認して、新たに発見したセミの方に仲間とともに走って行った。




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