3. 姉妹のメビウス
五泊六日の修学旅行だった。
姉は高校二年生。妹は小学六年生の時のこと。
修学旅行に行った姉のことを妹を忘れていた。
家族に向けたおみやげや思い出を両手いっぱい抱えて、うれしそうに帰宅した姉に向けた次女の言葉は辛辣であった。
たった、五日間、彼女の前から居なかっただけで、姉という存在そのものが彼女の中で消えていた。まったく彼女の記憶に姉が残っていなかったのだ。
このときに家族は初めて彼女の異常性に気がついた。
次女はすでに数学という世界で天才的才能の片鱗を見せていた。
数字に対する強い執着とその解析能力は、通っていた学習塾の先生なんか遙かに越え、次年度に通う中学校はほぼ無試験で『彼女の家から通える距離の範囲で』一番の私立に入学が決まっていた。
先に述べた事件が起こるまで、一般的な「家族」の中で、次女はちょっと甘えんぼの普通の女の子として扱われていた。
彼女の数学の才能に、当然、親は喜んでいたし、その姉も無意味は嫉妬などせず、喜んでいた。もともと、親も姉も高学歴で素養がよかったのだ。彼女の家族では、頭の出来がよいことは「普通」なのだ。
次女について、今はちょっと出来がよいかもしれないけれども、いづれ、普通の女の子になっていくのだろうと考えていた。他人より成長が早いのだと。しかし、小学五年の時には、彼女は親や姉の学力を遙かに越えていた。
四則演算をいわれたままに行う周りの子供と違い、数学の構造を理解し始めている小さな女の子はあきらかに異常性である。なのに、家族はすでになれてしまって、気がつかないフリをしたのだ。
家族の中で、「ちょっと頭がよい」という『レベル』を客観視ができなかったのだ。多分、これが次女の致命的欠陥の発覚が遅れてた要因なのかもしれない。
ただ、妹の異常性を早く発見していたとしても、結果は変わらなかったと考えられる。彼女の家族を誰も責めることはできない。誰も気がつかなかったのだから。
彼女が幸福であったのは、家族全員が彼女を見捨てなかったことだと思う。
それに、彼女の得意分野が数学であったことも救いになっている。
数学の世界は、その世界に居る人間でしか、正確にその才能を理解できない。そして、数学ができるということは、それを考え、表現できる言葉を持ち得ているのである。通常の生活を行う上で、彼女はその構造を理解できるし、それを言語化できる。普通にコミュニケーションがとれるのである。
数学的センスがない家族達は、次女の才能に嫉妬する必要もないし、普段の生活に困ることもない。それに、家族はみな、次女に嫉妬しなくても、自分自身の頭の良さを知っているのだ。若干、裕福で生活を無理なくできるくらいには、家族の財政は保たれているし、それ以上を求める虚栄心を持つほど育ちがわるくなかった。次女を見捨てたり、道具にしたり、過度な期待かけたり、さげすんだりする必要性や必然性を、全員が持ち合わせていなかった。
それだけに、修学旅行から帰宅した、長女へ向けるその次女の無関心な視線と他人行儀な姿と、遠慮がちに伺う「ところで、あなたはだれですか?」という言葉に驚愕した。家族全員が作り上げてきた温かい家庭が、一気に崩壊の危機を迎えたのだ。
崩壊しなかったのは、次女が素早く、その状況を理解し、自分の状況を説明したからだ。彼女はどこまでも天才だったのだ。
次女は家族に語る。小学六年生で、まだ初潮も迎えていない少女が語る。
あたしは「ふつう」じゃないのと。ひっそりとその心の中でだけ隠していた事実を語る。語らせてはいけなかった秘密を語る。隠せるのならば、自身の精神の牢獄に入れ、己のみで処理しておきたかった闇を語る。
彼女は吐露してしまえば、きっと自分のアイデンティティを危ぶませるものと引き替えに、自分の家族を選んだ。
「あたしは覚えていられない。三日も経つといろんなことを忘れてしまうんだ。
連続性がなくなると、すっと、それがどこかにきえちゃって。
数字だけは、消えなくって、あたし、ずっと数字のことを考えているからかもと、一時期考えない様にしたんだけれども、だめ。呪われているんだ。
この人が買ってきて、このテーブルに広げられているおみやげにも、バーコードとかついているでしょ。ほら、考えちゃう。バーコードの規則性とかしってる? ふつう知らないでしょ? でもあたしは分かっちゃうのよ。分かってうれしいの。楽しいの。お腹のそこがふるえるほど楽しいの。
この人がお姉ちゃんだってことは、今、理解したよ。だけど、それはうれしさにはつながらないの。今、バーコードの規則性の方で、あたしの頭はいっぱいよ。
本当は、お姉ちゃんのこと、忘れていたことに無責任さとか、悲しい気持ちとかが出てくるんだろうけれども、あたしの中で、それが出てこない! なんでなの!」
最後に次女は叫ぶ。繰り返し、なぜ、と叫ぶ。疲れて声がかすれて、涙もでなくなって、握られた拳が青ざめるまで、長い間。初めて訪れた家族の危機の中で次女は小さな胸にいっぱいに、雪崩の様に、ただその感情をむき出しにして絶望を叫び続ける。
家族は、テーブルに並べられた長女の修学旅行のおみやげをぼんやり眺める。
長女がひとり一人の好みに合うように、考えて購入した品々を、各々の顔と品を見比べながら、丁寧に愛でる。次女だけが、その横や裏にかかれたバーコードの心が惹かれる。次女のその癖は皆知っていた。彼女はものを買う時、必ずそこにかかれている数字をじっと見つめる。長女もその癖はよくわかってて、おみやげには数字の形でつくられたクッキーだった。長女は妹がそのクッキーを食べるでもなく、しばらく並べて遊ぶことを知っているのだ。その姿を眺める家族の姿を想像していたのだ。
「ごめんね」と母親は言った。
「すまん」と父親も続いた。
「・・・」長女は泣いていた。
家族は全員うつむく。同時に家族は思う。我々は一つにならなければいけないと。この幼い次女は一人、孤独に苦しんでいたのだと。苦しめられ、それを忘れ、そして苦しむ。すばらしい頭脳が故に、メビウスの輪の様な、繰り返される残酷な感情の上を、ひとりぼっちでずっと歩いて来ていたのだ。
父親は思う。長期出張がなかった今までの幸運を。母親は思う。この子のそばを離れては行けないと。長女は考える。自分がこれからなすべきことを。
長い時間をかけて、家族はゆっくりと自分たちがおかれている状況を理解していく。元来、頭のよい家族であったから、その後の行動を決めるのは早かった。
長女が帰宅した時には夕方だったその空は、とっくに暗くなり、次女の闇と同じくらい暗くなっている。窓には月がうつっている。
次女は顔をあげて、次女は感謝する。この家族に生まれてよかったと。
姉はその後、言語学者になる。
次女に与えられた神からのギフトについて熟慮した結果だ。
妹は決して病気ではないのだ。次女の頭で構成されるその世界を明確にすることが彼女の闇を救う「きっかけ」にでもなればと思ったのだ。
ちょうど、文学の世界は記号論的アプローチがはやっていたこともある。ひとつ一つを分解し、つなげ合わせてその意味を理解する。記号の世界では、長女の世界もその妹の世界も同じ記号でしかない。つながることが出来ると思った。彼女を一人にさせなくてもよいと思った。事実、姉妹のつながりは強くなっていく。
近い未来。妹の語るその数字的記号は、長女の中で分析され、一般的な言葉へとつながった。妹の評価は世界的なものへとなっていく。
姉もまた、言語学者として、記号学者として一流な才能を持っていたのだ。