表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

1. 夏の案内係

 その小説家が死んだ日が、雨だったのか、晴れだったのかは知らない。

 ただ、今日はくそ暑い日だった。

 まったくもって小説家先生には無礼な話だけれども、著名な人は絶対に春とか秋の気候が良い日に死んだほうが良い。なぜならば、僕みたいな被害者を出さないためだ。


 手に持つ小さな木でできた案内看板は小説家が眠る寺を指し示している。ぎゅっと握られたそれは汗を吸い、当初は清潔だったのに、今は半分腐ったゾンビの洋に不快な臭いがする。それに、不快なのはそれだけではなくて、張り付くシャツやズボン、風通しを悪くさせるネクタイや、しょっちゅう拭いながら掻きあげる前髪はじっとりとしめっている。ほほから首筋にかけてずっと雫がたれて、労働している感があふれている。


 僕をこんな目に遭わせている小説家の名前は、さすがに差し控えさせてもらうんだけれども、僕の先生はその小説家の研究でメシを食っている。ありていに言うと大学教授だ。また、その小説家の研究の第一人者である。


 大学教授は小説家の研究を行いながら、僕らみたいな後続の研究者を育てる役目を持っている。まあ、ぜんぜん弟子を育てない教授もいるんだけれども、僕の先生は結構まじめな方だと思う。


 大学院に入っていろいろと教わって実感したことは、高校~大学とは違って、小説家って偉いなと言うことだ。僕も研究者の末席にちょこんと座らせていただいている身としては本当にそう思うんだ。


 源氏物語を書いた紫式部なんて、出版社(昔ならば、書き写す人)にいる人や、研究者たちにメシのたねを千年間以上与え続けている。累計するとどれだけの人の数になるかわからないくらい沢山の人だ。彼女にメシを食わせてもらっている人たちは、紫式部に足を向けて眠れない。ただ、どこで死んだかは分からないんだけどね。


 僕はもう、人通りが少なくなった道を半分意識を飛ばしながら眺める。

 道路からは湯気がでていて、わずかにかすんで見える。

 久しぶりに着たスーツに気をとられて、腕時計を忘れてきてしまったから、正確な時間が分からない。携帯電話を足下においた鞄から取り出すのも面倒だ。第一、僕の携帯電話は半分壊れていて、時間が正しく表示されていない。そろそろ買い換えようと思っているんだけど、どうにも気が乗らないのは、僕自身が携帯電話をあまり必要としていないからだろう。紫式部はあまり人付き合いがうまくなかった様に僕もそうなのだ。


 ぼんやりと紫式部について考える。紫式部の良かった点は、死んだ日も場所がわからないっていう事だと、僕は今、考える。すばらしいと言われいる物語性や、読むものの心に響く季節の機微や、本当に女々しくて人間らしい性格なんてどうでもよいのだ。なぜなら、僕の先生が研究している小説家は死んだ日はおろか、その眠る墓もすべて分かっている。そして、この小説家の没日はかなり盛大に慰霊祭が行われることにある。


 んで、僕はこの慰霊祭を行う寺に向かう途中の道で看板を持って、ジリジリと照りつけるなかで、黒いスーツを着て、意識を半分失いそうになりながら、ずぼーと突っ立って、時々くる趣味人っぽいジジババや、他の大学の研究者達を案内するという、アルバイトを行ってるのだ。


 慰霊祭とか、誕生祭の開催者は、特に近代文学は、その遺族と『第一人者』の研究者が行うのが通例だ。そんな訳で、僕が所属する研究室のメンバーがかり出されている訳だ。


 慰霊祭や誕生祭なんかで、有名なのは太宰治の桜桃忌だけれども、僕は行ったことがないので、誰がやっているのかはよく知らない。ただ、六月十九日なんて、今日とあまり変わらないくらい、じめっとして嫌な日なんだろうなと思う。


 ふう。と息を吐く。

 代わりに吸い込む空気が暑い。

 僕は「焼き肉、焼き肉」とマントラを唱える。

 このアルバイトが始まって、いや、始まる前からずっと唱えている呪文だ。


 この看板持ちは、アルバイトって言ったって、その原資は教授のポケットマネーから出てくるものだから、大したものはもらえないんだけれども、アルバイト代とは別に、慰霊祭後に我々学生には普段食えないようなうまい肉を食わせてもらえるという事なので、頑張れる。

 高校生の時みたいにはだんだん食べられなくなってきたけれども、それでもまだまだ食べるのだ。先輩から事前に聞いているアドバイスでは、寺で出る弁当は余るけれども、絶対に手をつけないことだという。

 

 ちなみに、慰霊祭なんてものは、寺に納める花代や、皆が食べる弁当でなくなるし、むしろ赤字になるようなものだから、儲かるようなことはない。

 うちの先生は、あんまりお金を持っていないけれども、気前がいいんだ。だから、貧乏なのかもしれないけれども、とりあえず、肉を食わせてもらえるのは嬉しい。


「おーい、もう戻るよ」

 と駅前で看板を持っていた先輩が僕の方に歩いてきた。

 僕はいつの間にかうつむいていた顔をあげる。道にはアリンコすらいなかったし、視線の先には生き物は先輩しかいなかった。照りつける光に目を細めて、手を挙げて返事をする。我ながら弱々しい。

「大丈夫かい? メールしたんだけど返信がなかったから、ちょっと心配してたんだけどね。まあ、立っているから大丈夫だね」

 僕は鞄に入れっぱなしになっている、携帯を取り出して、着信があったことを確認する。

「すみません。気がつきませんでした」

 軽く笑ってから、ぽんっと背中をたたかれる。

「まあ、いいよ。じゃあ行くよ」

 先輩は長くした髪を束ねており、風を入れる様に首を振った。

 女性のスーツはネクタイがない分だけ、涼しそうにみえたけれども、ここまで暑ければ大した違いを感じない。僕と先輩は隣り合って寺へ向かって歩き出す。

 寺まではここから2~3分だ。駅から歩いても10分かからないくらいの距離にある。

 太陽はまっすぐにのぼり、どこにも影がない。ただ、歩いている分、少し風があたりマシな気持ちになった。

「ああ、そうだ。うちの妹がくるって言っていたのよ」

 先輩はちょっと首を傾げた。

「あの天才ちゃんですか?」

 先輩の妹はちょっとした有名人であった。

 僕は少しだけとげがある言い方をしてしまった。

 なんて言うか、僕だって、大学院に行くくらいだから。頭には少しだけ自信を持っていたり、いなかったり、くじけたり、誇らしく思っていたりするから。天才ってやつは、なんて密かにとがったものを、腹にもってしまうのだ。

 先輩はそんな僕のことが分かるのか、はては、自分もそうなのか、僕の発言に特に顔色を変えない。。

「うん。こんぐらいのショートカットの女の子、通った?」

 首をふる。

「どうしたのかな~?」

 特に心配していなさそうな感じでつぶやく様に言った。

「あの子が今日の朝に言ったこと、忘れるとは思えないんだけどね」

「そうなんですか?」

 僕はちょっと驚いて聞き返した。

「そうよ」

 先輩は特に気にする様なこともなく、探すのは骨ね。と肩をすくめて、妹の捜索を打ち切った。


 緑の濃い匂いの中に薄い線香の香りがかすめた。境内についた。

 同期の女の子が奥の建物の前で受付をしている。風通りの良さそうな場所で、ペットボトルのお茶を暇そうに口に含んでいた。そして、我々を発見すると手を小さく振った。

「お疲れ様」

「お疲れさまです」同期の女の子は返答する。僕に対して、暑かった?と半分笑いながら言った。まあね。と恨めしそうに答えておいた。これで時給がおなじなんだぜ。

「一応記帳をお願いいいたしますね」彼女は僕たちの前に筆ペンを差し出した。

 僕たちは自分の大学名を名前を丁寧に書き、お茶と弁当を代わりにもらった。

「もうはじまってるの」

 先輩は後輩に聞いた。

「さっき、出て行ったばかりですよ。あたしも、先輩たちが着たから、受付、終わりです。一緒に行きましょう」

 建物の奥に墓が連なっており、隙間から目を凝らすと確かに、一つ、大きな墓の前に人だかりができている。その中心には坊さんがいて、なにやらお経ではない言葉をぶつぶつ言って、周りに囲む人たちはうなずいたり、神妙にしたりしている。

 僕たちは荷物置き場にしている受付となりの物置に、弁当を置き、お茶を一口飲んで墓に向かう。坊さんはすでにさっきぶつぶつ言っていた挨拶を終えお経を唱えている。記録係の博士課程の男の先輩がその様子を写真に収めている。もちろんフラッシュは焚いていない。

 僕と先輩はそのまた先輩に小さく頭を下げると、視線だけ、奥にいる先生に向けた。先生は遺族である娘さんと一緒にならんで手を合わせている。

 僕らも手を合わせようとしたときに、お経は終わった。

 先生が顔を上げた際に僕たちに気がついた様で「おつかれ」と声を出さずにいって、ちょっと考えた様に視線を上に向けてから、自分とは反対側を指さした。

「あっ」女先輩はつぶやいた。「居たわ」

 僕は女先輩が目を細めた方をみた。

 場に似合わない若い女の子がいた。周りはじいさんばあさんか、研究者らしきおっさん達。黒のワンピースを着た女の子は少しおどおどしながら、坊さんを見上げていた。


 女の子は先輩に気がつくと、にこりと笑った。


 どくんっ。と心臓の音がした。


 僕に向けられたものでないのに、彼女のその笑顔に僕は驚いた。

 つばを飲み込み、手をぎゅっと握った。


 彼女がそんな僕をみた。大きな瞳をほそめた。じっと見つめられている気がした。いや逆かもしれない。僕は彼女を見つめていた。暑さやここが墓場だってことも忘れて、照りつける太陽の力さえかりて、網膜に焼き付けていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ