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廻り逢うそのときに  作者: 夕露
ダラクというひと
9/50

09.逃がさない



ぼやけた視界に見慣れない天上が映る。しばらくぼおっとしていたけど、はっとして飛び起きた。

ここは……?──ああ、そっか。

思い出して脱力する。

昨日変な男に誘われて、信じられないけど異世界に来たんだった。

それで、記憶が正しければダラクと出会って一緒に旅をすることになった――でも、ダラクはどこだろう。朝陽が差し込む部屋にあるもう一つのベッドは、使われたあとがあるものの使った人はいない。

突然、怖くなった。

もしダラクが私を置いてどこかへ行ってしまったら……?



「起きたか?」



落ち着いた声が後ろから聞こえてドキリとする。振り返ってみれば、いた。心底安心して溜息が出る。


「ん。ごめん、寝坊したね」

「いい。ユキの準備が整ったあとにでも行こう」


──旅へ。

続く言葉が分かって頬が緩む。早速、戻ってきたばかりのダラクを追い出して昨日買ったばかりの服に着替えて武具も装備した。黒いトップに長いショールを絡ませて黒いズボンを履く。そしてベルトにチャクラムをさげれば完成だ。

部屋を出ればダラクが口笛を吹く。


「さまになってんじゃん。……にしても、それの役割って誘惑だろ。ユキに扱えんの?」

「さあどうだろ。それは今日にでも分かるんじゃない?」

「くっ!言うなあ」


笑いたきゃ笑え。いつもだったらつっかかるけど念願の旅に出る今、そんな嫌味通じない。

朝ごはんを食べてチェックアウトをしたあと城下町を出る。ゲートを越えた先にあるのは青々とした海と空。右側には壮大な草原、左側には鬱蒼とした森──全部キラキラ輝く綺麗な世界。ワクワクしてしょうがない。


「とりあえず、ここから近いとこ行くぞ」

「うん」


地理も分からない身としては、もうどこでもついていきます精神だから問題ない。

聞くところによるとダラクは今いる場所から一番近い場所へ向かってひたすら旅をしているみたいだ。気になる情報があればその地に寄ってみるという、ほぼあてのない旅。この世界の色んな所へ行ってみたい私としたら嬉しいものだけど、どんな風に歩くのかいまいち分からないからちょっと不安だ。私と違ってずっと旅をしてきた人だから体力自体全然違うだろう。


とにかく今日はひたすらダラクの背中を追いかけよう。目標ははぐれないこと。我ながら小さな目標だけど、ゆくゆくは地理を把握してダラクみたいに行く場所を自分で決められるようになりたいな。


ダラクは地図を見てどの方角へ進むか確認している。後ろから覗いてみたけどちんぷんかんぷんだ。前の世界とまったく同じ書き方みたいなのに分からないって情けない。この世界に来るときに携帯を持ってたらなあ……。

ちょっとだけ残念に思いながら空を見上げていたら、ダラクが地図を閉じて「行くぞ」と私を見るなり歩き出した。結構早足だ。すぐにあとを追い、確信する。今日は筋肉痛間違いない。

空から見たとおりかなり広く分布しているらしいこの森は意外にも整備されているらしく道は開かれていた。おかげで道なき道を歩くことはない。といっても道路とかで整備されているんじゃなくて、ただ木を切り倒して歩きやすくしたって感じの道で、砂利道だ。


辛い。


普段こんな道を歩かないし切実に辛い。だけど予想通りダラクは一人旅で慣れているらしくどんどん前へ進んでいく。私は置いていかれないように必死で周りの景色を楽しむ余裕なんて微塵もなかった。

会話もなく進む道で聞こえるのは砂利を踏む音と、剣の擦れる音と、風のざわめきとか自然の音。延々と聞き続けていればなんだか頭がぐらぐらしてくる。喋らないんだったらせめてなにか考えておかないと、疲れをひしひしと感じてしまう状態だった。


なにか──そう考えて眼に映ったのはダラクの後姿。


ダラクって、なんなんだろ……。

明るい奴かと思えばそうじゃない部分も濃く持っていて、笑ったと思えば異常さを見せるような奴で、かと思えば真面目になる。

分からない。

うん。一言で言うならダラクはよ分からない奴だった。それで──

思い出すのは、ラミア城を前に殺気立つダラクの姿。嘲笑うような顔はどう見ても普通じゃなかった。私が異世界の人間かどうかにこだわったときもそう。

おかしい人。



「……そろそろ休憩するか」



おかしい……ん?え?きゅ、休憩?いやった……っ!

いつのまにか地面を見ていた顔を上げると、苦笑するダラクの顔が見えた。どうせ嬉しさ全開の顔ですよ。疲れたんだもん。

適当な場所に座り込んだダラクに習って、居心地の良さそうな場所に座る。何もない場所から皮袋を取り出して水を飲むダラクに驚いたけど、すぐ私もブレスレットから皮袋を取り出す。

まだ慣れないこの不思議な現象に心が躍る。パッと現れた皮袋はタプタプ音が鳴っていて、乾いた喉もごくりと鳴った。


あー水が美味しい。


丁度背中にあった木にもたれこむ。眼を閉じると風の音が聞こえた。ざわざわ、ざわざわ、涼しい音。火照った身体を優しく冷やしてくれる。思いがけない静かな時間だ。

ダラクも流石に疲れたんだろう。私としては嬉しいけど休憩が思ったより早い。私の様子を見ての休憩かもしれないけど……とにかく、いつ出発するか分からないししっかり休んでおかない、と──あ。



う、わぁ……!



いまのいままで気がつかなかったけど、誰かがいる。

といっても山道ですれ違うような人じゃない。隠れながら私たちの様子を伺う、いかにもな怪しい誰かだ。

覚えがある視線に頬の緩みが抑えられない。ニヤつく口元をダラクから見えないようにしながら足のストレッチを始める。痴漢の視線もこれと似たような感じだった。何度も見られれば分かる。この視線は間違いなく私たちを意識して見てる。いつからだろう。いつ手を出してくるだろう?そしたら正当防衛で叩きのめせるのに。


「……もしかして気付いたりした?」


私の様子を見ていたダラクが驚いた様子で、あまり声をを抑えないで話しかけてくる。いいんだろうか。


「んー、まあ。さすがに人数までとか分からないけど、複数だよね?私達を見てる……狙ってるのかな」

「ああ。人数はまあ、五人だな」

「え、どうやって分かるの?」

「気配が丸分かりだからなー、なんとも」

「嘘。私は分かんないや。早く分かるようになりたいな……」

「そこまでできたら十分だろ。というか、ユキはこういうことに慣れてんの?」


それは前の世界で狙われたり戦ったりが普通なのかという質問なのか、私がこういうことに身を置いて慣れているのかという質問なのか。


「あー、私の住んでいたところではこんなことまずないけど、私はまだ慣れてるかな?」


慣れてなんかないけど。

でもこうでも言っておかないと腕試しがしたいなんて言えなくなりそうだ。この世界で自分がどれぐらい通用するか試したいのに、危ないから駄目とか言われて邪魔されちゃ困る。

話の流れからしてダラクも奴らをどうにかしたいみたいだし、これぐらい言っておいたら腕試しさせてくれるだろう。だよね?

期待を込めて見ればダラクは大きく唸ったあと、二カッと満面の笑みを浮かべた。


「じゃあ、なんかあいつらまくの面倒くさそうだし……ちょっくらのすか」

「のった!!!」


思わずガッツポーズ。

すると見計らったように私達を窺っていた奴らが姿を現した。歓声上げるぐらいの声で話していたから内容だって聞こえていただろう。出てきた奴らはダラクの言っていた通り五人で、全員、目以外全てを隠した黒装束で怪しさ全開だ。忍者を連想させる奴らは完成度高く手には剣やら手裏剣に似たものを持っていた。ファンタジー。

思いがけない展開に興奮して考えがまとまらないし分からないことも多いけれど、確かなことは一つあった。


お互いヤル気満々だ。


肩をまわして軽く準備運動をしながら相手を眺める。相手はどんな攻撃をしてくるだろう?数歩後退した奴らに合わせて同じ歩幅分前に進み出る。

逃がしたくない、逃がさない。武器はどうしようか。


「俺が四人やるからユキは一人頼むな」


え?

牽制するようにダラクがそんなことを言う。一瞬、理解できなかった。


「なっ!私が全員相手するからダラクは見ててよ!」

「んなこと出来るかアホッ!」

「嫌だっ!こんなことあっちでは滅多になかったのにっ!」

「おい。慣れてたんじゃねえのかよっ!嘘か!」


旅も楽しみだったけどこれも楽しみだったんだから、奪われてしまったらたまんない。断じて引き下がるもんか。

いざとなったらこれでダラクも……。

腰に巻いた金のベルトの感触を確かめる。いや、しないけどさ。

ダラクは頭痛がするように頭を抱えると、わざわざ大袈裟なほど疲れたように溜息を吐く。そしてまるで子供に言い聞かせるように、ゆっくり、言葉を区切って言った。


「あー。だから、小手調べってな感じで、こいつらの一人をゆっっくり吟味すりゃいいじゃねえか」

「そんなことするより五人一気に相手したほう、が」


砂利を踏む音が聞こえて言葉をきる。言い合いする私達に耐えかねたのか、いままで沈黙を守ってきた奴らが仕掛けてきたのだ。


あ、この人だ。


一番最初に仕掛けてきた黒装束の男に直感する。コイツがこの中で一番強い……!

あ。



……ああ!



自覚するぐらい抑えられない笑いが込み上げてくる。

男が剣を振り下ろす──それは偽者なんかじゃなくて本物の剣。木漏れ日に光を放つ剣はキラリと輝いて眼が奪われる。

綺麗。

剣を交わして見えた光の線に志気が高揚して、自然に身体が動いた。身体に巻きつけていたショールを外す。

柔らかい素材のショールはふわり宙に漂って、無造作に配色された色を光で形を変化させながら周りを覆っていく。一度風が吹けば飛んでいくだろうと思えるぐらい頼りないのに、ショールはまるで意志を持っているかのようにその場に留まって私を覆う。ショールを掴み弄びながら存分に愉しむ。


武具が私を選んだとカリルさんが言っていた。


本当にピッタリだ。ショールは前から持っていたかのように手に馴染んで思うとおりに動いてくれる。長い長いショールはきっと私の姿を隠してくれて、相手を惑わしてくれる。

力で負ける私を助けてくれるっ。

身体が震える。恐怖じゃない。視線を上げると目の前でいつまでも次の攻撃を仕掛けずに呆然と立ち尽くす情けない男がいた。頬が緩む。


「覚悟は出来てる?」


その言葉に男はたじろぎながらも剣を構えた。道場では見たことがない構えで、しかもどこから踏み込めばいいか悩むぐらい隙がない。

さあどうしよう?なにせ本物の剣だ。直撃は避けたい。

高揚感と剣を向けられる緊張で心臓は喜びに震えている。なにせ目の前にいるのは私たちを狙って剣を使って襲ってくるような存在。普通じゃない。なにもかも!

それでも逸る気持ちを抑えて構える。まだ剣は必要ない。

あ、そうだ。


「じゃあ言ってたとおり、私は一人と戦るからあとよろしくね?」


返事は無かったけど頭を切り替えて男と向き合う──数秒後、男が仕掛けてきた。剣をたてながら走ってくる男はさっきと同じ型で少し拍子抜けしてしまう。

だけど、意表をついて男は懐から先端になにか液体がつく鋭利なナイフを取り出して私に向かって投げてきた。

ヤッバ……!

すぐさま身体をひねらせて直撃は避けたけど、腕に軽い怪我を負ってしまう。他の事を考えて集中力が散漫してしまうのは私の悪い癖だ。血の流れてくる場所を吸って吐きだす。ナイフについていた液体の種類によってはこれも危険な行為だけどしょうがない。残念だけど念のため早く終わらせたほうがよさそうかも。

相手もそう思ったのか、さっきとは違って連動して攻撃してくる。好都合だった。男の振るった大振りな剣を避けて一気に懐に入り込む。


結構、重い!


振り下ろされて無防備だった剣の背を思い切り蹴って男の手から剣を離したんだけど、その衝撃がひどく足に残った。本物の剣っていうのはこんなに重いんだろうか。

大分離れた場所に剣がぶつかった音が聞こえる。確認までしたかったけど、剣を失った男が代わりに拳を振り下ろしてくるから見れなかった。

気になることがある。

男は剣を振り下ろすような動作で私に殴りかかってくる。右、左、足蹴り、右――おかしなことに男の動きがワンパターンだ。たまに違う動作が混じるとはいえ、基本動作が組み込まれているように同じ動きしかしてこない。

おかしいを通り越して気持ちが悪い。

持久戦になったら不利だから、ちょうど近くを舞ったショールを掴んで男の目の前に集結させる。視界をくらますショールに男は慌てて避けようとしたけど、……残念。

もう動けない。ショールで男を雁字搦めにして、男の首に手を添える。


「まだ戦る?」


どうやらまだ戦う意思があるのか、男は私の話を聞こうともせず窮屈そうに身体をよじらせながらショールからの脱出を試みている。

なら止めを刺そ……う?

しょうがないなと気持ちを切り替えて実行しようとした瞬間、固まる。

眼が合った男に強烈な違和感を覚えた。男が動けないのをいいことに男を観察する。そして違和感がなにか分かった。青い目をした男の目が赤色に変わっていっているのだ。些細な変化だったのに、そうと分かった瞬間、男の目ははっきりと赤色になる。それだけじゃない。男は操り人形のようだった。

男の瞳には私が映っていて、男は私の束縛から逃げようと試みている。敵同士だしその動きは当たり前だろう。でもそう仕組まれているかのように男の動きは単一で、なにより表情がない。眉一つ動かさない表情に気になって男の顔マスクを引き下げれば、男は気にした様子もなくただ脱出の動作を繰り返すだけ。


なんだろう。


じいっと男の様子を眺める。男はとうとう脱出に成功した。ショールから解放された腕が大きく後ろにそっていく。思いがけなかったんだろうか。男は確認するかのように一瞬動きを停止させたあと、思い切り私めがけて振り下ろしてきた。

すぐに避けてもう一度ショールで固定する。本当ならここで男を気絶させるぐらいしておくべきだろう。でも、代わりに動いたのは口だった。


「どうして戦うの?」


話しかけても意味がないだろうと思いつつ好奇心に負けて出た言葉に男は反応を見せた。男の目がはっと瞬いて私を映したのだ。目を見開き私を見る顔は今までを思えば人間らしいという感想を抱いてもしょうがない。

彼はごくりと唾を飲んだ。


「アンタ……」


戻った?

なんて思ってしまった。それぐらい彼の変貌は劇的だった。だけどそう思ったのも束の間、次に気がついた時にはまた、彼はいなくなってしまった。表情がなくなった顔を見ながら、男を拘束しているショールを力強く握り締める。

コイツは逃がしちゃ駄目だ。


「さて、貴方はどなたなんだろう」


これが一番しっくりきた。目の前の隠れた誰かに問いかける。前の世界でこんなことをしたら頭がおかしいと思われそうだけど、確信があった。

この人にナニカがいる。

周囲がザワリと空気を変えていく。誰かが笑うように木々がざわめいて、気のせいか空気がひんやりと冷たさを帯びた。

これはなんだろう。

鳥肌のたった肌を隠しながら目の前の男から眼を離さないようにする。空ろな眼がぐるんと上を向いて私を見上げた。男の口元がニヤリと弧を描く。


《なぜ分かった?》

「ん~……勘?」


笑って答えながらも内心パニック状態だ。“コレ”はなんだろう。低く震えるエコーのかかった声は人間に思えなかった。まるで、そう。幽霊のようだ。それも夏の番組でおどろおどろしく語られている人間に憑く幽霊のようで、その様はひどく不気味だ。生気のない眼がこんなに怖いなんて知らなかった。

すると男、もといソイツが何か長々とした言葉を早口で呟き出す。


え、なに?


反射的に手を振り上げて男の意識を落とす。よく分からないけれど背筋がぞわりとして嫌な予感がしたから私の対応は間違っていないはず。だけど、力を入れすぎた?

膝を突いたあと、顔面から地面に倒れた男を見下ろしながら笑ってごまかす。ホラー番組であった降臨のシーンに似てて不気味だったから……。


「う、わ」


案外予想は当たっていたのかもしれない。

シューと空気の抜けるような音に男のほうへ視線を戻せば、男の身体から黒い蒸気みたいなものが上っていて──消えた。空にすうっと。

どうしよう。口元の笑みを戻せない。現状がうまく理解できない。

オルヴェンは幽霊も当たり前にいるんだろうか?これからこういうのといっぱい戦うの?それよりこれは勝ったってことでいいんだろうか?だよね?

分からないことが積み重なっていくけれど、男に憑いていたらしい存在も消えているし男は気絶しているし、勝利宣言してもいいはず。

よっし!



「ダラク勝ったよ!」



とりあえず今のがなにかダラクに聞こう。どうせ戦い終わってこっちを観戦してただろうし。


「ねえっ……て、え?」


見つけたダラクの周りには予想通り、ダラクにやられたらしい四人の男たちが倒れていた。だけど予想外なことにダラクもうずくまりながら倒れていた。

……なんで?

急いでダラクに駆け寄る。


「ダラク大丈夫……ッ!?」


返事の無いダラクとの距離およそ二メートル。そこで立ち止まってしまう。違う。身体が動かなくなった。さっきの未知な生物が出てきたときのようにザワリと変わっていく空気──ううん、それ以上──止まった音。静か過ぎる森の中に聞こえたのは、私の息遣いと、ダラクの荒い呼吸だけ。

目の前でうずくまるダラクは両手で胸を押さえて無防備なのに、これ以上近づいたら危ないと本能が私に告げてくる。なに、これ。恐怖以上の恐怖なんて、知らない。


怖い。怖い。怖い……!


足が震えて冷や汗が肌を伝っていく。

いやだ、ここにいたくない。逃げたい。

それは強い人が好きで出会えたなら手合わせしたいと思う私からすればおかしなことで、胸がつっかえる──



ああ、そっか。

そうだ。



思い当たったのはダラクの性格を考えてたときのこと。私はダラクと一緒に過ごして──この人は強いって思った。なのに手合わせを望まなかった。なんでか?その疑問はいま解けた。

怖かったんだ。泣き出したくなるほどにダラクが強すぎて怖い。

一旦自覚した恐怖は更に身体を震わせて足を地面に固定させる。自分が情けなくてしょうがなかった。怪我をしたのか分からないけど、ダラクが苦しんでるのに見てるだけしかできない。


動け

……離れたい


……動いて

……逃げたい



……動いて!



奮い立たせた気持ちに押されてようやく足に力が入った瞬間、呻き声と一緒にダラクが顔を起こす。片膝をつけた体勢で荒い呼吸のままだった。

痛みに歪む眼と視線が合う。


「そ、うだ。それ以上、俺に、近づくなっ……!ッウ゛ア゛!!」


悲鳴にも似た苦しそうなダラクの声に我に帰る。

足が軽くなった。


「怪我したの!!?」


恐怖を越えた感情を殴り捨ててダラクに近づく──それはきっと合図だった。

ダラクに触れそうになった瞬間、ダラクの姿が消える。まるで最初から誰もいなかったかのようにそこにはなにもない。空振りした手は空気を掴んで、止まる。



あ。



そして気が付いたときには誰かが私の首に手をまわしていて身動きが出来ない状態だった。背後からまわされたカサついた手は隠し切れない力を伝えてくる。

息をするのさえ憚れた。トクン、トクンと脳内に響く鼓動を早く止めたくてしょうがない。なにか気に障ることを少しでもすれば、間違いなくこの手は満身の力を込めて首を絞めてくるだろう。

よしとけばいいのに、握りつぶされる光景を鮮明に思い描いてしまって、身体が小刻みに震える。どろ、っと不穏な空気を孕んだ空気が身体を包む。

──殺される。



「ダ……ラ、ク」



理由なんて微塵も分からない。首を絞めてくるダラクの名前を呼んだ。

いまにも自分を殺してしまいそうなこの人が、ダラクなんだと知って安心したかったのかもしれない。ゆっくり振り返る。前の世界では死にたいとさえ思っていたけど、なにがなんだか分からないままに死ぬのは嫌だ。死んでしまうのなら、なんで死んでしまうのか見届けたい。これが気に障って殺されるのだとしても、それなら自分を許せる。

だけどなにを思ったのかダラクは私を殺さずに、私の顎を掴んで自分のほうへと向けた。それでも充分驚いたのに、眼に見えたのは見慣れない姿。

一瞬、誰か分からなかった。

それでも誰か分かったのは泣きそうに歪んだ顔に見覚えがあったから。ほとんど表情を動かさないけれど、眉と目元だけはぐっと寄って垂れている。


おかしいね――真っ赤な瞳だ。


ダラクは碧眼だったはずなのに真っ赤な眼になっていて、黄土色だったはずの髪でさえも変わって銀色になっていた。

綺麗……。

止まった時間が動き出したように吹く風が銀髪を揺らして赤い瞳をさらけだす。

どこか見覚えがある、気がする。泣きそうな真っ赤な瞳。綺麗な銀を持つ髪──だあれ?



ワカ、ラ、ナイ。



なにが分からないかも分からないのに、ただ、分からないことがあるのだけは確かだった。その事実がひどく私を責め立てる。答えを見つけられない自分が悔しくて涙腺が緩む。いつかと同じようにくすぶる記憶が答えを出してくれそうなのに、やっぱり私にはそれがなにを意味するのかは分からなくて……!

悲しい。悔しい。

この想いが一体なにを指すのか、知りたい。

ダラクはなにか答えを知っているんだろうか。この人と会ってからおかしなことがいくつもあった。それにこの姿だ。

視界の悪くなった眼で、ぼやけるダラクを食い入るように見る。

ダラクのようでダラクじゃない風貌。でも、やっぱりダラクで。

すうっと息を吸う。それだけのことがいやに緊張した。だけどいつのまにか危険な空気はなくなっていたから、声は震えなかった。




「ダラク」




名前を呼べば、ダラクがびくりと身体を震わせた。そして流れた涙がダラクの頬を伝う。

私がいまよく分からない感情でいっぱいいっぱいになっているように、ダラクもなにかおかしなことになってるんだろうか。手を伸ばして涙をすくう。

なんでか悲しくてしょうがなくなる。

ダラクは小さな声で私の名前を呼ぶと私の身体を自分の方へと向け、痛いぐらいに強く抱きしめてくる。

よく分からなかった。

だけど私もそっとダラクの背中に手をまわす。大きな背中で、手はギリギリ届くぐらいだ。


私より大きくて、強い人。


なのに怖がるように身体をビクリとさせて私から少し離れた。覗き込んでくる顔は、失礼かもしれないけど泣きじゃくる子供みたいで見てられなかった。背中にまわしていた手をダラクの両頬にあわせて顔を見合わせる。絡んだ視線は不思議そうで少し笑ってしまった。


目を見開いて口を開けたままのダラクの驚いた顔。


それを最後に私は目を閉じて、ダラクに触れるだけのキスをした。温もりに感じる安堵を伝えたかった。ぐちゃぐちゃになった思考を消してくれる効果も体験済だ。

それだけのキス。

触れた唇をゆっくり離せば合わさっていた唇が思いがけず艶めかしい音を出して離れた。なんだか自分がしたこととはいえ、今更ながらの恥ずかしさがわき上がってダラクの顔が見れなくなる。

……あ。

唇を噛み締めたせいか血の味がする。ソレを舌にのせて口を開けたとき、強い視線を感じた。赤い瞳が、きっと私の唇にもついた赤い血を見ている。




──もう、逃げられない。そんな気がした。






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