08.深夜の密談
夜中の十一時過ぎ。私は簡易ベッド二つ以外にはなにも置かれていない本当にただ眠るだけの部屋で、部屋を彩る一つの蝋燭を眺めながら夢と現実を行ったり来たりしていた。
ダラクは私がお風呂から上がったあと入れ替わりでお風呂に行ってしまって、この部屋には私一人。入れ違いざまにダラクは先に寝ていていいとありがたいことを言ってくれてたけど、明日から始まる旅の為に少しでも多くこの世界のことを知りたくてダラクがお風呂から帰ってくるのを待っていた。
でもそろそろ眠さが限界だった。
目を閉じるだけで羊が一匹二匹と現れて暴れ出す状態だ。
「まだ起きてたのか」
は、とする。
ようやく帰ってきたらしい。呆れた声のダラクは部屋のドアの前に立っていた。まだ完全に乾ききっていな髪から水滴が落ちている。ダラクは肌を伝う水滴をタオルで適当に拭いながら私の向かいにあるベッドに座り込んだ。その姿はなんだか色っぽい。
いや、そんなことはどうでもよくって。
「この国についてもっと教えてほしくって。よかったら詳しく教えてくれないかな」
「──この世界のことについての間違いじゃねえの?」
心臓は正直だ。突然の話に私の心臓は大きく脈を打ってドクドクと忙しなく動き始める。
この世界に対しての知識や意識が足りないことをカリルさんのお店に行ったときにも思い知って、だからこそ、そんな私が持つ秘密を人に知られる事態は避けようと考えていた。異世界トリップがここでは当たり前のことなのか分からないうちにして来たなんて言えない。もしここでも珍しい出来事なら、ソレは少なからず波紋を呼ぶものになるだろう。
どうしようかと悩む私にダラクは容赦しない。誤魔化しを許さない強い口調だった。
「単刀直入に聞くぞ。お前は異界の者か?」
ぼうっと大きく音を立てて燃え上がる蝋燭がダラクをどこか違う人のように見せていく──お城で見たあのダラクだ。目の前のダラクがいつのまにかなにを考えている分からない、恐ろしい人になってしまった。
頭で警報が鳴り響いている。言ってはいけない。否定しろと言う声が頭の隅で聞こえる。世話になったダラクなら……そうも思うけど、ダラクだから言っては駄目なような気がした。暗い思惑を孕んだ視線は私を絡めとって、危ない予感を抱かせる。
ピリピリするような気持ち悪い緊張感が張り詰める。お互い相手から目を離さない。
ダラクは悪い奴じゃない、そう思う。
だけど、良い奴でもない。
私はまだその問いに答えたくないけど、ダラクは私が答えるまでてこでも動かないだろう。根負けして、溜め息とともに答えた。
「そうだよ、今日……初めて来た」
ダラクの反応は興味深かった。隠し切れない笑いを手で覆って、瞳をギラリと光らせてる。やっぱりそうだ。ダラクは知っていたんだ。
「……さんきゅ」
そう言ってダラクは屈託の無い顔で笑ったけど、笑い返す気にはなれなかった。
さっきの話でダラクが私に聞きたかったのは、私が異世界の人間かどうかってことで、欲しかった答えはおそらくYesのみ。そしてそれは多分、ダラクのあのお城での変化の理由にも、ダラクの捜している人にも関係があるんだろう。
危険な感情を押さえ込んで普通を装いながら人探しをしているのは、その危険な感情を抱かせるものに対抗するためなんだと思う。そんな人が同情とかの理由で、金もなく路頭に迷いそうな誰かを助けるなんて思えない。私を誘ったのはそれ相応の理由があるからだ。正確には異世界の人間が。
考えても考えても答えは出ないし、きりがなかった。これは旅の合間にでも探さなければならないかもしれない。ダラクに聞いてもどうせはぐらかされるだけだろうし。
「それで、この世界のことだよな?」
「あ、うん」
もう元の調子に戻っていたダラクは、難しそうな顔をして首をひねったあと私を見る。どうやらこの世界のことについてなにか教えてくれるらしい。
「……この世界はオルヴェンって総称されてるけど、オルヴェンはラザルニア、キルメリア、カナル、ラミアの大きさの順で四大陸に分かれていて、闇の者が出没するという事態以外は比較的平和だ。けどここ最近四カ国の中で金銭的にも武力でも一番勝っているこの国ラミアが不穏な動きを見せ始めて、キルメリア以外の二ヶ国で結んでいる協定が崩れかけてるな。他国はラミアに対しての不信感をあからさまには出してはいないけど互いに腹の探り合いをしている状態だ。しかもこの頃は四カ国全ての国が軍事力に力を入れ始めたもんだから、一触即発の世界にまでなってる。──まあ、つまり運が悪いというかなんというか、ユキはこの世界の均衡が危ういときに来たってわけだな」
だなって、そんな簡単にことを終わらせないでほしい。話の内容からすれば、本当に私は間の悪いときにこの世界に来てしまっている。
だけど私はそのことにはあえてつっこまず、代わりにこの世界に来てからずっと疑問だったことを口にした。
「よく分からないけど分かった。旅している間にそれは分かるだろうからこれでよしとするけどその前に……闇の者ってなに?」
「え?ああ、やっぱりユキの世界にはいなかったのか?」
間違えた。
驚いた反応を見せたダラクを見て思った。この世界のことを知ろうと思うなら、ダラクに話してもらうんじゃなくて、私が聞かないと駄目だった。私の常識とダラクの常識は根本的に違う。お互いに常識だからこそなにも言わない。だから疑問が生じて誤解も生まれ、結局は無知なままだ。
それは、なんていうか危険だ。
「うんいないよ。それで、なんなの?」
ダラクは少し困ったような顔をしたあと、両手を広げた。右手に白い光の玉、左手に黒い光の玉が現れる。魔法……?驚く私を一瞥したあと、ダラクは物語を読むように語る。
「……俺たちがいるこの場所、この世界が光だとしたらそれに対するものは必然的に闇で、それは常に俺たちの近くにある。そこに住む者を俺たちは闇の者だと言っている」
白い光は人の形に、黒い光も人の形にそして動物の形になる。それぞれ距離を置いて向かい合っていた。
「闇の者は人が生む負の感情から作られたといわれていて、動物だったり人間だったりと様々な形をとっているが、その全てが共通して人間を狙っている。その理由は闇の者がもつ光への狂気にも似た執着が、光を当たり前に享受している人間を許さないからっていうのが一般的な説──って、聞いてるのか?」
ダラクが闇の者を危険な存在として伝えようとしているのにも関わらず笑顔だったのがいけないらしい。ダラクが話を中断してしまう。どうやら、私は闇の者の恐ろしさを理解してないやつだと認識されてしまったようだ。いや、分かってる。闇の者はつまり倒すべき敵で、倒してもいい敵なんでしょう?
「ええ、ええ、勿論。……あと、その闇の者って強い?」
戦えるだけで嬉しいけど、どうせなら強い存在と戦いたい。晃と一緒に通っていた道場では竹刀を使った切り込みや竹刀なんて一切使わないただの殴り合いみたいなこともよくやった。そのお陰で普通の女の子より戦うのは大好きな傾向にある。
ここは私のためにあるような異世界だ。前の世界じゃ強そうだなって思った人に会っても通り道で急に手合わせなんかできっこないけどここはそんなことが許されそうな異世界。好きなように勝負できて武器も使える。なんて素敵な場所なんだろう……。
ああ、明日から楽しみ……!
ダラクは私を見て意味が分からんと首を傾げる。
「雑魚もいれば、結構面倒くさいやつもいる」
「そっか。楽しみだね!」
最近、誰とも手合わせしてない。雑魚でもなんでも願ったり叶ったりだ。嬉しくて思わずダラクからしたら不安の種にしかならないことを言ってしまう。
するとダラクの気持ちを表すかのようにダラクの手を離れ宙に浮いていた白い光の玉と黒い光の玉が大きくなった。そして、黒い光の玉に赤色の光が一瞬宿ったとき、白い光の玉も黒い光の玉も霧散した。ぱっ、と……キラキラ光の粒が落ちていく。
幻想的な光景に目を奪われるけどやっぱり頭の片隅にはまだ見ぬ闇の者が占めていた。
「あのなあ」
「あー!っと、ダラクって人探しの旅をしてるんでしょ?……誰を探してるの?」
またお小言を言われたらたまらないから咄嗟に思いついたことを言えば、意外にもダラクは動揺をあからさまに見せた。さっきまでの会話を忘れてしまうほどにはダラクにとってはこのことは重要らしい。
よく言った私。
自画自賛しながらダラクを凝視していれば、ダラクは言葉を濁しながら話し始めた。
「誰とは言えないけど、言われたんだ。……俺の知り合いが俺の願いを叶えてくれるって。だから今はそいつを探してんだよ」
「そいつって?」
「さあ?俺にもよく分からないんだ。でも、言われたことを信じたら俺もそいつもお互いのことを知っていて会えば分かるらしいんだ。……自分でも意味が分からないんだけどな」
そう言って微笑む顔はひどく悲しいものだった。言葉にださなくてもその人に会いたいんだっていう切ない想いがひしひしと伝わってくる。
……いいなあ。
そんな風に思われる相手をほんの少しだけ羨ましく思ってしまう。そして確信した。
やっぱり私はダラクの目的に関わっている。こんなに会いたくて探している誰かがいるのにお荷物にしかならない私を連れるのはおかしい。ダラクの探す人がダラクでしか分からないというのなら私なんて必要がない。ダラクはまだなにか隠してる。
でも。
「きっと、見つかるよ」
それだけ呟いてベッドに倒れこむ。
驚いたらしいダラクが身をのりこんで私の様子を伺ってきたけど、ごめん。眠い。
「お休み」
ゆっくり落ちていく視界に、蝋燭にゆらめく部屋の景色と呆気にとられたダラクの顔が見えた。視界が真っ暗になれば、「この状態で一人で先に寝るとかありえねえ」とかブツブツ言う声が聞こえたけど、蝋燭を吹き消す息とともにすぐに静かになった。
静寂に包まれた心地よい空間の中で、久しぶりに独りじゃなくて二人という人数で眠りに着くことに嬉しさを覚えて、ダラクを見つめた。
『バレたな……』
意識を失う瞬間、誰かの声が脳裏を過ぎった。