39.『527番』
「あー……涼しい」
ヘルゲートの北に人の少ない丘を見つけたのはついさっきだった。風が少し冷たくて興奮がおさまらない火照った身体に心地いい。レヴィカルは想像以上だ。初めての場所での、前の世界ではありえない武器を持った仕合。自分自身に向けられた刃物に、それを扱う好戦的な目にゾクゾクした。これでもかってぐらいの人が見ていて、音は波のように時には嵐のように辺りを絶えず包んでいて……!
手にこもる力に気がついて詰めていた息を吐く。まだ心臓は普段よりも大きな音を立てていて次の最後の仕合を待ち望んでいた。一時間後には私が明日もレヴィカルに参加できるかどうかが決定するなんて不思議な感じだ。次の仕合はこれまでの三戦と同じように順調に勝てるだろうか。
……晃はどうしているんだろう。
レヴィカルに出場する男女は仕合する場所も待ち場所も分かれていて晃と落ち合えることが出来なかった。お陰で仕合結果も分からない。勝敗もだけどそれ以上に怪我はしていないのか心配で軍人に聞いてみたけれど、過去に起きた問題のせいで他者のことを話すのは規則違反らしく教えてもらえずじまいだ。仕合中は観客と話すことも禁止されているからダラクたちからも話が聞けない。
だから次の最終決戦で晃がリングに立っていることを祈るだけだ。
それで、集合の合図で上がる花火を待つだけ。
本当はイメトレでもしようと思っていたけれどすぐ近くで大会が開催されているとは思えないほど静かな穴場のせいで眠たくなってきた。地面に生えているふさふさの草を触りながら青い空を見上げれば気持ちよさに負けて寝転んでしまう。肌を撫でる草の感触は優しくて気持ちがいいうえ草の匂いに心が和らぐ。降り注ぐ日差しは少し暑めとはいえ温かく、居眠りには最高の環境だ。
だけどそんな幸せな空間に浸れたのはほんの数秒だった。人の声がした。
「珍しいこともあるものだな」
落ち着いた低い声。私のほうに向けられていて、身体を起こせば少しだけ離れたところに男が立っているのが見えた。肩よりも少し 長い金髪で碧眼の──眉目秀麗。この言葉がぴったり合う人。身体を覆っている赤いマントと金の飾りがついた留め具が凄く似合っている。
男は無表情でじっと私の様子を観察している。
「どうやってここに入った?」
「え、普通に入ってきたんですが……ここって立ち入り禁止でしたか?」
「……普通に入れたならそれでいい」
「はあ」
なんだかマイペース?よく分からない人だ。動かない男の人を私も同じように観察する。男は感情の乏しい顔をしていて、人形を思わせる。
「あなたもレヴィカル出場者なんですか?」
この場に居る限りはレヴィカルを見にきたか、出場しにきたかだ。前者とは考えられなかったものの後者だと断言もできなかった。
「そうだ。私は明日から出ることになっている……お前はさっき仕合をしていた女だな、527番」
「……そうですけど527番って止めてくれませんか」
見ていてもらえて気恥ずかしい気持ちになったけれど番号で呼ばれたことは引っかかって眉が寄る。けれど男は私の様子を気にした様子もなく淡々と答えた。
「名を知らない」
「ユキです」
「ユキ?」
「そうです」
頷く私を見て男は不思議そうな顔をしている。理由を考えて思い至ったのはフォルに忠告された名前を容易に名乗ることの危険性だ。簡単に答えたからこの人は不思議に思ったんだろうか?それなら普段の自己紹介ではどうするのが正解なんだろう。
首を傾げていたら男は聞きなれないことを言った。
「二つ名は?」
二つ名?苗字のことだろうか。
だったら──
「私はユキ。それで充分です」
苗字はオルヴェンに来るとき現実と一緒に捨てた。とは思いつつ変な言い方をしてしまったなと男を見れば男は笑っていた。声を出して笑うのではなく口元だけでクスッと笑う感じだ。そんな笑い方が凄く似合っていて、なんだか妙に感動する。
「そうか。なら私もユキに習おう、アディンだ」
「よろしくアディン」
「ああ。……ところでユキはここでなにをしている?」
「え?日向ぼっこ」
「……そうか」
「アディンもどう?ほら、座って」
戸惑っているのか、なかなか動かないアディンの腕を引いて先ほどと同じように丘に寝転がった。……意外と、筋肉ついてるな。触れた腕は大きなマントに隠されていてどんなものかよく分からなかったけど、驚くほど筋肉質だった。初めて会う人に馴れ馴れしいかなと思う気持ちもあったけれど、仕合終わりの興奮状態でまあいいかと思えた。
「ほら気持ちいいでしょ?」
「そうだな。……知らなかった」
「やっぱり?ここって穴場だと思うんだけど全然人がいないんだよね」
「なぜ」
「……ねえ、アディンって強いね」
話を遮って、しかも脈絡のない話にも関わらずアディンの顔色は変わらない。言ってしまった言葉を消すために視線を逸らすけれど、 アディンは興味を持ったようだ。
「なぜそう思う?」
「歩き方とか、雰囲気かな。……特に雰囲気から」
「どんな雰囲気だ?私は」
笑っているようにも見えるけど表情のない顔で淡々と聞いてくるアディンを一瞥する。初対面の人に言うような言葉じゃないうえ人を選ぶ言葉だと思ったけれど、不思議となんの抵抗もなくアディンには言えた。
「なんの感情もないように見える。人形みたいで、読めないから怖い。そうだな……人を斬るのにも執着しなさそうっていうかいま目の前で人が死んだとしても気にも留めなさそう。……なんて言ったらいいんだろ?アディンは冷たいとかそんなんじゃなくて、ただ……自分の邪魔するモノを容赦なく排除するっていうか」
どう言ったらいいか分からなくて考え込む。ただはっきりとそういうイメージがあった。レイシアさんと同じようにアディンが剣を握っているのを見たこともないし人となりも知らない初対面だけど想像できてし まう。
「クッ!」
「え」
堪え切れなかったような笑いが聞こえて顔を上げる。見ればアディンが口元を覆いながら笑っていた。
「ユキは、初対面の相手に普段からそんなことを言うのか?ユキから見た俺は目の前で人が死んでも気にしないような男か」
「あ、ご、ごめんっ!!」
やっぱりこんなこと言われたら好い気はしない。当たり前だ。大丈夫そうだ、なんて勝手に思って言葉を選ばないなんて失礼過ぎる。身体を起こして謝罪に頭を下げる。今更慌てる私にアディンは気にするなと軽い調子だ。
「あながち外れてもいない」
さらっと恐ろしいことを言ったアディンに謝るのを忘れて顔を上げれば、青い目を見つける。瞬間、ゾクッと背筋に嫌なものが走った。それはもう何度か覚えがあって、でも慣れないもの──殺気だった。青ざめただろう私の顔を見てアディンは目を細めて笑う。それはとてもさっきの笑みとは似つかわないもので。
「俺は大抵の人間ならすぐに殺せる力がある。だが、そうだな。面倒くさい。それだけだ。……邪魔をする奴は殺すぐらいだ」
相変わらずその顔に表情はないけれど、私の表情はきっと変わったんだろう。アディンがまたじっと観察してくる。
「聞いて、いい?」
「なんだ」
「どうやったらそういう目的が出来るの?」
「よく分からない質問だな。目的でも見失ったのか」
アディンのもっともな感想に苦笑いが浮かぶ。だけど切実な気持ちだった。
魔法があって武器を当たり前に所持でき、盗賊狩りや闇の者という存在もあるオルヴェンでは殺すという行為はそれほど珍しくはないんだろう。だけど兵士や法律があるぐらいだから人殺しというのはこの世界でも禁止──推奨されていることではない。それなのに邪魔をする奴は殺すなんて恐ろしいことを臆せず言って実際そうするだろうアディンの姿が羨ましく目に映る。私の目的はいっぱいあるけれど何かあるたびにブレて本当にそれでいいのかって悩んでしまう。目的を達成するための手段が分からなくなって、それで、結局叶わない。私の目的も人を殺すことに繋がるかもしれないからこそ余計にその力を持ってブレないアディンが羨ましい。
「目的……忘れてない。だけど手段を考えるといつも迷うの。優先順位もあるけど、それでも、これでいいのかって悩んでしまう」
「またよく分からないことを言う。目的があって優先順位もついているのならすればいい。ああ、そうか。人を殺せないか」
「っ」
「傷つけることもできないとは。こういうのを優しいというんだったか?三戦目だ、527番」
嗤う顔になにも言えなくなる。
──三戦目。あれは私もまずかったと後悔している。一戦目二戦目は苦なく勝てたものの、私の仕合を見ていたらしい三戦目の相手は対峙した瞬間から警戒していた。できるなら参ったと言わせて終わらせたかった。そういう甘いところを相手は分かったんだろう。あくまで打撃で、しかも急所も狙おうとしない私への対策をとっていて手こずった。それでもこれで決まると確信したとき双錘の錘側を、鋭利な棘を相手の胸めがけて突き出してしまったとき相手に致命傷を負わせてしまうことが分かって無理やりに軌道修正した。お陰で仕合は長引いて怪我を貰う始末。
そういう場所だと知っていても決意しても、それをすぐに行動に移すことは難しかった。長年してきたことはそうそう変えられない。
「殺そうとしてくる相手を傷つけないようにとは……私にはとてもできそうにない。畏れ多いことこの上ないな」
「……っ!」
「なんのためにここに来た。なにか得たいものがあったんだろう。それを捨てて誰かの願いを叶えさせようとするなんて私には理解が出来ない」
アディンは口を閉ざさない。よほど理解しがたいのか無表情だった顔を僅かに怒りで歪ませていた。
「527番。なんのためにここに来た」
「……自分の実力を……自分のために……あがきたいの」
「お前の程度は知れたようだが?なぜまだここにいる」
「それはっ」
「人を殺せる度胸でもつけにきたということか?なら次の仕合でそうすればいい。一人殺せば当たり前になるだろう。物を斬るのと人を斬るのになぜそうも大きな区別をする。獣を殺し魔物は殺す。人は駄目か」
「そういうことじゃ、なくて」
そうだろうか。人を傷つけるもしくは殺してしまう可能性が私はこんなにも怖い。でも目的のためには必要に駆られるだろうことが予測出来て、そのときに実行できないようじゃ大切な人を無くしてしまう可能性があって、だから──アディンの言う通りなのかもしれない。私はレヴィカルで自分の実力を知りたかった。でも本当に得たかったのは人を傷つける、殺せる、そんな度胸なのかもしれない。
「アディンが……正しい。私、知ってる。力がないくせに主張したって意味がないんだ。無くなっちゃう。迷ってたらその間に消えちゃうんだ」
もう何度同じことで悩んだんだろう。
同じ結末に辿り着いて馬鹿みたいだ。結果を予測できるのにもう一つを捨てきれず、それで全部無くなる。
『ごめんな……。約束……守れそうにない』
もうあんな気持ちになるのはごめんだ。叶えたいことが沢山ある。それを叶えるためには力が必要で、だから……いい加減思い知れ私。覚悟を決めろ。
「殺さなきゃ……」
──殺される。
そこまで考えてはっとする。私は一体なにを考えてる?なんでこんな怖いことを……確信してしまっているんだろう。オカシイ思考回路に変な汗が出てきて心臓が不規則になり始める。怖い。あの音が聞こえる。ポチャン、ポチャンって……っ!
「面白い女だな」
「へ……え」
いつのまにか蹲っていたらしい。顎になにか触れたと思ったらそのまま起こされる。アディンの青い目が真正面に見えた。
「なにをそんなに迷う必要があるのか……やはり私には理解できない。そのときが来たら迷わず殺せ。殺してしまったなどとそのような想いはあとで持てばいいだろう。死ねば懺悔もできまい」
思いがけないアディンの言葉に驚いてしまう。
アディンの指が私の頬をなぞって零れていた涙を拭った。
「ここまで言ってもお前は弱いくせに相手に哀れみを感じるのだろう。それはそれでいい。だが切り替えろ。もっと要領よくやれ。とりあえずは殺さずとも潰す方法はいくらでもあるのだからそれを覚えればいい」
「……そう、だね」
切り替える、要領よくやる。印象的な二つの言葉が頭を駆け巡る。
悩んだり後悔したりする自分を引きずりながら、だけどソレが出来るように変えていく。殺さずとも潰す方法、だっけ。それはどういうものがあるだろう。できるだろうか。
間近にアディンの顔が見えるのに思考に耽っていたからだろうか。またアディンが笑う。初めて見たときのことを思えば人形のようには思えない表情の変わりようだ。
「527番、次の仕合楽しみにしている」
唇をつりあげ微笑むアディンを花火が照らす。薄暗くなりつつある空に色とりどりの花火が次々とあがっていった。
今日最後の仕合が始まる。




