28.村だった場所
リガーザニアを発つこの日、晴天だった。雪落とす鬱蒼とした雲はどこにもなく晴れ晴れとした空。これをリガーザニアの住民はアムルズというらしい。この日だけリガーザニアの住民は家から出てきて狩に出たり焚き木を取りに行ったりと生活に必要なものを仕入れる。
「リガーザニアにこれだけの人が住んでたんだ……」
「な。今まで一人二人ぐらいは見たけどこんなにいると変な感じだよな」
せいぜい十五人程とはいえリガーザニアに雪と山の印象しかなかった私たちにはリガーザニアの住人が行き来する姿は新鮮で見慣れない。
「まだ少ないぐらいだ。リガーザニアの人口はもっと多いよ」
「ええ……」
驚く私と晃になんてことないように話すリオの話が嘘めいて聞こえてしまう。それほどイメージがつかない。
リガーザニアの住人はシャイな人が多い──閉鎖的という言葉のほうが正しいか。リガーザニアの住民じゃない私たちを見つけた瞬間、視線を逸らすどころか家に入ってしまう人が多かった。子供は手を振ってくれる子もいたけど両親が子供の背を押して私たちから離してしまう。これはちょっと傷つく。
振っていた手をおろしながらため息を吐けば、似たような溜息を晃が吐いた。
「ダラクおせえな……」
「私たちの代わりに手続きしてくれてるんだからそんなこと言わない」
「遅いよね」
「さては晃たち暇なんでしょ」
いまダラクは宿を出る旨を宿の主人に話してくれていて私たちはお留守番だ。でも確かにダラクが宿の主人に会いに行ってから時間が経っていた。リオと晃はぼおっと空を見上げていて魂が抜けたような表情をしている。晃は昨日まで続いていた過酷な訓練のせいだろう。
まあ、私も暇なんだよなあ。
偉そうなこと言っているけど私も手持無沙汰で二人に並んでぼおっとしてしまう。すると視界の端に走り回る子供が見えた。ピンとくる。
「うっわ!冷てっ!」
「ユキ、わっ」
「あはは、2人とも隙だらけ!」
二人は私が雪玉を作り出したのにも気がつかなくて、特別大きな雪玉を振りかぶってもまだぼおっとしていた。お陰で見事命中して二人とも頭から雪をかぶって無様な姿だ。普段すましていることが多い二人だから間抜け面が余計笑えてお腹を抱えていたらお返しを食らう。私に抗議をする晃の後ろに隠れてリオも雪玉を作っていたらしい。憎たらしく笑うリオを見返した瞬間、ゴングが鳴った。
始まった雪合戦をリガーザニアの住人が遠くから見ていた。大人は呆れたように子供は楽しそうな顔をしている。私たちは人の目も気にせず大声を上げて雪合戦に興じた。
楽しかった。……本当に楽しかった。
受付を済ませたダラクが帰ってきたときには私たちはひどい有様だった。そんな私たちを見てダラクは呆れたような顔をして笑い、いくらか話したあとそのままリガーザニアをあとにすることになった。
雪が解けて髪の端から水滴がポタリと落ちていく。
ダラクが呆れたように笑う前に見せていた表情がとても気になった。なぜか、ダラクは感情を落としたような無表情をしていた。
「ねえ、なにがあったの……」
私の呟きを聞く今のダラクと同じ顔だ。
ダラクは血のついた手をだらりと垂らしていて、じっと私を見下ろしている。私?いや、私じゃなくて私が抱いている女の子を見ていた。血を流す女の子は目を開いたまま、ぴくりとも動かない。
小さくて柔らかい手はどんなに力を込めて握っても反応せず、私が動かすとおりにしか動かない。女の子の血が私につく。もう私が血を流しているのか女の子が血を流しているのか判別できないぐらい私たちの手は真っ赤だ。
「なんで、こんな」
リガーザニアを出て行きとは違った洞窟を通りぬけた数時間後、リガーザニアの面影はなくなって気候は温かいものになっていった。空を覆う森は相変わらずだったけれど寒さから解放されて休憩中に上着を脱ぐたびに爽やかな気持ちになった。身軽になった身体はシルヴァリアに向かう道をすいすい進んでいく。そんな幸せな私の鼻を掠めたのは危ない匂いだった。気がつかなければよかった。だけど進むたびに強くなっていく臭いは間違いなく血の臭い。誰かの血の臭いを強く感じ取れるぐらいだ。そこがどんな場所かは想像に難くなかった。
私たちはそこへ走って──これだ。盗賊なのかなんなのか分からない。だけど何者かによって村がひとつ滅ぼされていた。
手のなかには確かに現実があるのにすべてを否定してしまいたい。
「闇の者じゃないね。人の仕業だ」
リオの声が聞こえる。声は固いもののあまりにも普段通りに聞こえる声。信じられなかった。家は壊され村の人全員が悲惨な姿で死んでいるのになんでこんなに狼狽えずに見ていられるんだろう。
私の手のなかで眠る女の子は小さくて五歳にもならないんじゃないだろうか。埃や土にまみれて汚れてしまった金髪の間に木片や血が紛れてる。血の涙を流す瞳はなにを見ているんだろう。
嘘でしょ。ねえ。
女の子の身体を摩る。女の子は服がはだけていて、温かい気候とはいえ寒そうだった。女の子が揺れるたび鼻をつく臭いに吐き気が込み上げたけど、私にはこれしかできなくて、頭のどこかで無駄だと気がついているのに手を止められない。
不吉を思わせる鳴き声を響かせる鳥があちこちにいる。きっと旅をしている最中だったら虫以外の生き物だし興奮して鳥の名前を聞いていただろう。でもとてもあの鳥の名前を覚える気にはならなかった。鳥たちは死んだ村人たちの身体を啄んでいる。異物だろう私たちを警戒する彼らは肉片をそこかしこに飛ばしながらこちらを見ていた。
村人たちは死んでいる。……女の子も死んでる。
いや、殺されたんだ。
「人がしたの?人が、人を殺すの?同じ人間だよ?」
信じられなくて言った言葉にふっと思い出す。これは前の世界でも見たことがある光景だ。なにを言ってるんだろう。そうだ、前からこんなことはあったんだった。
「普通だろう?それに人じゃなくてもそうだ。人じゃなかったら殺していいだなんて、そんなことないだろう?」
ひどく落ち着いた声が聞こえて顔を上げれば、微笑むダラクがいた。
「生きるためになにかを殺すことはあるだろ?食い物だってそうだ。 肉はなにか生きていたものの肉だ。それに善悪はつけられない。お互い様だからな。食って食われて。生きるために、だ」
「……生きるために殺すのと、私利私欲のために殺すのとは、違う」
ダラクの言葉を頭の中で噛み砕きながらようやくの思いで反論できた。それなのにダラクは馬鹿なことを言う子供でもみたかのように笑った。
「生きるために食べる。食べるためにそいつを殺して食べる。それは生きるためだろ?」
「……そうだよ」
「目前に自分の命を狙うものがいたなら殺すのは生きるためじゃないか?」
「でもこれはただの虐殺だよ……。生きるためじゃない、そうだとしてもこれはおかしい。自分の快楽のためじゃんか。分かんない。分かんないけどこれは違う!」
ひとつひとつ確認してはいないけれど、家の中から取り出されれた空の箱や近くに見える家のなかの状態を見れば物取りのために行われた犯行だと考えられる。これは略奪だ。私欲のための虐殺だ。
「じゃあユキ。お前はこれをした奴らのなにを知っている?生きるためのものとは考えないのか?生きるために必要な金を盗ったんじゃないかって」
ダラクが理解できない質問をしてくる。驚き過ぎて、目尻から涙が零れた。ダラクは感情をうかがえない表情で、でも見続けていると雑談の間にも見せる表情で笑った。
「ダラクは許せるの?こんなこと……!」
笑うダラクに見当違いだと分かっていても腹が立って募る感情のまま詰ってしまう。
そして、後悔した。
「ユキ」
ダラクは私の腕のなかにいる女の子を見て微笑み、私を見て表情を消した。
「……どんな奴だって自分の信じる道を通って生きてんだから自分と同じ道を生きることがない奴だっているんだよ──だから衝突が起きる。そのときはな、ユキ。どんなに苦しくてもけじめをつけなきゃならない」
丁寧に話されるダラクの言葉が頭の中に沈み込んで私の呼吸を奪っていく。ダラクが私を見る目は、この惨状を起こした誰かを見る私の目と一緒だろう。
ダラクの耳元にあるピアスが風で揺れてダラクの頬を撫でたらしい。ダラクはピアスを触ったかと思うと、それはそれは優しい表情を浮かべた。
「相手は相手の正義を、自分は自分の正義を持って……それが答えだ」
思い出すのは雪降り続ける深夜、ダラクが話してくれた昔話。
『目の前で全てが無くなった少年は気が狂いそうになり、だがそれを止めて誓いを立てました。全ては幸せを獲った者たちに』
許せる訳がないんだ。
そうだ、きっとダラクの旅の目的は復讐だ。
『こんな時間にごめんね。寝てたよね』
リオの家でした会話が私の不安を煽るように頭のなかを流れる。私とダラクが対峙する未来を考えるリオとダラク。私はこんなに強い人と戦いとはまるで思わないけれど、もしそんなことがあるならと行き当たった答えはダラクを止めたいときぐらいだった。
出来るんだろうか。
そもそも私はダラクの復讐を止めたいと思えるだろうか。
「覚悟は、できているか?」
ダラクの言葉に頭がくらりとする。最後に見えたのは真っ青な空。私の名前を叫ぶリオと晃の声が響いていて、誰かが地面に倒れかけた私を抱きとめた。




