20.遠い遠い──
今日も森を歩いている。冷凍庫の中のような冷たい空気充満する森は今日も絶好調に暗かった。ここまでくると面白くもないのに笑ってしまいそうになる。はは、ははは。
そんなふうに頭がおかしくなりそうになった頃だった。なんだか違和感を覚えた。冷たい空気。それは変わらない。だけどそれが私の肌を撫でていくのだ――冷たい風が吹いている。もしかしてまた穴だろうか。そう思って顔をあげたとき不思議なものを見つけた。暗い森のなかふわふわと落ちてくる白い粒。一瞬チリかホコリのようにも見えたソレは、私の手にのると体温でしゅっと消えていく。雪だ。慌てて空を見上げると、あんなに隙間なく天井を覆い尽くしていた葉っぱがあまりの寒さに枯れてしまったのかと思うぐらい少なくなっていた。つまり空が見えた。綺麗な綺麗な青い空。それが進行方向に向かうにしたがってどんどん広がっていく。
予感がした。
確信が欲しくて先を歩くダラクを見てみれば、ちょうどこちらを見ていたダラクが素晴らしい微笑みを浮かべてくれた。
「この洞窟を抜ければもうリガーザニアだ」
洞窟。リガーザニア。……ということはこの森から脱出できるわけで。
驚いて止まった脳がそれだけ理解した瞬間、ジャンプしてしまいたくなるぐらいの嬉しさがこみ上げてきた。思わず走って素晴らしい知らせをくれたダラクのもとまで移動する。そこからはもう大きな洞窟が見えていた。
ここを抜ければリガーザニア……!
嬉しくて嬉しくて、ダラクの手を引っ張る。
「ダラク早く行こう!」
ご機嫌な私を見るダラクは苦笑交じりの笑顔だったけど気にならなかった。もう森は十分堪能したしとにかく違う場所へ行きたかった。ここよりもっと寒い雪国だって構わなかったぐらいだから、普段馴染みのない洞窟なんて最高以外のなにものでもない。
「リオも早く-!」
追い抜いてしまったリオを呼べば微笑んで手を上げるのが見えた。こちらも苦笑交じりの笑顔だ。でも構わない!
目の前にある洞窟は大きくてなかは暗い。前の世界でも馴染みのない洞窟だから見ているだけで気分はあがる。当たり前だけど電灯なんてなくてただただ暗くて……あれ?森を歩くより危ない気が……。
でもまあ森から脱出できるのは確かだから、口元は緩む。
「……分かってるんだ」
「……え?なにが」
先に少し中に入ってみようとしたとき、ダラクが呟いた。振り返ればさっきと変わらない顔をしたダラク。……どうしたんだろう。まさか私がはしゃぎすぎてひいてるんだろうか。なにが?と首を傾げてみたら、ダラクはゆっくり頭をふる。
「いや、なにも?」
つっこみたいけどこの笑い方をしてるときはなにも言わないだろう。それが分かって聞くのを止める。
「そっか。なら早く行くよ!リオも急いで!」
「ちょっと待て。明かりを作るから」
「え?」
興奮する私を止めたダラクがリオと一緒に恐らく魔法で手元に明かりを作った。暗い森のなかぽうっと光る球はとても綺麗で幻想的なものにも見える。
「うわ綺麗……。それ、私もしてみたい」
「……あー」
「……とりあえず試してみよっか?」
当然の反応だろう私を見る二人の視線が聞き分けのない子供を見るようになっていく。いや、確かに魔法あんまりうまく使えないけどさ?やってみないと分からないわけだし、最近は魔力なんてものが分かるようになったんだし少しは――なんて心の中でブツブツ言って数分後。なにを間違えたのか明かりを作るはずの魔法は小さな爆発を引き起こしてしまった。おかげで二人からは洞窟の中で魔法の使用は絶対に禁止とキツくキツく言われるはめになった。
この使えない魔法め……。
トンネルのような洞窟は入ってみるとこれまた予想以上に広かった。洞窟の中って狭いイメージがあったんだけどな……。奥行きもそうだけど高さもある。それだけ広い空間なのに、どこからも光は差し込まず端から端まで真っ暗。ダラクとリオの魔法の明かりがなかったらとてもじゃないけど歩けやしない。これは何気に危ない。
もし二人とはぐれて迷子になったら?
こんな暗闇のなか一人きり。どこを見ても真っ暗闇で、自分の姿さえも見えなくなってしまう。想像するだけで分かる。それは絶望を思わせる独りの空間で――救われそうな安堵をもたらしてくるだろう。
ああ、なんて――
あれ?
はたと気がついて足を止める。私なに考えてるんだろう。普通にこんな場所で一人きりとかただ怖いだけなのに……救われるとか。
でもその状況を考えるだけで鼓動が早くなる。喜ぶようにドクンドクンと強く脈打つ心臓。指先からつま先まで血が流れていくのが分かる。期待に震えるように渇く喉がごくりと鳴いて――私、おかしい。
それが分かるのに考えを改めるとかせずに、止まったせいでどんどん遠ざかっていく二人の姿をぼんやり眺めるだけ。
ユラユラ揺れる小さな明かりは彷徨う魂みたいだ。思わず伸ばしてしまったらしい自分の手がソレを捕まえようとしたけど、消えてしまう。掴んだはずなのに手の中にはなにもなくて、視線を戻せば更に小さくなって漂い始めた魂がまた二つ。
「あ、れ」
なぜか泣きたくなった。
見えてるものを隠すように手で遮れば見えなくなるのは当たり前だ。なのに実際そうなってしまうと、そうしてしまうと辛くてしょうがなかった。
宙を切る手にはなにも残らない。
知ってる。
なのに辛くて、悲しくて、悲しくて、悲しくて……っ!
心臓が熱に酔ってぶるりと震える。
おかしいおかしいとは思ってきたけど、自分で自分のことが分からない。なんだか、もういいや、って思ってしまった。だからその場で立ち止まって消えていく命綱の明かりを他人事のように眺めていた。一応、声を出してみようかとも思った。 遠ざかる姿に『待って』と言うだけでいい。でも声が出なくて、代わりに足が後ろに一歩下がる。点になった光から目を逸らせば、ほら、簡単だ。真っ暗闇が広がっている。
ああ、なんて……魅力的なんだろう。
望みどおりの真っ暗闇が私を覆う。私の手に何も残さないけれど、私を攻撃することもない。怖くて優しい大事なもの。
……ああ、そうだ。
思い当たって呆然としてしまう。私はこの感覚を前にも味わったことがある。だからこんなに動揺してるんだ。小刻みに震える手をおさめようと拳を作っても隠しきれない。
デジャヴ。
ぶれる景色が脳裏に浮かぶ。違和感を覚えるソレが、不自然な息苦しさをもたらしてくる。なにかを訴えるように間隔を狭めていくソレが、何度も何度も私の頭を流れて私を急かす。
……行かなきゃ。
いつかと同じような気持ちが沸いてくる。だけどあのときとは違って足が動かない。
動かせたのは真っ暗闇と反対側。
「今はまだ駄目」
気がついたら私の口はそう言っていた。
なにが駄目なのかは分からない。自分がなんでこんなことを言っているのかだって分からない。なんで私はこんなに焦りと不安を覚えてるんだろう。
それになんで私はこんな訳の分からない独り言を誰かに聞かれてないかって不安なんだろう。
「今は」
理由は分からずともこれは言い訳の言葉だ。でも言わないと駄目な気がした。胸に込み上げてくる名前のつけられない感情が私の心臓をひっかいたのか、痛みを残していく。前の世界で感じたものと同じだ。なんの変哲のないものなのに、見ていると急に色んな気持ちがわっと沸いてきて胸がいっぱいになる。
それがなぜかこの世界に来てから更にひどくなっていく。懐かしい――悲しい――切ない――愛しい。そんな感情に不安が入り混じって最初に思っていたものを消していく。そこに病気を疑うぐらいノイズがかった声やブレた映像が何度も頭に流れてきて私はまた思う。
早く、 早くしなきゃ。
もう頭がおかしくなりそうだ。自分でもうまく説明できない現象が収まるのを深呼吸してひたすら待つ。その間なんの抵抗なく浮かんだ言葉はさっきの言い訳だった。今はまだ駄目。今はまだ駄目……。
もう大丈夫。
頭のなかがすっきりして、走った。微かに見える小さな二つの光。頬を伝っていた汗が風で冷えて私に寒さを訴える。この先にある場所に近づいているのを知らせてくる。静かな洞窟に響く砂利を踏む音。光は遠く足元なんてほぼ見えないのに不思議と私は一度も転ぶことはなかった。だけど二人のすぐ近くまで来たとき安心のせいか足の力がなくなってぐらりと身体が傾く。
踏みしめた足が思いの外大きな音を立ててしまって、振り返った二人を呆れさせてしまう。
「なに遊んでんだよ。もう少しで着くから落ち着け」
「どうしたの?あ、もう少し光強くしようか?」
2人の反応に、言いかけた言葉を飲み込んで、笑う。
「いいから。ほら、早く進も」
今度こそまた一緒に歩き出す。さっきまでと打って変わって明るい空間。会話さえあるしお互いの存在がとても近い。足元に当たる光に映る自分の足はしっかりとした形を作っていた。
さっきの場所、なんだったんだろう。
二人は私が離れたことに一切気がついていない。魔が働く森があるように、この洞窟も魔が働いているんだろうか。私はそれにあてられた……?
答えは出ない。
それを二人にも聞けない。聞かない。だってこれは私だけのものだ。二人には関係ない。
「リガーザニア楽しみ!」
二人の話を聞きながら、笑う。
そして一時間も経たないうちに、今まで以上に冷たい風を感じた。いつの間にか足元だけを見ていた顔をあげると、魔法で作られた淡い黄色の光とは違う、真っ白な光の点が目に映る。それはどんどん大きくなっていって外の世界を知らせてくる。
純白の世界だった。
どこを見ても真っ白な雪で染められている。全てを覆う白はあまりにも綺麗で、目を焼くほどの輝きを放っていた。なんだか凄くワクワクしてきた。吐いた息が真っ白になって空に浮かんで消えていく。
別世界だ……。
白く縁取られた山脈に囲まれた村が見える。守るように、逃がさないとでもいうように村を囲う広大な山は雄雄しく、どこか怖さを感じさせる。静かな場所だ。人の気配を感じさせない。けれど、何十もある煙突から吐き出された煙がそこで生活している人がいることを教えてくれる。どんな人が居るんだろう。どう生活を営んでいるんだろう。山に、木に、家に降り積もる雪はまだ足りないとばかりに吹き荒れている。この止む気のない雪と一緒にどれだけの時間を過ごしているんだろう。考えるだけでワクワクする。辺り一面に目を走らせて――
「……っ」
興奮を一気に冷めさせるヒヤリとした視線を感じた。なにか魔法でも使ったのか鳥肌がたつほどのソレは道筋を作っていたから、当然そっち方面を見てみたけれど誰もいない。そこには他と比べて一際高い山がある。眼を凝らしてよく見れば山を鋭利に刻む崖の奥には洞窟が見えた。小さな光を放っている気がする。ということはあそこに誰か居る?いや、これはきっと居たっていうのが正解だろう。
確かなのは誰かがゾッとする悪意をもって私を見た、もしくは私になにか魔法を使ったということ。
誰かは私を見ていた。
私だけを見ていた。
「やっと着いたか」
ダラクの言葉にはっとして、慌てて思考を中断した。
痛いほど分かってる。ああいう視線はなにか厄介ごとを孕んでいるものだ。あの視線の持ち主は間違いなくなにかを起こす。それも私に対して。こうういことに目ざといはずのダラクとリオが一切気がつかなかったぐらい注意を払って私だけに悪意を向けてきた。
あれにダラクたちを巻き込みたくは無い。
「ここがリガーザニアなんだね……。着いたんだっ」
だってあれは私のものだ。
笑みに頬が緩む。これからを考えて震える手が抑えられない。二人にバレてないだろうか。大丈夫かな?ちゃんと、目的地に着いて喜んでるんだって風に見られてるだろうか。
……大丈夫だ。少なくともそれも本当だから。
杞憂はあるものの、ようやく着いたのだから興奮しないわけがない。長かった道のりを思い出すと涙が出そうだ。寒かった……暗かった……気持ち悪かった……しんどかった……。
乗り越えたんだ。あの道を私は乗り越えたんだ!頑張った! 私、頑張った!
「……落ち着け」
「よし早く行こうよ!まさかここで野宿はないでしょ!?早く 泊まれる場所を探しに行こう!」
一番乗りしよう!
密かに心に思いながら、ここから一番近くにある大きな家へ進む。ダラクとリオが顔を見合わせて苦笑いを浮かべたのは知ってるけどもう気にもならなかった。何度その表情を見たと思ってる。それにそんなこと気にならないぐらいの興奮が胸にいっぱいで幸せだった。
ラミアの城下町に初めて足を踏み入れたときのことを思い出す。なにか始まる気がするんだ。なにか……っ!
雪を握り締め空に飛ばす。なんだかんだ言いつつダラクも私と同じようにはしゃいでいるみたいで、雪玉投げつければ反撃してくる。なかなか痛い。いや、負けない!ダラクに参ったと言わせるために硬い大きな雪玉作って私も反撃。うまくできたみたいで「石入れやがったか!?」とダラクが叫ぶ。
なんだか凄く楽しかった。
この際だから普段じゃ絶対にこんなこと出来ないリオにも雪玉をぶつけてみよう。そう思ってリオを探したけど、どこにもいない。
「リオー……?」
始まった雪合戦に嫌な予感がしたんだろうか。木陰で休んでる?
真っ白な世界を見渡すけれど、あのぴょこぴょことはねたマスタードの髪を見つけられない。
境界が分からなくなるぐらいの白い世界に聳え立つ山々、真っ白な服を着た木々、静かにその世界で暮らす村の姿、彼らを見下ろす灰色の雲、埋め尽くす青い空――変化は突然だった。
「な、んだ?これは」
世界が光る。そんな錯覚を起こす。
それ程まで眩しい光が突然、視界の全てを多い尽くした。
1章完結
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