11.気づかれた
小屋を出て数時間。休憩の合間に僅かに震える足に嫌気がさしていた。
あともう少しで着くだろう、なんて根拠のない考えをしていた私が浅はかだった。歩けど歩けど目的地である町に辿りつかない。見晴らしのいい草原を歩けているのがせめてものの心の救いだ。
牧草地のように延々と続く緑の絨毯、地平線を飾る森の姿、太陽の陽光る空――壮大な景色に癒されながら、ひたすら置いていかれないよう歩き続ける。
知らない土地で知らない場所を目指して歩くのは思いの外疲れるものだった。土地勘がないと距離は勿論かかる時間などが計れなくて体力消耗意が大きい。しかも日頃何時間もぶっ通しで歩くことのなかった私にはきついことこの上ない。
「もう少しだから頑張りな、ユキ」
少し斜め前を歩いていたザートが振り返りながら前へ指をさした。
もしかして。
気持ち急ぎながら坂を上って先を仰ぐと、そこには時々思い出したように現れる岩ではなく、鮮やかな色彩を持った街があった。草が風になびいて音を出す。日差しが気持ちいいことを思い出した。
「その様子だと大丈夫そうだな」
「大丈夫ですー」
「でも丁度いいから休憩しよーか」
ダラクの憎まれ口に口を曲げて返す。もうやり返す元気もなかった。だからザートの思いがけない提案につい大きな息を吐いてしまって、我先に草の上に腰掛けてしまう。二人が笑ってるのが見えたけど構わない。
もう僅かしかない水を少しだけ口に含んで、まだ遠い位置にある街を見下ろす。
なんていう街だろう。
どんな人がいるんだろう。
どんなものがあるんだろう。
「カルティルは初めて?」
「え?……ああ、うん初めて。ザートは行ったことがあるの?」
「よく行くよ。そんなに大きくない町だけど、仕入れにもラミアに寄るときの中継地点にも便利だからなー」
「ちなみにいつもはラミアからカルティルまでどれぐらいかけるの?」
「半日はかかるな。だから今日はいつもより早めに着けてるんだよなー。ダラク様!だな」
そういえばダラクは闇の者に憑かれたザート達と一戦したあと、転移で私が起きた小屋まで移動したとか言っていた。私とザートにそう言ったダラクはすぐに歩き出したから、なんとなく深く聞くことができなかった。歩かずに転移で目的地に着けるならどんどん利用すべきだって思うのに、それがそうできない理由もあるんだろうか。まだまだこの世界の常識も曖昧だから、下手にザートに聞くことも出来ない。
ちらっとザートの顔を見てみれば、にっこり笑って返されるだけだ。
やっぱり人懐っこい狐みたい。
だけど、なんとなく、なんとなく、やっぱり聞けない。
「どうした?」
「え、っと早めに着けると嬉しいの?」
「あー……人に会うから」
「……恋人?」
目を泳がせた姿にちょっと邪推してみると、ばっと視線が戻ってきて困ったように唇を吊り上げた。
「俺そんなに分かりやすかった?」
「態度でバレバレ」
なんだか可愛い。手を草に絡ませて足を伸ばす。
「ああー成る程ねー。ユキはそういう子かあー」
「そういう子ってどういう子?」
「他人のことには目ざとい子」
「観察力はあると思う」
「はいはい」
急にザートが年上のように余裕を持って話し出してちょっとムッとしてしまう。むくれてみればニヤニヤ笑われて子供にするように頭を撫でられる始末だ。
「なんかひっかかるなー。頭撫でて誤魔化そうとしてるでしょ」
「そんな訳ないって。それにユキの頭って撫でやすい」
「どうせ背が低いし。……彼女さん、どういう人?」
「えー?会いたいけどなんていうか会いたくないというか、いや、そんな訳じゃ、うん」
「なに動揺してるの」
「アイツのことを考えて動揺する訳ないでしょ、うん。ってかユキはダラクのことどう思ってんの?」
「なんで急にダラク?ああ、そういえばダラクどこ行ったんだろ。トイレ?」
「ブッ!よく分かった!!」
恋人のことを考えているはずなのに顔を青くしたり震えたりするザートに呆れていたら、質問に答えただけで大笑いし始めた。賑やかな人だ。目尻に涙を浮かべて笑い転げるザートを放置してもう一度街を眺める。
ああ、なんだろう。どこかで見たことがある気がする。
社会の教科書だっただろうか。挿絵でこんな街が載っていた。ポルトガルだったっけ?
「ダラクの好きな子、知りたい?」
「え?」
やけに耳に響いた声のほうを見てみると、笑い声はいつの間にか消えていて、代わりに笑い声を封じ込めたにんまりとした顔があった。
からかってきたのか。
文句を言おうと口を開けば、ずいっとザートの顔が近づいてなにも言えなくなる。狐みたいだった眼は驚く私を映しているだけになって、眉間にはシワが寄った。
「知らないだろうから一応言っとくな。ダラクは──」
まるで秘密を共有するように静かに言葉が落ちて消えていく。
驚く私は言葉を忘れてしまった。
「お前らなにしてんの?」
背後で聞こえた声に振り返ると、そこにはムスッとした表情のダラクがいた。
「べっつにー。なにもしてないよ?なっ、ユキ」
「えっ、うん」
慌てて口裏を合わせて──はたと気がつく。
なんでそんなことをしちゃったんだろう。
ダラクはちらりと私を見て眉をひそめたけど、追求することなく代わりに近づいてくる。
もしかして聞かれたんだろうか。
いや、いいじゃん。別に聞かれたって。
「ほら、これ。もうすぐなくなるだろ。汲んできた」
突き伸ばされた腕の先には皮袋があった。ちゃぷんと音が鳴る。
「……貰っていいの?」
「おう」
姿が見えなかったのは、へばっている私のために水を汲みに行ってくれていたからか。
なんでだろう。
手元にある皮袋を見ていると嬉しくなった。
「ありがとうダラク。……でもこれ、どこで取ってきたの?川あったっけ?」
「小さなのがな。音が聴こえたから行ってみたらビンゴだった。いまも聴こえるだろ、あっちのほう」
「どんなに耳いいの。普通に聴こえないでしょ」
お礼を言うとダラクは頬を掻きながら嬉しそうに笑った。ザートといいダラクといい可愛いなあ。なんだか胸がポカポカして凄く幸せ気分だ。
出発になってもそれは変わらず、休憩前に比べると嘘のように足取りは軽かった。遠目に見えていたカルティルはみるみる大きくなっていって、一時間もしないうちに着いてしまう。街を囲う外壁が途切れた入り口の向こうから、平和な光景が見えた。
「や、った……!」
「お疲れ」
感動して拳が震える。ラミアの城下町より規模は小さいけれど、街の隅々まで見渡すには一日では足りないほどの大きさだ。凄く見応えがありそう。しかもいまは昼も過ぎておやつの時間の頃合のうえ、大通りらしい場所には食べ物を出す露天が多くある。ごくりと涎を飲み込む。つまりはお腹が空いた。
「ガキみてー」
「五月蝿いダラク。ほら、ぼおっとしてないで早く行こうよ!」
「なにか食おうの間違いじゃね?」
「あ、ごめん。ストップ」
さあ行くぞ!とダラクの腕を引いたら、すまなさそうな声が聞こえた。
ああ、そうだ。
「俺はここでお別れだわ」
「そっか……」
「まあ、また会えるって。多分」
「適当すぎ」
「俺はもう会えなくてもいいわ。じゃあな」
「ダラクつれねえなーひっでー!」
猫を追い払うようにしっしと手を払うダラクに、ザートは笑う。
なんだか大丈夫な気がしてきた。
「きっと会えるね」
「会えるって」
携帯のないこんな広い世界でまた会えるなんて確率は低いはずだ。だけどなんの根拠もないんだろうけれど、ザートの言葉になんだか安心して笑えた。ザートが私の頭を撫でながら言う。
「なんか困ったことがあったら助けになるから覚えておけよ」
思いがけない言葉に驚く。知り合って一日にもなっていないのになんでこんなに優しいんだろう。頼りになるというか、頼りたくなってしまう。
お兄ちゃんがいるとしたら、こんな感じなんだろうか。
「んーそのときザートが側にいないと無理じゃない?……でもありがとう」
「ひでーその言い方はないでしょー?ま、頼りにしとけ」
「ん」
「……お前じゃ頼りね」
ダラクが鼻で笑いながらザートを睨む。どこか不貞腐れてるようにも見えた。するとザートは少し眉間にしわを寄せたと思うと急に満面の笑顔になって、私の頭を撫でていた手を私の左頬に添える。
「ユキこっち向いて?」
「なに?……え」
チュッ、と小さリップな音が聴こえたと同時に頬に違和感を感じた。
そして視界の端でダラクが私達のほうへ伸ばしていた手をその場に止め、見事に固まっているのが見えた。
頬にキスされた。
「約束の証」
ザートはにっこり笑いながら言う。うーん。
「証がなんでキス?」
「女の子にはキス。これ基本」
「どんな基本。これから私は例外で」
「ええー?それに意外な反応で、ええー?」
「どういう反応期待してたの」
「はは、気にしない気にしない。可愛いねえ」
急で驚いたけど頬だし特に気にすることでもない。それにザートが言うように挨拶みたいなもんだろうし、元の世界でも外国のスキンシップでよくある話だしね。心の中で言い訳しながら手で顔を仰ぐ。頭でそう思ってたって慣れてる訳じゃないんだし、しょうがない。
「気にしない、なあ」
「ひ」
暗い地を這うような声に変な声が出てしまう。声が出たほうを見ればダラクがにっこり笑っていた。でも凄く不自然な感じで、しかも気のせいが黒いものが漂っている。血管が浮き出るぐらいの握りこぶしは気のせいじゃない。怒ってる感じだ。
流石にザートも危ないと感じたのか、冷や汗をかきながらまるで無罪といわんばかり両手を上げてみせた。
「ほ、ほら!お茶目なジョークだって」
「てめえ!」
見事火に油を注いだザートは、眉間に青筋たてて追いかけてくるダラクから脱兎のごとく逃げまわる。
「早めに終わらせてよー」
「そんな!」
カルティルの入り口から少し離れているから人の往来は少ないけれど、邪魔にならないように道端に寄る。お腹空いたなあ。仲良く走り回る二人は道のない草原の上で叫びあっている。
よくもまあ、あんなに体力があるもんだ。
「なんだかなあ」
全力疾走で右へ左へと走って視界に映ったり消えたりする二人に笑いがこみ上げてくる。本人は必死なんだろうけれど(特にザート)、見てるほうは結構面白い。頑張れ~と何気なく声援を送ってみると、二人とも腕を上げて応えてくれた。どっちも頑張るんだっ!
……幸せだなあ。
ふと、そんなことを思った。
そんな自分に戸惑いを覚えながら辺りを見渡すと、応えてくれるかのように優しい風が吹いて草が足元を撫でた。風に促されて見上げれば、爽快な青空に白い雲が浮かんでいるのが見える。
凄く綺麗だ。
しばらく魅入ったあと、ゆっくり視線を元に戻せば二人はまだ走っていた。その姿を見るとやっぱり微笑んでしまう。
うん。私いま凄く幸せだ。
誰かが傍にいて一緒に笑って、ただそれだけのことなんだけど幸せだ。
お父さんとお母さんが事故で死んでしまってから泣いて泣いて泣いて毎日を過ごしていたあの時間からは考えられない。いつか時が解決する、なんて誰かが言った。前の私はこの言葉を聞くとそんなことばかりじゃないんだと思った。
でも、今は少し納得できる。
お父さんとお母さんが死んだあの事故のことを忘れたわけじゃないし、今も辛い。でもそれだけじゃなかったことを忘れていた。時間を置いて初めて知ることもあるんだ。
事故が起こる前、私は知らなかっただけで本当に幸せな環境で育っていた。起きたあとは幸せだったとは言い切れないけれど、いつも支えてくれている人がいた。それだけで本当は幸せなことで……。
晃、怒ってるかな。
なにも言わないでこの世界に来た。あんなにいつも私の幸せを考えてくれていた人だったのに、きっともう会えない。異世界に来れるなんてそうあることじゃないだろう。今だってこれが現実か疑う心がある。
会えないんだ。
震える心臓に拳をあてて落ち着かせる。あの男の手を取った瞬間、私は決めたはずだ。全部捨ててここに来た。私はユキで、それだけでいいんだって。
でも──祈るよ。
私はいま心から楽しいって思えて、笑えてる。どうか晃もそうでありますように。
私は幸せです。
いままで有り難う。どうか、どうか晃も幸せでありますように。
「う、げっ!」
突然ザートが叫んだ。
我に返って声がしたほうを見ると、存外近くに居た。叫んで止まったらしいザートがちょうどダラクにチョップされ、また叫び声が聞こえる。
どうしたんだろう。
そう思って首を傾げる私の横を女性が通り過ぎて、眼が奪われる。女性はヒールが似合いそうな雰囲気で、姉御なんて言葉も連想してしまうセクシーなお姉さんだった。
綺麗な背中のラインがよく見える大胆なカットをした服を着ている。ビキニに申し訳程度に布が追加されているだけの、セクシーなものだ。下はズボンとはいえ、この格好で外を出歩くのは相当な勇気がいりそうだ。それができるだけのプロポーションに尊敬を覚える。
高い位置でポニーテールにされている黒く長い髪が、女性の動きに合わせて揺れている。背中にまで届く長い髪だ。ほどけばどれほどの長さだろう。
髪をふりほどく姿を想像して思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。
女性はまっすぐザートのほうへ向かって行った。ザートはそんな素敵な女性を見ながら口元をひくつかせ、硬直している。
「シリア……」
掠れたザートの声に、シリアさん?はザートの目の前で立ち止まってにっこりと笑った。気のせいか怖い。
「アンタ荷物の回収にどんだけ時間かかってんのよ?」
迫力あるドスの聞いた声に震えるザートは一向にシリアさんと目を合わせない。ちらちらとシリアさんを盗み見する姿は、シリアさんより背が高いはずなのに、凄く小さく見えた。
「いや、色々とありまして、その」
「あ゛?」
「申し訳ありませんでした」
「ブッ」
不機嫌そうなシリアさんにザートはすぐさま謝罪をした。唖然とする私と違って、すぐ近くでその様子を見ていたダラクが噴出す。
「最初っからそう言っておきなさいよ、このアホ」
「……はい」
会話の内容はともかく親しげな様子だ。もしかしなくても、この人がザートの恋人さんじゃないだろうか。ダラクと目が合う。思いは共通だった。
完全に尻に敷かれてる!
「で、アンタ達誰よ?特にアンタ」
「え!私達?!」
眉間にシワを寄せた不機嫌そうな顔がぐるりと私のほうを見たこともさることながら、突然会話をふられて動揺しているとダラクが助け舟を出してくれた。
「あー、ほら、道中で会ったんだよ」
「アンタには聞いてないのよ」
「……すんません」
ここにもヘタレがいた。もう少し頑張ってほしかったけど、ダラクを謝らせるなんてシリアさん凄い。
「で?」
ぼおっとする私を問いただす低い声にこれ以上返事を遅らせるのはまずいと直感した。
「わ、私はユキと申します。そしてこっちで……笑ってやが……ダラクです。ザートとはラミアを出てから知り合って目的地が一緒ということでここまで来ました」
あたふたしている私が面白かったのか、ダラクが笑っていたから肘で脇を突いてやった。シリアさんは表情を変えず話を聞いていたけれど、紹介が終わると表情を緩めてくれた。
「そう。アンタユキって言うんだね。よろしく。私はシリアよ」
堂々とした姿に初対面だというのに憧れを抱いてしまう。
昔から人に頼られることのなかった私はシリアさんみたいにいかにも頼れる姉御という人を見ると憧れを抱かずにはいられない。
「よろしくお願いします、シリアさん」
私のたどたどしい返事にシリアさんは優しく微笑んでくれた。ぼけっと見惚れてしまう。シリアさんは凄い美人だ。い、色気?大人の女性って感じだ。うわー!こんな女性をおとしたザートって凄い!
「ああごめんなさいねユキ。ちょっと時間が押してるからこれで。また会いましょう。はい、これ」
シリアさんは大胆にも胸に手をつっこんでなにか指輪みたいなものを取り出し、私に寄こした。
ゴツゴツした太目の指輪で、内側になにか文字が書かれている。
「じゃあまた。あとそこのアンタも」
「あー」
ダラクは先生に怒られた子供のように視線を逸らして手を上げる。その姿に今度は私が笑ってしまった。
それに文句を垂れるダラクと一緒に、シリアさんに引っ張られていくザートが「ばいばーい」と手を振るのに返しながら二人が街の中に消えていくのを見送る。
少し間があった。
「なんだかんだ言って結構お似合いだったね」
「だな。あ、ソレ見せてもらってもいいか?」
「ん?いいよ」
ダラクは貰った指輪を興味深げに色々な角度で見て、意外そうに言った。
「あいつら結構いいもん持ってんじゃん」
「え?」
「普通じゃなかなか手に入らない代物だ。これはコクトって言うやつで、これと全く同じものを持っている奴と会話できるようになってるんだ。精巧な魔法で作られた……まあ、いわば通信機みたいなやつだな」
「じゃあ、ほんとにまた会えるんだ」
返された指輪を握り締める。
「だろうな」
「これどうやって使うの?」
「内側に書かれてる文字を唱えればいいんだよ。つっても、魔力ないと無理なんだけどな」
「えっ、じゃあ私使えないじゃん」
そうだった。この世界での課題に魔法のこともあった。異世界から来た私には魔法なんて使えるはずがない。
あからさまに落ち込む私を見てダラクは困ったように笑う。
「いやどっちにしろ使うのは難しいからさ。その指輪は制約があって、その指輪の持ち主を知っていないと駄目だし、お互いが同時に相手のことを考えないと話すことができねえんだよ」
「……それってなかなか難しくない?相手が自分と話したいって思ってるのなんか分からないし」
「自分はともかくとして、相手が自分と話したいのかどうかは分かるぜ?今だったら……指輪、冷たいだろ?」
ダラクが指輪を指しながら言う。確かに冷たい。
「相手が話したいと思ってるとき指輪は熱くなって持ち主が気づくようにしてくれる」
「へー!じゃあつけとこっと」
魔法が使えなくてもザートとシリアさんが私のことを考えてくれたらすぐに分かように、右手の人差し指に指輪をはめる。そのときはダラクに魔法を使って頂くとしよう。
「ちなみに内側にはなんて書かれてたの?」
文字は見たことがあるものだった。英語の筆記体のようなもので、癖が強いのか元からなのか分からないけれどなにが描いてあるか分からない字。
当然の質問にダラクは驚いた顔をして言う。
「読めねえの?」
「うっ……読めない。私の世界と字が違うから」
文字が読めないことに本当に驚いているダラクの様子に恥かしくなって俯く。
そういや私文字読めないんだ……ああ、また課題が増えたよ。なんか旅をして課題を解決しようとしてるのに増えているきがする。
「そっか。ユキの世界ってこの文字じゃねえんだな。まあ、覚えるだろうし話すことは出来るんだから大丈夫だろ」
「んー、まあなるようになるよね」
完璧に人事で話すダラクに曖昧に返事をしながら、新たに増えた疑問に頭を悩ませる。
なんで私は文字が読めないのにこの世界の言葉が話せて内容が分かるんだろう?文字と言葉は共通じゃないんだろうか。
「レィノアって書いてんだよ、それ」
「え?」
「指輪に書かれた文字」
「あっ、そっか。ありがとう」
質問に答えてくれたんだと理解したときにはダラクはもう街のほうへと歩き出していた。
「わ、ちょっと待って」
慌てて追いかけて、止まる。
ちょっとだけ。
そんな好奇心が指輪から離れなくて、ちょっとだけって、ザートとシリアさんの顔を思い浮かべてみる。
どうせ魔法なんて使えないから。でも、ちょっとだけ。
そう思って言葉を呟こうと口を開いたとき、自然に、さっきちらりと見た文字が頭に浮かんで、ダラクが教えてくれた言葉の読み方が重なった。するとさっきまではまるで知らなかった言葉が、何故か、大分前から慣れ親しんだもののように読めた。
心臓がどくん、どくんと急かすように鳴る。予感がして、息を呑んだ。
きっと、いや、まさか。
遠くでダラクが私を呼ぶのが聞こえた。我慢しなきゃって思うのに、もう口は動いていた。
「”レィノア”」
その声は確かに私が声を発したはずなのに、自分の声じゃないようだった。
唱えたと同時に凄まじい風が私を中心にして辺りに吹きわたる。春一番のようにどうっと声を出す突風はカルティルの大通りにも届いたらしく、人々の声が聞こえた。身体がビリビリと痺れるような感覚に襲われる。私を慰めるように地面から芽吹いた草花が足をくすぐった。
風が吹き止んで、髪の毛がふわりと顔にかかっていく。きっと私はひどく間抜け面をしているだろう。
私を見て信じられないと気持ちをあらわにしているダラクの様子に手が震えた。一瞬足の力が抜けたのかよろめいてしまう。
魔法が、使えた。
そしてきっとこの感じだと、異常なレベル。
「え?」
異世界にやって来てまだ二日目のことだった。




