第2話「サラリーマン、ゲームを買う」
――遡ること、数カ月前。
無機質な蛍光灯が照らすオフィスで、僕はただひたすらにパソコンと向かい合っていた。
響くのは自分のキーボードを叩く音と、時折聞こえるサーバーの低い唸り声だけ。
――いや、もう一つあった。
仕事をサボっている同僚たちの、楽しそうな雑談の声だ。
「いやー、ワーキャンまじでおもしれーわ」
「昨日のレイド、最高でしたね! ギリギリだったけど!」
ワーキャン。
今、全世界で大流行中のフルダイブ型VRMMO World Canvas Onlineの略称だ。
僕の職場でも例外なく、雑談の話題はいつもこれだった。
「なぁ、祥子も一緒にやろうぜー。まじで楽しいから!」
「えー、でも私、戦いとか苦手だし……」
「戦いだけじゃないぜ! 景色見なから散歩するだけでもいいし、自分の家を建てて、のんびりペットと暮らすことだってできるんだ」
そう。ワーキャンは『魔法の世界で、自由を描け』というキャッチコピーの通り、とても自由度の高いゲームらしい。
「しかも浅峰さんがいるから一気に強くなれるぜ。なんたって、浅峰さんのギルドは日本のトップクランだからな!」
「えー、浅峰さんってそんなにすごいんですか?」
その声に、ひときわ大きな声が得意げに割り込んできた。
「まぁな。このゲームで俺の右に出る者はいないぜ」
浅峰。僕の同期で、自他共に認めるゲーマー。
その世界では《勇者アーサー》として、トッププレイヤーに君臨しているらしい。
現実世界でも、その自信満々な態度は変わらない。ホントはもうちょっと働いてほしいんだけど……なんて、僕に言えるはずもなかった。
定時を告げるチャイムが鳴った瞬間、それまで談笑していた浅峰が待ってましたとばかりに立ち上がった。
そして、急に僕に声をかけてくる。
「あ、もう終わりか……なあ、タマオ!」
タマオ。僕の田凪真央という名前を縮めた、彼が僕につけたあだ名だ。
誰も注意しないから、いつの間にか定着してしまった。
「……どうしたの?」
振り返った僕に、浅峰は悪びれもなく数枚の書類を押し付けた。
「悪いけどこの仕事、やっといてくんね? 俺ちょっと忙しくてさ」
「え……」
それは、どう見ても彼が今日一日サボっていた分の仕事だった。でもここで断れるほど、僕に勇気はない。
「……まぁ、このくらいならすぐ終わるし。わかったよ」
「サンキュー! いつも悪いな、タマオ!」
口先だけの感謝を背中で受けながら、僕は再びパソコンに向き直った。
同僚たちの「アーサーさんお疲れ様です!」「よーし、今夜はボス狩りだ!」という弾んだ声が遠ざかっていく。
静かになったオフィスで、僕はそっとため息をついた。
◇
数時間後。
オフィスの壁にかけられた時計の秒針が、カチリと音を立てた。
「はぁ……やっと終わった……」
今週もなんとか乗り切った。最後のエンターキーを押した指にはもうほとんど感覚がない。
ふと時計を見上げると、短い針はてっぺんを少しだけ過ぎていた。
「……帰ろう」
誰に言うでもなく呟き、重い体を椅子から引き剥がした。
帰り道。空っぽの胃を満たすため、僕はいつものようにコンビニの自動ドアをくぐった。
とりあえず今夜を乗り切るための缶ビールと、適当な夜食をカゴに入れる。
おつまみでも探そうかと棚の間をフラフラと歩いていた、その時だった。
――あ。
プリペイドカードが並ぶ一角に、それはあった。
剣を構えた騎士と雄叫びをあげるドラゴンが描かれた、鮮やかなパッケージ。
World Canvas Onlineのダウンロードカードだ。
(……そんなに、楽しいのかな)
昼間の、同僚たちの楽しそうな声が頭の中で反響する。
僕の現実は、ただ疲れて一人でビールを飲むだけ。
でも、あのカードの向こうには、違う世界が広がっている。
気づけば僕の右手は、自然とカードに伸びていた。
◇
冷たい鍵を開けて、誰もいない自宅に入る。
レンジで温めただけの夜食と、ぬるくなったビールを一人で胃に流し込む。
美味しくも不味くもない。ただのエネルギー補給だ。
空になった缶をテーブルに置いて、僕はダウンロードカードを手に取った。
明日は休みだ。時間はある。
「よし、やってみようか」
この現実じゃない、どこかへ。
誰にも気兼ねなく、誰とも比べず、自分のペースでいられる場所へ。
目的は、スローライフ! のんびり異世界を楽しむぞ!!
僕は決意を固めると、ベッドの脇に置きっぱなしにしていた箱を開けた。
中から現れたのは、少し前に流行に乗って買ったきり一度も使っていなかった、最新のフルダイブ型ヘッドギアだ。
流線形の滑らかなボディを手に取って、僕はベッドに横たわる。
後頭部にひんやりとした感触。視界がヘルメットに覆われ、外界の光が完全に遮断された。
スイッチを入れると、微かな起動音と共に、脳が直接システムに接続されていく不思議な感覚が訪れる。
手足の重みが消え、自分の体がどこか遠くへ行ってしまったようだ。
瞼の裏に、シンプルな文字列が浮かび上がる。
――LINK TO WORLD.
僕は心の準備をすると、そっとその文字列を肯定した。
瞬間、意識が真っ白な光に塗り潰される。
次に目を開いた時。僕はどこまでも広がる純白の空間に、一人ポツンと浮かんでいた。
上下も左右も分からない。音もなければ重力もない。まるで世界の始まる前、あるいは終わった後のような静寂がそこにあった。
――と、その時。
純白の衣を纏った絶世の美女――女神が現れて、神々しい声で語りかけてきた。
『ようこそ、冒険者よ。あなたの物語を描く、真っ白な世界へ』
(キャラクタークリエイトへ続く)
※同期の浅峰と1話に出ていた勇者アーサーは同一人物です。
マオとアーサー、二人の行方にもご注目ください!




