第20話 覚醒者の願い 零からの誓い
そこは深い闇の底だった。漆黒の空間に浮かぶ、たった一筋の光。
そのほのかな光を目指し、隼人とナヤナは手を取り合って歩いていた。
不安も、恐れもなかった。ただ、互いの手の温もりだけが
確かな現実として存在し、心を繋いでいた。
やがて、その光がゆっくりと広がり、まるで神殿のような厳かな空間が姿を現す。
空気は静謐で、どこか神聖な気配が漂っている。そこに、朗々とした声が響いた。
「二人とも、よく働いてくれた。わしの力を悪用する者から、世界を救ってくれたのう。
お前たちには最大限報いたい。二人は何を望む?」
声の主は、転移の神──次元の境を司る存在であった。
隼人は一歩前に出て、ゆっくりと口を開く。
「俺たちは、地球で……普通に暮らせればそれでいいです」
ナヤナも続けて、微笑みながら頷いた。
『私も余計な望みはありません。ただ、異世界人の私が地球に自然に溶け込めるような形で
転生できれば……それが叶えば、とても嬉しいです』
転移の神は目を細め、慈しむような声で告げる。
「よかろう。わしに任せておけ。ありがとうのう。二人、幸せになるんじゃぞ」
その言葉と共に、二人の意識が徐々に薄れていく。まるで母なる手に包まれるように、
優しく、温かく……そして、深い眠りへと落ちていった。
***
隼人がハッと目を開けた瞬間、かつての殉職現場が視界に飛び込んできた。
銃を手にした男が女性を人質にとり、焦燥と苛立ちの声を上げている
──時は数時間も膠着していた。今にも引き金が引かれそうな緊迫した空気が張り詰めていた。
だが、隼人の目はその女性を捉えた瞬間、思考が止まる。
「ナヤナ……?」
人質となっていたのは、間違いなく彼の伴侶──ナヤナ・ラーティだった。
視線が交わる。一瞬、時が止まったかのように感じた。ナヤナがそっと頷く。
その瞬間、隼人の身体が自ら動いていた。突入──!
犯人が反応する。銃口が隼人に向けられる。が、次の瞬間──
『静滅波!』
ナヤナの念が空気を震わせ、音もなく犯人の動きが止まった。
その隙に、隼人の拳が鋭く突き出される。重く鈍い音が響き、犯人は倒れ伏した。
──事件は、解決した。
***
翌日。入院中のナヤナを見舞った隼人は、病室の前で足を止める。
「納屋聖来」と書かれた名札がそこにあった。
周囲からは“日本人美少女”と見えているらしいが、隼人の目には、
魔球星で出会ったままのナヤナの姿があった。
病室の扉を開けると、ナヤナは微笑みながらベッドから身を起こす。
その瞳には、深い安堵と喜びが滲んでいた。
『……おかえり、隼人』
「ただいま。……ナヤナ」
二人は抱き合い、互いの鼓動を感じた。涙が、自然と零れた。
***
地球での彼女は天涯孤独の存在になっていた。ナヤナは施設で暮らしながら高校に通い、
隼人は仕事の合間に時間作っては彼女のサポートをしていた。幸い彼女には地球で生きてきた
17歳の少女の記憶もあり、生活は困ることはなかった。 隼人の非番の日、二人で
東京の街をデートする。 二人の手にはあの誓いの腕輪があった。
それから一年後。隼人は高校を卒業した“納屋聖来”ことナヤナと共に暮らしはじめた。
この地球でのナヤナは、戸籍も身寄りもない存在。しかし隼人という絶対の拠り所と
共に過ごす日々は、彼女を眩しく輝かせていた。
そんなある日、ナヤナはひとつの夢を見る。
──それは、地球が辿るかもしれない終焉のビジョンだった。
戦争、環境破壊、憎しみと対立……人類が滅びゆく未来を、あまりにも鮮明に。
「隼人……私たち、どうなるのかしら? この世界を救う方法はないの?」
ベッドの中、隼人はナヤナの肩を抱きながら真剣な表情で応じた。
「人類が手を取り合えば……それしかない。でも、それが一番難しい」
数秒の沈黙の後、隼人の眼に一筋の光が宿る。
「ナヤナ、君の力で、世界中に声を届けてみないか? 動画配信っていう方法がある」
その言葉に、ナヤナは小さく頷いた。
隼人が試しに動画を録画すると、そこには聖球星のナヤナの姿が映っていた。
銀色の艶やかな髪。どこまでも深く澄んだ青い瞳。
そして、ふわふわと宙に舞い、念で語りかけるナヤナの姿。
登録した動画は瞬く間に話題になり、世界に拡散されていく。
「覚醒者」と呼ばれるナヤナは、地球の危機と、それに対処するための方法
──すなわち地球人類の融和を訴えた。
ナヤナの出現は、釈迦・キリスト・ムハンマドに続く第四の覚醒者ではないか?
と噂され、その超能力が本物だと、動画は次々と世界に広がっていった。
ナヤナの念波は言葉の壁を越え、そして見た者の心に、一滴の希望の光を落としていく。
その超常的な存在感と、純粋な訴えにより、世界から徐々に争いが消えはじめた。
やがて国連では、世界政府の設立が議論されるまでに至る。
ナヤナの言葉が、確かに世界を変え始めていた。
***
それから、数年の時が流れた──。
風間隼人は警視庁を退職し、納屋聖来と結婚。
二人は静かな街角に、小さな探偵事務所を構えた。
その扉の上には、さりげなく刻まれた言葉がある。
「正義を、あきらめない」
それが、彼らが魔力と暴力の支配する世界で辿り着いた、
“零からの誓い”の答えだった。
どんな闇にも屈せず、真正面から挑み続ける隼人。
他人の心の奥底に潜む想いを読み取り、寄り添うメンタリスト、聖来。
二人は今や、信頼と絆で結ばれた“最強のバディ”として、
世界の片隅に渦巻く歪みや絶望を、ひとつずつ正していく毎日を生きている。
「隼人、今度はニューヨークから依頼が来てるわ。未解決事件の捜査に協力してほしいって」
デスクに寄りかかりながら、聖来が書類を手に告げる。
「一昨日、上海から戻ったばっかだぜ……ちょっとくらい寝かせてくれよ」
隼人は苦笑しながらも、その声にどこか嬉しさが滲んでいる。
「でもこの依頼、時間をかけない方がいい気がするの。──胸がざわつくのよ」
「……ってことは、行くしかねぇな」
立ち上がる隼人に、聖来が微笑を浮かべる。
「ふふ。そう言うと思って、支度はもうしてあるわ」
「まったく……仕事が早いな。でも──君となら、どこまでも行ける」
「……ありがとう」
言葉の代わりに微笑み合い、二人は静かに歩き出す。
そして扉が閉じる音とともに、
また新たな“真実”と“希望”を追って、二人の旅路は続いていく──。
END
この物語を、ここまで読み進めてくださった読者の皆さまへ。
最後のページを閉じるその時まで、共に歩んでくださったことに、心より感謝申し上げます。
風間隼人とナヤナ・ラーティという二人の主人公の物語はいかがだったでしょうか?
これにて『零の誓い』の物語はひとたび幕を下ろします。
ですが、もし彼らの旅の続きが、あるいはまた別の“誓い”の物語が、
どこかで再び紡がれるとしたら――そのときも、ぜひ隣で見守っていただけたなら幸いです。
今はただ、感謝を込めて。
久留間猫次郎