第1話 四影の罠 牙を剥く夜
風が、草原を撫でるように吹いていた。
それはまるで、逃亡者たちを労わるようでもあり、死神の予兆のようでもあった。
王都から続く旅路は、もう二ヶ月を数えた。
偽名で登録した小さなギルド、顔が割れて慌てて抜け出した夜、見張りがいた村で一晩中眠れなかったあの日。 “国境の町レイグラス”──この場所に辿り着くまでに、隼人たちは数えきれぬ出会いと決別を積み重ねていた。
今、彼らはその町の手前、広大な草原地帯をゆっくりと進んでいる。
ロバには旅の荷と保存食。ジョセから譲り受けた馬には、時折疲れたナヤナが軽く身を預けていた。
乾いた風が肌をかすめ、草の香りと土の匂いが鼻を突く。 遠くでは虫が鳴き、旅の疲れが身体にじんわりと染みついている。
そんな中、馬車に並走している“お嬢様ことミレイユ”と“執事ことクロード”の姿は、どこか非現実的だった。 彼らは高級そうな薬品や化粧品を積んだ、清潔な二頭立ての馬車に乗っていた。
ミレイユは「貿易商の令嬢」、クロードは「長年仕える有能な従者」──少なくとも、彼らの“表向き”はそうだった。
しかし、ナヤナの表情は晴れなかった。
『……あの人たち、変』
念話で囁かれた言葉に、隼人の背筋がわずかに硬直する。
ナヤナの違和感は、ただの勘ではない。
彼女の“直感”は、超高度文明の訓練を受けた精神探知の融合だ。
その感覚が警鐘を鳴らしている。
隼人はそれを信じていた。
念のため、カレンにも伝え、ビャッコにはさりげなく情報収集を頼んだ。
「さっき宿の裏で、あいつらが何か喋ってた。……“国境の町、実行”って聞こえた気がする」
ビャッコの報告に、隼人は眉をひそめる。
町に入ると、ミレイユの計らいで一行は高級宿に案内された。
宿の扉を開けた瞬間、暖かな空気と香ばしいパンの匂いが出迎える。
柔らかなベッド、洗い立てのリネン、久々の“人間らしい”生活がそこにあった。
だが、夕食後にフロントで告げられた「伝言」が、事態を動かす。
「兄が合流するそうよ。商談で遅れていたけれど、明日には宿に来るって。せっかくだから、一緒に国境を越えたいわね」
ミレイユの笑顔はどこまでも優雅で自然。
しかし、その完璧さこそが、不気味に映る。
ナヤナは静かに首を振った。
『今度は、もっと強い違和感……』
翌日、兄と名乗る青年シャルルと、付き従うメイドのソフィーが宿へと現れる。
シャルルは長身痩躯、金髪を丁寧に撫でつけ、深緑の貴族服に身を包んでいた。
その微笑みは絵に描いたように完璧で、逆に感情の温度がなかった。
一方のソフィーは、絹のメイド服に身を包み、栗色の髪を後ろでまとめた控えめな印象の女性。
だがその動きには、一分の隙もない。 歩くたび、床板すらきしまず、まるで音を拒絶しているかのよう。
夜、軽く設けられた宴席で、カレンがワインを口にしながらぼそりと漏らす。
「しかもあのメイド、隙がない。気配も……ほとんどしないのよ」
「なあ師匠、あの兄妹、声を掛け合わないんだよな。……変じゃね?」
ビャッコの声も低くなる。
──その夜。月の明かりを頼りに、隼人たちは静かに荷をまとめた。
逃げるなら今しかない。 隼人は浮遊するナヤナの手を引き、カレンとビャッコと共に馬小屋へ向かう。 だがそこには、“待ち構えていた”四つの影があった。
「奇襲するつもりだったのに、なんでバレたのかしら?」
“お嬢様”ミレイユ──いや、“鏡”が、口の端を吊り上げる。
その笑みは貴族的なものから、粘つくような異形の笑みに変貌していた。
「任務変更。目標をここで“抹殺”する」
“執事”クロード──“鉤爪”が無機質な声で告げる。
屋根の上には、風とともに黒影が舞う。
「“風”が鳴いてるわね……誰の命が終わる音かしら」
それは、メイドに扮していた羽音。猫のようにしなやかで、烏のように残酷な殺人者。
最後に現れたのは、兄に扮していた針。 黒衣をまとい、無表情のまま静かに呟く。
「一撃で終わらせよう。任務は速さが命だ」
──四影、揃い踏み。
彼らはいずれも、全身黒の、ぴたりと体に張り付く機能的な暗殺者装束を纏っていた。
変装をかなぐり捨てたその顔は、まるで人間の模倣をやめたかのよう。
皮膚の色、筋肉の動き、目の奥の光まで、どこか“ズレている”。
武器は見えない。 だが、空気が重くなる。呼吸がしにくくなるほどの“圧”。
「やはり刺客か……通してもらうぜ。だが素直に退くなら、手荒な真似は避けてやる」
隼人が低く告げる。
「ほほほほほ……立場がわかっていらっしゃらないようね?」
鏡が、顔を“崩す”。 のっぺらぼうのように変形したその顔、その口から、炎の球体が放たれる。
隼人が反射的に叫ぶ!
「──避けろ!」
ナヤナの念話が響く。
『逃げ道、確保する!』
念動が炸裂し、馬小屋の後方の壁が吹き飛ぶ。 その隙に、カレンとビャッコが飛び出し、隼人はナヤナの手を引いて駆け出す。
「師匠。こいつら剣も杖も持ってねぇ。 魔法なしで戦えるってのかよ!?」
「だからこそヤバいのよ。……この手合い、間違いなく“プロ”」
カレンが魔力を帯びたダガーを抜く。 隼人はホルスターに手をかける。
「行くぞ、相棒。今夜が、正念場だ……!」
火球が炸裂し、世界が紅に染まった。 だが、その中に立つ一人の影。
──風間隼人。
その眼に、死の色はなかった。
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