第62話:過去と向き合う
晩餐の後半。料理の片づけが進む中で、ティアナとレイナはひそかに視線を交わし、覚悟を決めたように小さく頷き合った。
「ねえ、あなた……」
レイナが手を挙げ、給仕の一人に声をかけた。
「さっきの料理人、アッシュといったかしら。少しだけ話があるの。厨房とは別の部屋で……そうね、控えの談話室を借りられるかしら?」
給仕は一瞬戸惑ったが、ティアナの存在に気づくとすぐに敬礼し、小さく頷いた。
「ただちにお呼びします」
それからしばらくして。
人払いされた小部屋。
重厚な木扉と古びたランプの明かりに照らされた空間に、アッシュが一人、静かに入ってくる。
「……お呼びと伺いましたが」
落ち着いた声。整えられた調理服の裾に手を当て、丁寧に頭を下げるその姿に、ティアナとレイナは一瞬、声を失った。
扉が閉められると同時に、沈黙が落ちる。
「……ティアナ様、レイナ様。何か、ご不便でもありましたか?」
その問いに、ティアナが震える指先で胸元を押さえながら、口を開いた。
「――本当に、アッシュって名前なの?」
アッシュの眉がわずかに動く。
だが、それ以上何も言わず、黙って彼女たちを見つめていた。
「違うなら……違うって言って。勘違いなら、それでいい」
ティアナの声はかすかに震えていた。
「でも……もし、あなただったなら……」
レイナが言葉を継ぐ。
「私たちが追い出した“彼”なら――お願い。教えて。あなた……レオンなの?」
部屋に、しんとした静寂が落ちた。
アッシュ――否、レオンはしばし目を伏せ、淡い吐息をついた。
そのまま帽子を外し、ゆっくりと、顔を上げる。
変わった顔と声。けれど――その眼差しは、確かにかつての彼だった。
「……そうです。あなた達に追放されたレオンです」
静かに、優しく。それでも、どこか距離を取るような声だった。
ティアナは目を見開き、唇を震わせる。
「……やっぱり……!」
レイナの目にも、涙が滲んでいた。
「……ごめんなさい。私たち、ずっと、何も……」
だがレオンは、その言葉をそっと遮った。
「謝らないでください。あのとき、僕は伝える努力をしなかった。……だから、追い出されたのも当然のことです」
その言葉は、まるで責めることなく、ただ過去を受け入れるような響きだった。
「でも、今こうして、話せたことは……きっと、意味があると思っています」
レオンは静かに微笑んだ。
ティアナとレイナの胸に、熱いものが込み上げていた。
彼は、怒っていなかった。憎んでもいなかった。
それが、何よりも苦しかった。
沈黙のなかで、ティアナは震える声を押し出した。
「……これから、あなたはどうするの?」
レオンは、わずかに目を伏せる。
揺れるランプの灯が、その表情を影の中に沈ませた。
「まだ……はっきりとは決めていません」
落ち着いた声だったが、どこか寂しさと覚悟が滲んでいた。
「ただ……今の王都はロイドのスキルでねじ曲げている。
人の心も……誇りも操られている」
ティアナとレイナは、息をのんだ。
それは、まさに彼女たちが感じ取っていたものだった。
「……もしかして、ロイドのスキルは洗脳系?私たちもいつも間にか操られてたの?」
レイナが絞るように問うと、レオンはほんの少しだけ目を細めた。
「そうです。あの男が使う力は人の意志を蝕む、静かな毒です」
その言葉に、ティアナの背中を冷たいものが走った。
「僕は、もう誰にも命令されるつもりはありません。
でも……もし、また誰かの心が囚われようとしているなら。
僕はその鎖を断ち切ってみせます」
静かに、けれど確かな決意を込めた声だった。
ティアナは言葉を失った。
その眼差しは、かつて見たどのレオンよりも強く、真っ直ぐだった。
「……あなた、変わったのね」
そう呟いたレイナの声は、どこか嬉しそうで、どこか寂しげだった。
「いいえ」
レオンは、ほんの少し微笑んで、首を横に振った。
「僕は……ようやく、本当の自分に戻れたんです」
その言葉に、ティアナは胸を締めつけられるような痛みを感じた。
(レオン……あのとき、私が見ようとしなかったあなたが、今ここにいる)
ふたりはそれ以上、何も言えなかった。
ただ彼がもう、後ろを向いていないことだけは、痛いほど伝わってきた。
「……あの、ひとつだけ、教えて。
今の私たち……ロイドのスキルから、本当に解放されたの?」
レオンはしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「はい。もう大丈夫です」
レイナが唇を噛んだ。
「じゃあ、私たちはもう……自由に動ける?」
「……違う」
レオンはわずかに声を低くした。
「今はまだ、自由なふりすらしてはいけません。
ロイドは、自分のスキルが揺らぎ始めていることに気づいているはずです。
だが――誰が目覚めたのか、までは把握していない」
ティアナとレイナは息をのむ。
「つまり……私たちがスキルを解除されたことを悟られたら、すぐにマークされる」
「その通りです」
レオンは真剣なまなざしでふたりを見た。
「だからお願いです。
今まで通り、ロイドの命令には従うふりをしてください。
感情も表に出しすぎず、言葉も選んで。……それが、今できる最大の抵抗です」
ティアナは悔しげに唇を噛みしめた。
「……わかった。けど、すごく……やりきれないわね」
レイナは深く息をつきながら、静かに頷いた。
「でも、それでレオンが動きやすくなるなら……演じてみせる。
ロイドの目の前でも、操られた駒として」
レオンは頭を下げた。
「ありがとう。――これで、戦える」
そして彼は、部屋を出ていった。




