第58話:晩餐会への誘い(ティアナ・レイナside)
王城の中庭にある花壇沿いの小道。
ティアナが歩いてくると、そこには剣の手入れをしていたレイナの姿があった。
銀の鎧の上着は脱がれ、薄衣をまとった姿はどこか柔らかく親しみを感じさせる。
「レイナ」
ティアナが声をかけると、レイナは振り返り、すぐに微笑んだ。
「姫様……いえ、ティアナ。久しぶりです。お声がけいただけるなんて」
「今日は、肩書きは抜きでお願いするわ。少しだけ……話したくて」
レイナは頷き、手入れしていた剣を鞘に戻す。
「ええ、構いません。ちょうど休憩しようと思っていたところです」
二人は中庭の片隅、藤棚の下に設けられた石のベンチに腰を下ろした。
しばしの沈黙のあと、ティアナがぽつりと呟く。
「レイナ……私、最近少し変なの。自分でも説明できないのよ」
レイナは目を伏せながら聞いていたが、口を挟まず、黙って待つ。
「ロイドのこと……以前は、ただ見ているだけで胸が満たされたのに。
今は、隣に誰かがいるだけで、こんなにも心がざわつく」
「……それは嫉妬ですか?」
「でも、それが私の本当の気持ちかどうかも分からないのよ。
好きって、こんなにも重かったかしら。私は……間違ってるのかもしれないって、ふと思ってしまうの」
レイナは静かに息を吸い込み、柔らかな声で言った。
「なるほど。奇遇ですね
私も最近……自分の中の何かが、少しずつ戻ってくるような感覚があって」
ティアナが顔を上げ、驚いたように見つめた。
「戻ってくる……?」
「はい。まるで、霧の奥から、自分の声が聞こえるような――そんな感覚です」
ティアナの瞳が微かに揺れる。
「……私と似たような感覚だわ」
レイナは微笑むが、答えは返さなかった。ただそっと、彼女の手に手を添える。
ティアナの手に、そっと重なるレイナの手。
その温もりに、ティアナはほんの少しだけ、心を預けるように目を閉じた。
「……レイナ、あなたは強いのね。揺れたりしないんでしょう?」
そう問いかけたティアナに、レイナはかすかに首を振った。
「いいえ。私はあなたと同じです」
「え?」
ティアナが目を開けてレイナを見つめると、その瞳には確かな誠実さと、過去を悔いるような影が揺れていた。
「私も……ずっとロイドが正しいと信じてきました。
傍にいることが誇りで、仕えることが使命だと思っていた。けれど、ある時ふと気づいたんです。自分の選択だと思っていたことが、まるで誰かに思わされていたような――そんな奇妙な感覚に」
ティアナの胸に、微かに冷たい風が吹き抜ける。
「……それって……」
「今でも、はっきりとは言い切れません。けれど、私自身として何かを選びたいって思うようになったのは、あの料理を食べてから」
レイナの言葉に、ティアナは瞠目した。
「あの料理?」
「ええ。アッシュという料理人が作った料理よ。心が澄んだ気がしたの。味だけじゃない、思い出せない何かを取り戻すような、不思議な感覚で」
ティアナは、どこかで聞いたことのあるような、ないような――そんな記憶の靄を探るように黙り込む。
レイナは続けた。
「私は……あなたが今感じている迷いも、不安も、無駄なものだとは思わない。むしろ、本当のあなたがようやく目を覚まそうとしている証だと、そう思いたいんです」
ティアナは、ふっと息を吐いた。
涙ではない、ただ胸の内に溜まっていた重さが、少しだけ抜けたようだった。
レイナの言葉は、静かにティアナの心に波紋を広げ続けている。
(本当の私……)
それは今まで、一度も疑ったことのない忠誠の根底を揺さぶる言葉だった。
レイナが食べたという料理で何かを取り戻したと言うなら。
そして、自分にも似た感覚が生まれているのだとしたら――
ティアナはそっと視線を落とす。
(アッシュの料理……)
思い返せば、彼の作る料理は、城の一部で噂になっていた。
「元気が出る」「疲れが取れる」「心が軽くなる」
はじめは冗談半分に聞き流していた。
けれど、それが本当だとしたら――
(私も、食べてみたい。彼の……アッシュの料理を)
それは、王女としてでも、聖女としてでもなく。
ひとりの人間として、生まれて初めて芽生えた、心からの願いだった。
「……アッシュの店、私も行ってみたい」
そう告げたティアナに、レイナは一瞬だけ迷うような沈黙を挟み、ふっと微笑んだ。
「ちょうど、いい機会があります」
「え?」
ティアナが不思議そうに首をかしげると、レイナは立ち上がりながら静かに続けた。
「実は、数日後に騎士団の慰労晩餐会が予定されていて……その料理を、アッシュに依頼しているんです」
「晩餐会……?」
「ええ。騎士たちの労をねぎらう非公式な集まりですが、あなたが来ても問題はありません。むしろ……私としては、あなたにこそ来ていただきたいと思っていました」
ティアナの胸が、静かに高鳴る。
彼女は迷った末に、ゆっくりと頷いた。
「わかったわ。少しだけなら……顔を出してみる」
「ありがとうございます。必ず……後悔はさせません」
レイナの言葉に、ティアナはどこか安堵したような表情を浮かべた。
そうして、運命の糸はさらに一筋、確かに結ばれていく。
次にティアナがアッシュの料理に出会うとき、
支配と自由の境目が、ついに揺らぎ始める。




