第47話:レオンvsノエル
朝の冷気がまだ地に残る訓練場。
ノエルはその場で深く息を吸い、両手を前に構えた。
「……剣じゃないのか?」
「私は最初からこっち。格闘術こそ私が私である証」
ノエルの構えは無駄がない。
足の開き、腰の沈み、指先まで神経が研ぎ澄まされている。
そして――踏み込み。
ドッ!
地を蹴った衝撃音と共に、ノエルの姿がレオンの目の前に迫っていた。
(速い!)
寸勁のような肘打ちが胸元に叩き込まれる寸前、レオンは腕で受け流す。
しかし、衝撃は想像以上だった。
さらにノエルの拳が、風を裂く。
一撃目――寸勁の肘打ち。
二撃目――膝からの跳ね上げ。
三撃目――全身の回転を乗せた裏拳。
いずれも、氣を帯びた本気の打撃。
一発一発が生身の人間なら確実に骨を砕く威力を持っていた。
だが――
「……効かないか」
ノエルの目が、確かにそれを見た。
レオンは一歩も動いていない。
受けたわけでも、避けたわけでもない。
“当たっているのに、効いていない”。
氣の膜のようなものが、拳が触れる前に圧力を分散させ打撃を弾いている。
(これは……防御魔法でも、硬化でもない……)
拳が触れる前に、何かが打撃を分解していた。
(……力が、吸われる?)
ノエルの目が見開く。拳は確かに当たっているのに、衝撃が伝わらない。
「……《下ごしらえ》ですよ」
レオンは静かに言った。
「料理で大事なのは、火入れだけじゃない。下ごしらえの段階で余計な熱や雑味を取り除くこと。今、あなたの衝撃を表層で抜いてるんですよ」
ノエルは信じられないというように拳を引いた。
(拳が弾かれてる”んじゃない……吸われて威力も落とされてる)
「熱を通しすぎると、食材は崩れます。だから、力の入れどころも、引き際もわかってないと料理はできない」
レオンは構えず、ただ立っているだけだった。
「あなたの拳は強い。でも、旨味も毒気もそのままじゃ、料理にはできない」
ノエルの動きが止まる。
「……あなた、料理人スキルでここまで……?」
拳は届かず、氣は打ち消され、ノエルは膝をついていた。
呼吸は荒い。けれど、それは敗北のせいではなかった。
――自分でも、気づいていた。
(本気のはずなのに……出し切れてない。どこかで、何かが足りない)
そして、それが何なのか――
今、目の前の男の姿を見て、ようやく形を成した。
「……ねえ、ひとつ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「……もしかして、あの頃。私たちパーティー全員……あなたのスキルで、支えられてた?」
レオンは、少しだけ視線を伏せた。
「そうですよ」
「……!」
「みんな、口では美味しいとか、ありがたいとか言ってくれてましたけど、
本当に何が起きていたかに気づいてたのは、たぶん誰もいませんでした。
まぁ僕もいいませんでしたけど」
ノエルの喉が詰まる。
(思い返せば、遠征の前夜にレオンの料理を食べると、
不思議と疲れが取れて、集中力も高まった……)
(ロイドでさえ、「今日は冴えてる」なんて呟いていた。
ティアナの魔力暴走も、あなたの料理の後には起きなかった……)
(全部、偶然だと思ってた。でも……)
「……氣の巡りって、精神状態や魔力の流れにも影響します。
俺の料理は、味だけじゃなくて整えることに重点を置いてたんです」
「……じゃあ、あのときの私たちの力って……」
「本来の実力以上が出せていたと思いますよ。
俺も当時は自分のスキルを、そこまで把握してなかったけど」
「……どうして。
あのとき、スキルのことを言ってくれなかったの?
自分がパーティー支えてるって……なぜ、私たちに言わなかったの?」
レオンは、しばらく黙っていた。
だがやがて、小さく息を吐いて答える。
「言ったところで、信じてもらえないと思ったからです」
「……!」
「……当時の僕は、料理しか取り柄のない奴って思われてたよ。
剣も魔法も使えないし……見た目だって、人前に出られるようなもんじゃなかった」
ノエルの喉が詰まる。
それは、彼女自身がかつて抱いていた冷たい視線と重なっていた。
「……今になって思うけど、僕にも非はあったと思う。
正直、自分のスキルのこと……あんまり好きじゃなかったんだ」
その言葉には、恨みではない。
ただ、選び抜いた諦めの選択が滲んでいた。
「それに――」
レオンは少しだけ視線を上げる。
「言わなくても、誰か一人くらい気づいてくれるって、どこかで思ってた。
……でも、誰も気づかなかった」
ノエルの胸に、痛みが走る。
(私は……気づこうとすら、しなかった)
「……それでも、あなたは料理を作り続けたのね」
レオンは炎を見つめたまま、静かに頷いた。
「だってそれしか、俺にはできなかったから」
ノエルは唇をかみしめる。
取り返せない過去の重さが、沈黙の中に満ちていった。
「……負けたわ」
息を整えることもせず、彼女は顔を上げた。
「どうあがいても、今のあなたには敵わない。
技でも、氣でも、何より……心の強さが違う」
レオンは表情を変えなかった。だが、その目には確かに何かが宿っていた。
ノエルは続ける。
「私たちは……いや、私はあなたの力を見誤っていた。
あの頃は、あなたの価値を何も理解していなかった。
そして今ようやく気づいたの。あなたは、もう遠い場所にいる」
言葉の奥には、尊敬と悔恨と、少しの寂しさが滲んでいた。
レオンはわずかに視線を逸らしたが、やがて小さく頷いた。
「今の僕は、あの頃のみんなには見えなかった姿をしてる。それだけさ」
ノエルは、敗北を受け入れながらも心のどこかでほっとしていた。
それは、かつて切り捨てた男が、自らの手で本物になった証だったから。




