第46話:ノエルの覚悟
人気のない廊下を静かに歩きながら
レオンは自分の指先をじっと見つめていた。
(……間違いない。ノエルのスキルは、消えてる)
確信に近かった。
先ほどの対話。
言葉の端々に、明確な変化があった。
それが今の自分にはわかる。
「……バクルア料理が、効いてくれたか」
だが、それだけではない。
どこか柔らかくなっていた。
あの頃の冷徹な刃のような口調ではなかった。
だが――
(だからといって、あの追放がスキルのせいだったと断じるのは、早計だ)
心の奥に、冷たい声が囁く。
あのとき、ノエルはレオンを排除すべきと告げた。
合理と効率を優先し、情を切り捨てる判断を迷いなく下していた。
(もしかすると……あれは、彼女自身の選択だったのかもしれない)
スキルを外された今でも、彼女はレオンの正体に気づいている気配を見せない。
問い詰めもせず、過去にも触れない。
(……だからこそ、俺もまだ名乗れない。敵である可能性は捨てきれない)
スキル解除の方法を手に入れた今、もうここに用はない。不自然にならないよう、ここを立ち去り、王都を目指す。
静かな私室に、灯はひとつ。
レオンが去ったあと、ノエルは蝋燭の炎を見つめながら独り息を吐いた。
(私は、もう……取り戻せない)
何をどう償っても彼を罪人に仕立て追放した罪は消えない。
(私の判断だった。スキルのせいじゃない。私は自分の意志で彼を捨てた)
たとえ今、支配から解放されていても。
たとえ今、彼の料理に救われたとしても――
あの時、切り捨てた自分の正しさは決して帳消しにはできない。
ノエルはゆっくりと立ち上がる。
その目には、覚悟があった。
(なら……今、私にできることはもうこれしかない)
次の日、レオンはまたノエルになぜか訓練場へ呼び出されていた。
「ねえ、アッシュ……」
「はい」
「……あなた、レオンでしょ」
その一言が空気を変えた。
沈黙が落ちる。
長く、重く、感情を孕んだ沈黙。
レオンの瞳が、かすかに揺れた。
けれど、答えはなかった。
ノエルはレオンとの距離を詰める。
あと一歩で、手が触れられる距離。
「顔も違う。声も違う。だけど……料理の味、手の動き、目の奥の光……どれも、あのレオンそのものだった」
声はかすれていた。
それは問いではなく、もはや確信の確認だった。
「あなたじゃなきゃ、あんな料理作れない」
レオンは視線を外さなかった。
ノエルの言葉を受け止め覚悟を決めた。
「俺の名前は、“アッシュ”なんかじゃない。……レオンです」
ノエルの目が見開かれる。
それでも声は出さなかった。ただ、息を呑んだだけ。
「ただの役立たずの料理人で……そして、あのとき不要と切り捨てられた冒険者です」
言葉には、静かに、けれど決して消えない痛みがにじんでいた。
ノエルはその場から動けなかった。
目の前の男が、あの時自分が斬り捨てた青年――レオンだと。
確かに、自分の前で名乗ったことに、心が揺れすぎていた。
「……あなたは、どうしてここに?」
レオンは答えた。
「……悪いけど、俺はロイドのスキルが解除できるか確かめたくて、ここに来た。
この街で冒険者として動いてたのも、ただの偶然だ。
ノエル……あなたに出会ったのも、偶然にすぎない」
ノエルは、俯いて、ぽつりと呟く。
「……どうして、そんな目で私を見られるの……私を憎んでいるでしょう?」
「俺が見てるのは、今のあなたです」
「……っ!」
その一言が、ノエルの胸を貫いた。
彼女の視界が歪む。
涙がこぼれそうになるのを堪えた。
(私は、赦されていい人間じゃない。それでも……)
レオンは背を向けかけていた。
だが、ノエルは言った。
「私と――手合わせしてほしい」
レオンが驚いた顔を見せた。
ノエルは真剣な眼差しで言葉を重ねる。
「戦ってほしいの。あなたに」
「なぜ……?」
「……あなたが王都に向かうのを、止めたいの。
それに、私にはわかる。今のあなたは、あの頃とは比べものにならないほど強くなってる。
――それでも、もし私が勝ったなら……ロイドのことなんて、もう忘れなさい。
この場所にいれば、不自由はさせない。私が、あなたを守るから」
レオンの眉がわずかに動く。
「あなたは、前を見てる。ロイドのことも、フローラのことも……全部、自分の力で向き合おうとしてる」
ノエルは、そっと目を伏せた。
「……ノエル」
「私は……あなたに討たれて、この場所で消えてもいい。
それが私にできる、最後の責任だと思う」
レオンは言葉を失った。
だがその横顔には、確かに苦悩がにじんでいた。
「それに……今のフローラに会ったら、あなた、もっと傷つく」
「……!」
その名に、レオンの顔色が変わった。
「彼女は、変わった。あなたを忘れようとしている。――忘れさせられてるのかもしれない」
「……ロイドのスキルか?」
ノエルは頷いた。
「恐らく。でも、それでも……あなたが会えば、きっと後悔する。傷つく。壊れてしまうかもしれない。だから私が、あなたを止めたい。戦うことでしか、それができないのなら」
沈黙が、ふたりを包む。
やがて、レオンが口を開いた。
「それでも俺は……進みますよ。あの時、止まったままじゃ終われないから」
それを聞いて、ノエルは拳をかまえた。
その瞳には、ほんの一筋だけ涙がにじんでいた。




