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幼馴染に捨てられた俺は、素材と恨みを喰って最強に至る  作者: 雷覇
第2章

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第44話:スキルからの解放

その日、ノエルは執務に集中できなかった。


視線は文書を追っているはずなのに、内容が頭に入らない。

胸の奥が、妙にざわつく。冷えた水のような違和感が、脈打つたびに波紋を広げていた。


「(どうして……あの顔が、何度も浮かぶ)」


“アッシュ”。


名も素性も浅い冒険者。

なのに――なぜ、これほど気になる。


(声も、顔も違う。……でも)


仕草。

言葉の選び方。

なにより――あの、揺るがない目。


冷静で、静かで、でもどこかで燃えているような。

かつて、自分が不要と判断し切り捨てた男に似ていた。


「……ありえない」


小さく呟いた自分の声が、耳に残った。


あの男は、死んだも同然だった。

あの状態で、本当に生き延びていたとのか?

だとしても、あれほどの火傷をどうやって癒した?


「……私はレオンの本当の顔と声を知らない。何らかの方法で癒したとしたら別人だと言われれば判別できない」


ノエルは机に座り、報告書と冒険者登録の写しを並べていた。

アッシュ――経歴不詳。活動歴1回のみ。顔の記録なし。

それだけで、十分に嘘の気配がある。


「顔を変え、声を変えたとして……目的は、何だ?」


潜入か、復讐か。それとも他の何かの目的で?

ノエルは唇を噛みしめた。


「……アッシュに料理を作らせろ」


ノエルがそう命じたのは、夜半を過ぎたころだった。

目を閉じてもアッシュの顔が脳裏を離れず、思考は深まるばかりだった。


(食べればわかる。何か仕組まれているのか)


ただの冒険者ではない。

ただの料理人でもない。


そう感じている以上、領主としての用心は欠かせない。


「私室へ運ばせろ。ただし毒見を先に行わせる……そうだな。スープを作ってもらおうか」


(例えレオンだったとしても私は領主。油断はしない)


側仕えに指示を出したその声は、冷静で揺るぎなかった。

ノエルは決意を深めた。


――厨房


「(まさか、こんなに早くチャンスが来るとは……。ノエルのことだから、もっと警戒されると思ってたけど……逆に、それが油断になったか?)」


厨房でレオンは野菜を切りながら、内心の緊張を隠していた。


「……食べさせれば、効果は出る。だが――」


レオンは包丁を構えた。

まな板に置かれたバクルアの赤身が鈍く反射する。


「どうせなら……今の俺にできる、最高の料理に仕上げてやる」


手を伸ばすと、清水に浸しておいた香草を取り出す。

この草の香りが、バクルア特有のえぐみを包み込み整える鍵になる。


包丁が滑らかに入る。

だが、その刃筋には、迷いのない緊張がこもっていた。


「……火加減は中火。焦がすな……焦がしたら、意味がない」


鉄鍋にオイルを敷き、香草と玉ねぎを炒める。

甘みが立ち昇ったところで、バクルアの肉を丁寧に投入。

じゅう、と鋭い音が走る。


油と魔獣肉が反応し、ふっと立ちのぼる煙――

それは誰も知らない、ひとりの料理人の戦場の狼煙だった。


「焼き過ぎれば効能が死ぬ。弱すぎれば、肉が暴れる」


出汁は三日かけて取ったダシと、自ら発酵させた味噌。

そこに仕上げとして香草を振りかける。


香りが変わった。

ただの食事ではない、魂に触れる匂いに。

レオンは、火を止めた。


器にそっと注がれる一杯のスープ。

黄金にも似た色合いの表層に、ふわりと浮かぶ緑の刻み草。

それは、今のレオンの力をすべて費やした命の皿だった。


ノエルの私室に食膳の盆が静かに置かれ、湯気がやわらかく室内を包んだ。

香りは、穏やかでありながら奥深い。

初めて嗅ぐはずなのに、どこか懐かしい感覚を呼び起こす不思議な香気だった。


「毒見を――」


ノエルが軽く頷くだけで、側に控える毒見役の若い女性が無言で椀を手に取る。

一礼し、慎重にスプーンでスープをすくった。

口に含んだ瞬間、女性の目が大きく見開かれた。


「…………っ!」


まるで息を呑むように、肩が跳ね上がる。

ノエルは反射的に立ち上がった。


「毒か――!?」


「ち、違います……!」


顔を紅潮させ、毒見役は慌てて首を振った。

震える声は、警戒ではなく感動のそれだった。


「こ、これは……っ、なんですか……!? なに、を……いったい、どうして……!」


その言葉の先は、涙にかき消された。

一口しか飲んでいないはずなのに、身体の芯まで温かくなっていく。

緊張で固まっていた背筋が、まるで初めて呼吸を許されたかのように、ふっとほどける。


「美味しい……こんなの、初めてで……」


思わず口から漏れたその言葉に、ノエルの表情が変わった。


(……何?)


毒見役は泣いていた。

驚き、戸惑い、感動――いくつもの感情が混じり合った涙。

料理を口にして泣く者など、ノエルの知る限り一人もいなかった。


「それほど、なのか」


彼女は無言で椀を引き寄せる。

その香りに、心がふっと引き寄せられる。


目を閉じ、香りを吸い込む。

心の奥に、ほんの少し――温かい灯りのような何かが灯る。


(なんと良い香りだ……)


スプーンをすくい、口元に運ぶ。

それは情報ではなく、感情として流れ込んできた。


優しく包み込まれるような口当たり。

ふわりと広がる甘みの奥に、繊細に重ねられた香草の刺激がじんわりと追いかけてくる。その一口が喉を通る頃には胸の奥に絡みついていた何かが、ゆっくりと、音もなくほどけていった。


(……あれ……?)


まるで、重く冷たい霧が身体の内側から抜け出していくようだった。

思考が澄み、視界が明るくなっていく。

そして心の底に沈んでいた忘れていた記憶が静かに浮かび上がってきた。


遠征の帰り道。疲れ果て、足も心も限界だったあの夜。

焚き火の光の中、誰かが差し出してくれた湯気立つ料理。


「……味とか、栄養とか、そんなことじゃなかった……あのとき、私は――」


ノエルは、確かに救われたのだった。

あの味と同じ、いや、それ以上の温もりが、今、確かに体を満たしていた。


そして同時に――

ずっと胸の奥に当たり前のように居座っていた声が、かすれて消えていくのを感じた。


(ロイド……?)


誰かに従わなければならないという思い込み。

選ばされた判断。

それらがこの一杯で、静かに剥がれ落ちていった。

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