第43話:かつての仲間の元へ
領主の執務室。窓の外には、夕陽に染まる街の屋根が見える。
「……例の討伐報告書、ですか?」
兵士が提出した文書を手に取ったノエルは、目を通すなり眉をひそめた。
「生存者全員確保……それも一人で、だと?」
「はい。小屋に潜伏していた盗賊団十数名、すべて無力化済み。命を奪わず、縛り上げ、報告の直前に我々が到着しました」
「……そのアッシュという冒険者、所属は?」
「ギルドには登録済み。だが素性は浅く、活動歴も乏しいため情報がほとんどありません。偽名という可能性もございます」
「なるほど……」
ノエルはしばし沈黙する。
(不審な点は多い。なのに……なぜか、妙に気にかかる)
戦果の内容、報告の整合性、戦闘跡の痕跡。
すべてが正しい。だが、どこか噛み合わない。
理屈では納得できるのに、本能が警鐘を鳴らしている。
「アッシュ……か」
彼が言い放ったという一言――
『料理人だからな。包丁と熱で足りた』
(普通なら、牽制や誇示として戦士だと答える。
だが彼は、料理人と言った)
ノエルは無意識のうちに、自らの右手を握りしめていた。
かつて、自分が無価値と切り捨てた男のことを――ほんの少しだけ、思い出した。
(……まさか、とは思うが)
あの男――レオン。
同じように、無益な殺傷を避けていた。
戦いよりも食事に意味を見出していた。
(ありえない。そんな偶然は)
けれど、否定しきれない何かが心に残る。
「……そのアッシュという男、もう一度目通しを頼む」
「はっ。何か問題でも?」
「――まだ、わからない。だが……警戒はしておくに越したことはない」
合理を信じるノエルの胸に、初めて感情が入り込んだ瞬間だった。
それから翌日。
整えられた空間の中心に、アッシュ(レオン)は静かに座っていた。
前に進み出る者の足音が響くたび、彼女の視線は一層鋭さを増す。
「アッシュ。領主ノエル様より、功績に対する特別面会の指示がありました」
中へと入ってきた男――
それは、アッシュと名乗る冒険者。だが、ノエルの目は一瞬、細くなった。
(やはり……どこか、似ている)
足取り、姿勢、無駄のない所作――
それは、かつてのパーティーメンバー・レオンを彷彿とさせる。
彼は、軽く頭を下げ、穏やかに口を開いた。
「アッシュと申します。光栄です、領主様」
男の声は、落ち着いた低音だった。
丁寧で、滑らかな言葉遣い。
あの頃の、どこか拙く感情を隠しきれなかったレオンとは明らかに異なる。
(……声が違う)
ノエルは静かに目を細め、彼の顔を観察する。
綺麗に整った顔立ち。火傷の痕など、どこにも見当たらない。
(顔も――違う)
かつてのレオンの顔は、顔半分を覆うほどの重度の火傷痕に焼かれていた。
まともに見られないほど痛ましいもので、誰の記憶にも強く焼きついているはずだった。
(別人……か)
しかし、それでも何かが引っかかる。
所作、話し方、そして――料理という奇妙な共通点。
(まさか、とは思う。……だが)
ノエルは、理性ではなく直感が告げる気配に戸惑っていた。
「……功績も含め、今回の件での貢献は大きい。よって、領主として正式に褒美を与える」
レオンの瞳がわずかに動いた。
(来た……!)
ノエルは椅子から立ち上がり、ゆっくりとこちらに歩み寄る。
そのまま正面に立ち、淡い声で問うた。
「望むものはあるか、アッシュ?」
その声には不思議な重みがあった。
まるで表向きの褒美ではなく、本音を聞き出そうとしているかのような。
(答え方次第で、疑われるかもしれない……だが、引きすぎても不自然だ)
レオンは一拍置き、微笑をたたえながらこう言った。
「――では、もし可能であれば……領主様の膝下で、料理人として働かせていただけませんか?」
ノエルの目が、わずかに見開かれた。
「……この私の元で?」
「はい。領主のために尽くせるなら、本望です」
真摯な声、穏やかな笑み。
だがその裏で、レオンの心は冷静に計算していた。
(料理人としてなら、ノエルに日常的に接触できる。食事を通じて、スキルの解除や再検証が可能になる)
ノエルは、しばし無言だった。
だがやがて、静かに頷いた。
「……よかろう。厨房を含めた出入りを許可する。ただし、軍機に関わる区域への立ち入りは禁止とする。……それでいいな?」
「感謝します、領主様」
こうしてレオンは――
追放されたかつての仲間の膝下へ、堂々と潜り込んだ。
料理人として。
そして、真実を暴く者として。




