第35話:抵抗する力を求めて
部屋へ戻ると、レオンは重い息をついた。
扉を閉めたその瞬間――
宙にふわりと淡い光が舞い、リュミエルが姿を現す。
「おかえり、レオン。……何かあったの?」
その声音には、微かに心配の色がにじんでいた。
「……ああ。少し、考えなきゃいけないことが増えてな」
レオンは床に腰を下ろし、リュミエルに視線を向けた。
「リュミエル。お前、魔獣の知識も詳しかったよな。
“心を操るようなスキル”――そういうものに、抗体というか、影響を受けにくい種族……知らないか?」
リュミエルは宙をゆっくり漂いながら、少し思案するように目を閉じる。
「完全に無効化できる存在は、ほとんどいない。
でも、“幻術系”や“精神干渉系”に強い性質を持つ種族なら……いくつか、心当たりはあるわ」
「具体的には?」
「たとえば、夢食いの属性を持つ魔獣たち。彼らは他者の精神構造を読んだり逆に干渉を跳ね返す性質がある」
レオンは、頷きながらさらに続ける。
「夢食いの魔獣――そいつは……どこにいる?」
窓辺の光に照らされたレオンの瞳に、微かな焦りが浮かんでいた。
それを見たリュミエルは、羽のように漂いながらも、静かに答えた。
「“夢喰らい”――正式には《バクルア》って呼ばれている魔獣ね。
今は忘眠の森にいると言われているわ。王都から東へ数日はかかる距離。人が近づかない霧の森にいるわ」
「……このままじゃ、間に合わないかもしれないな」
ロイドが王位に近づいている。
それは確かだ。
止められない流れのように、彼の足取りは着実で民も貴族も巻き込まれていく。
レオンは拳をぎゅっと握る。
(急ぎたい。すぐにでも王城に駆け込んで、あいつの正体を暴きたい。だけど――)
深く息を吐き、己の鼓動を落ち着かせた。
「……今は、慎重に行くしかない」
力がなければ、誰も救えない。
策がなければ、真実はかき消される。
あの男のスキルに抗う術を手に入れなければ、全ては無意味に終わる。
焦れば足をすくわれる。
踏み誤れば、信じられるものすら見失う。
「遠回りでもいい。確実に、一歩ずつ積み上げていくんだ。
ロイドに勝つには……それしかない」
わずかでも自分を納得させるように呟く。
「だけど……フローラは、どうなる?」
王妃か、寵姫か、それとも“お気に入りの道具”か。
その想像だけが、胸に深く刺さった。
(あいつが支配する未来よりも――
フローラが、あいつに操られたまま“幸せなふり”をして生きる方が……怖い)
一度は見捨てられたはずの過去。
それでも、いまだに彼女の笑顔が瞳の奥から離れない。
その笑顔は、もう自分には向けられないと知っている。
それでもなお、レオンの心は――彼女を忘れられなかった。
(操られているかもしれない。もうあいつに心まで奪われているかもしれない)
(それでも、もし……どこかで苦しんでいたとしたら。
笑顔の奥で、助けを叫んでいたとしたら――)
その時、手を差し伸べられるのは、もう自分しかいない。
レオンはそっと目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、焚き火の灯に照らされたフローラの横顔。
優しくて、まっすぐで、不器用に支えてくれたあの日々。
その横顔に、どれほど救われていたか。
どれほど、無言のぬくもりに救われていたか。
それに気づいたのは、すべてを失ったあとだった。
(どれだけ忘れようとしても……無理だ)
(なのに――)
想像してしまう。
ロイドの隣で、あの微笑みを浮かべるフローラの姿を。
自分ではなく、あいつに向けた笑顔を。
「……それだけは、絶対に許せない」
吐き出した声はかすれて、地面を這うように消えた。
怒りなのか、哀しみなのか、自分でもわからなかった。
静かに拳を握りしめる。
この手で、奪い返すと決めた。
誰に笑うかは、フローラが選べばいい。
だが――誰かに“選ばされる”ことだけは、もう許さない。
「必ず、お前をロイドから引きはがす」
冷たい風が森を揺らし、木々がざわめく。
レオンはその中を、ひとり歩き続けた。