第32話:王への道(ロイドサイト)
王城の回廊を歩くロイドの足取りは、かつてないほど確かなものだった。
彼はもう「剣士」ではなく、「次代の王」を自覚していた。
貴族たちの視線は変わった。
剣を振るう若者から、玉座に近づく男へと――。
ロイドは装飾の施された大扉の前で立ち止まる。
その先にいるのは、現王の血を引く聖女、ティアナ。
扉が静かに開かれた。
白いドレスに身を包んだティアナが、窓辺で振り返る。
「来てくれて、ありがとう。ロイド」
「……ああ、話したいことがあった」
ロイドは躊躇なく部屋に入る。
そして周囲に他の者がいないことを確認すると低い声で切り出した。
「陛下の容体……どうなんだ?」
ティアナの表情が、わずかに揺れる。
その目の奥には、長く秘されていた苦悩と葛藤が滲んでいた。
「……あまり、良くないわ。最近はもう、ほとんど床から起き上がることもできない」
「薬は?」
「すでに最上級のものを尽くしている。けれど、王家の医術師たちも時間の問題だと言ってる」
ロイドは短く息をついた。
「……そうか。なら、急がないとな」
「ロイド……あなたは何を?」
ティアナが何かを言いかけたが、ロイドは彼女の手を取った。
「俺はもう迷わない。ティアナ、お前と共に王国を導く。この国は俺が守る。だから陛下に会わせてkれ」
彼の目は、まっすぐにティアナを見据えていた。
けれど、その奥に潜む野心の火は、すでに消えることなく燃えていた。
ティアナは静かに頷く。
「……わかったわロイド。父に、あなたを会わせる手配をする」
ティアナの言葉に頷きながら、ロイドの胸には冷たい歓喜が広がっていた。
(ようやく……このときが来た)
今の王は、もはや歩くことすら満足にできぬほど衰えている。
自力で判断する力も、意志を貫く力も。
(俺のスキル《支配の囁き》……通じる。いや、通じないはずがない)
すでに彼は、幾人もの貴族や廷臣たちに“ささやいて”きた。
そのたびに、相手は気づかぬまま彼に譲歩し、頭を垂れ、そして従った。
本人の意思で動いているつもりのまま、都合のいい操り人形になっていった。
(王もまた、例外じゃない。それほど衰えた精神なら――)
彼の唇が、かすかに吊り上がる。
「ありがとう、ティアナ」
ロイドは柔らかく、だが少しだけ強くティアナの手を握る。
その指先に込められたわずかな力の中に、
“彼女が王の娘である”こと以上の意味が、深く滲んでいた。
ティアナは気づいていない――
すでにその運命が、ロイドの意図の網にとらわれていることを。
王の寝室に漂うのは、重たく沈殿した老いの匂いだった。
王は、かつての威厳をほとんど失い、ベッドに沈み込むように眠っていた。
「……父上、ロイド様がお越しです」
ティアナの声に、ゆっくりと起き上がる。
その背後から、堂々と歩み寄るロイド。
(さあ……始めようか)
彼は王の前に跪くと、柔らかく、丁寧な言葉を紡いだ。
「陛下、私にはこの国を守る覚悟と才があります。
ティアナ様との婚約をお認めいただければ、王家の血を未来へと繋ぐことができるでしょう」
王の眉がわずかに動く。
その隙を、ロイドは見逃さなかった。
(今だ――)
「……どうか、私に未来を託してください。
王よ、あなたの偉業は、必ず私が継いでみせます」
《支配の囁き》。
それは、意識と無意識の境界に入り込み、相手の“判断”そのものに微細な揺らぎを与える。
最初はただの戸惑いだった。
「……うむ、しかし……ティアナとの婚約は……急すぎるのでは……」
王の声音には迷いがあった。
だが、ロイドは微笑を崩さず、さらに言葉を重ねる。
「ティアナ様が望んでくださったのです。
私は王女を……この国を、心から守り抜くと誓います」
ティアナが小さく頷いたのが、王の視界に入る。
その瞬間、ロイドの声がさらに深く染み込むように届く。
「……どうか、陛下。お決めください。今こそ、新たな未来を――」
王はしばらくの沈黙の後、ふ、と小さく息を吐いた。
「……そうか……おまえならば……よい……。
ティアナとの婚約を、認めよう……そして……王位も……」
その言葉を聞いた瞬間、ロイドの胸の奥で歓喜が爆ぜた。
(――成功だ)
老王はもう、ロイドに逆らうことはない。
王家の正統なる継承者、そして国の未来の主。
その座を、ロイドはついにその手に掴んだのだ。
彼は深く一礼しながら、心の奥で静かに笑った。
(これでいい。これで――すべてが俺のものになる)




