止まりの森
獣の咆哮が森に響き、すぐに沈黙が戻る。
倒れたのは、鋭い爪を持つ魔獣”。
しなやかな筋肉と引き締まった肉質を持つ美味とも知られる種だ。
レオンは血の処理を素早く済ませると、手際よく肉を切り出し、
森のくぼみに石を積んで焚き火を起こし、その上に石版を置いた。
「……火加減、よし」
魔獣の赤身肉に刻んだ野草の香草と、胡椒に似た実を擦り込む。
さらに、倒れた魔獣から少量の脂を絞り取り、石板の上で焼き始めると
ジュゥゥ……!
肉の焼ける音が、緑の静寂に響いた。
と、その香ばしい匂いに誘われるように――
「なにこの匂い~~っ! もう、絶対に美味しいじゃん!!」
ふわりと宙を舞う光が、火のそばに着地する。
リュミエルだった。
髪をなびかせ、小さな鼻をくんくんと動かしている。
「お腹すいたよ! あたし、朝から何も食べてないからね!」
「たった今狩った魔獣だ。癖はあるが、旨味も強い」
レオンは皿代わりに大きめの葉を重ね、焼き上がった肉を数切れ乗せる。
さらに刻んだ香草をあしらい、彩りよく仕上げた。
「はい。焼きたてだ。食べなよ」
「わーっ! いただきますっ!」
リュミエルは器の葉にちょこんと腰掛け、小さな手で肉のひとかけを持ち上げた。
ひとくち。
「――んんんっ!? う、うまっ……!? なにこれ、うますぎるっ!!」
満面の笑顔でほっぺを抑え、目を輝かせながらパクパクと食べ進める。
「この歯ごたえと香り、なんで魔獣の肉でこんなに……!
やっぱレオンの料理は最高だね!」
小さな妖精は、ぺろりと完食したあと、満足げにお腹をさすった。
「美味しかったな。次の食事も期待しちゃうよ!」
レオンは、炎の向こうで小さく笑った。
「ああ。次は何の魔獣に会えるかな。期待していろよ」
次の瞬間、レオンは喉の奥が熱くなり、視界の色が一段階鮮やかになる。
「(視覚が上がったか……)」
魔獣の力を、喰らうことで取り込む。
それが、今のレオンの戦い方だった。
彼の進む先には、癒しを求めるための秘薬
だがそこに住まう魔獣は凶悪。目的地に着くまでにもっと強くならないと
それまではどんな魔獣でも――すべて糧にする。
森の奥まで進んでいくと踏みしめた土の感触がこれまでとは違ってきた。
お供ある地点を境に急に静まり返った。
「……ここが、そうか」
レオンは、足を止めた。
目の前に広がるのは、明らかに他と雰囲気の違う盛。
木々はどれもまっすぐ天を指し、葉は風もないのに微かに震えている。
まるで、この森そのものが拒絶しているようにさえ思えた。
「ついに来たね……《止まりの森》」
リュミエルがレオンの肩に舞い降り、緊張した声で囁いた。
レオンは答えず、ただ前を見据えていた。
そして小さく息を吐く。
肩に乗っていたリュミエルも、無言のままじっとしている。
彼女ですら、軽々しく声を出せないほどの空気が、この森にはあった。
――戻るなら今しかない。
心の奥で、そんな声が確かに聞こえた。
けれど、レオンは自分の頬に手を当てる。
焼けただれた皮膚の感触。
喉奥に残る、濁った声の残響。
(このままでは終われない。俺は、まだ取り戻していない)
拳を握る。
迷いはある。恐れもある。
それでも、それ以上に前へ進む理由が、レオンにはあった。
「……行くぞ」
その瞬間、空気の重さが変わる。
背後の世界と切り離されたような感覚。
空間そのものがねじれ、時間が粘るように遅くなる。
レオンはひるまず、さらにもう一歩。
土を踏む感触が、異様に深く足裏に残った。
肩にいたリュミエルが、ようやくそっと囁く。
「……もう、戻れないよ」
「戻る気はない」
レオンは、真っ直ぐ前を見据えていた。
その目は迷いも揺れもない。
こうして、ついに――《月の雫》が眠る森へと足を踏み入れた。




