疲れた心(フローラ視点)
夕暮れの影が窓辺を染め、部屋の空気はひどく重たかった。
フローラは机に突っ伏すように座っていた。
目の下には隈があり、指先は乾き、唇に力がない。
レオンがいない現実が、彼女を少しずつ蝕んでいた。
そこへ、足音もなくロイドが現れる。
「ずいぶん疲れているな、フローラ」
「……ロイド……」
彼女は力なく顔を上げるが、その声には張りがない。
ロイドはゆったりと近づき、フローラの横に腰を下ろす。
「大丈夫か。“慰め”に来てやったよ」
ロイドは優しげに微笑んだ――その目に冷たさを湛えながら。
「ティアナとの婚約は、もう誰にも覆せない。
王の病が深まり、王家は継承の準備を始めている。
……次の王は、俺になるだろう」
フローラの目がかすかに揺れた。
「そんな……あなたは騎士でしょう……?」
「騎士であり、王となる器だ。姫を娶り、軍を掌握し、貴族を従わせる。
――だからこそ、お前にも“居場所”を与えようと思っている」
ロイドの声が低く、穏やかに落ちてくる。
「フローラ。お前を側室として迎える。お前だけでなくパーティーメンバーは全員もだ」
フローラの唇が、かすかに震える。
そして彼女は――目を伏せたまま、何も答えられなかった。
かつてのように自由に笑うことも、泣くことも――
今の彼女には、どこか遠い昔の記憶のように感じられていた。
「……私は、そんなつもりでは……」
「君はもう、十分に傷ついている。
誰かに決めてもらうことでしか、生きていけない場所まで来てしまった。
だから俺が“選んでやる”。お前を救ってやる」
その言葉に、フローラは反論できなかった。
(・・・このままロイドに従えば楽に・・・だめ。私はまだレオンのことが・・・)
その考えを打ち消そうとしたが、手遅れだった。
ロイドがそっと、彼女の肩に手をかけ抱き寄せる。
フローラは動けなかった。拒もうとしても声にならなかった。
「忘れさせてやるよ」
「(……やめて)」
そう言いたかった。
けれど、そのたったひとことが、なぜか――出てこない。
口の中に重く沈んで、石のように動かない。
息を呑むことさえ、はばかられるような静寂。
フローラは目を閉じた。
そのとき――
ゆらゆらと揺れていた卓上のランプの火が、不意に、ふっと落ちた。
窓も閉じたまま、風などどこにもないのに。
部屋の灯りが、ゆっくりと消えていく。
――
張り詰めた沈黙の中、布が擦れるわずかな音だけが部屋を震わせた。
そこに微かに息遣いが混じった。
誰のものかは、すぐにわかった。
ゆっくりと、けれど確実に揺れる吐息が少し熱を帯びていく。
――
朝の光が、薄いカーテン越しに部屋を満たしていた。
静かで、あまりにも穏やかな朝。
床には脱ぎ捨てられた衣類。
フローラはベッドの中で体を丸めていた。
寒くもないのに、シーツを胸元まで引き寄せて――まるで、何かから身を隠すように。
背中越しに聞こえた足音が遠ざかっていく。
けれどそれでも、彼女は一歩も動けなかった。
「(夢なら、よかったのに)」
昨夜の記憶は、音も匂いも感触も、輪郭が曖昧になっているのに、
心だけは、鮮明に傷ついていた。
「必要とされたかっただけ」
「居場所がほしかっただけ」
そう心で繰り返しても、言い訳にならないことは分かっていた。
言葉が喉の奥に貼りついたまま、涙も出ない。
ただ、体の奥から冷たい何かがじわじわと広がっていく。
誰かに怒りを向けることすらできず、
唯一責める相手が、自分自身であることが――何より苦しかった。
布団の中、誰にも見えない場所で、フローラは小さく唇を噛んだ。
(……私はどうすればいいの?)




