焚き火と誓い
焚き火の炎が小さく揺れている。
静寂に包まれた森の片隅。レオンは膝を抱えて、じっと火を見つめていた。
魔獣の肉で満たされた腹。
新たに宿った俊敏な力。
それでも、空虚だった。
「……俺は、1人でやれるのか?」
ぽつりと漏れたその言葉は、誰に向けたものでもなかった。
ただ、夜の闇に溶けるように消えていく。
レオンは知っている。
復讐という名の道が、どれだけ孤独で、どれだけ重いかを。
彼の心には、怒りと共に、深く鋭い孤独が刻まれていた。
レオンは拳を握った。
骨が軋む音が、静寂の中でやけに大きく響く。
「だけど……やるしかない!」
レオンはその炎の向こうに、過去の幻を見ていた。
まず思い浮かぶのは、あの男――ロイド。
「フローラは俺のものだ」
そう言い放ったときの、あの冷笑。
火傷を負ったフローラには見向きもしなかったくせに――
俺が癒したら、“欲しい”と言い出す。
欲しいのは彼女じゃない。ただ“所有”したという優越感だけだ。
それを“当然の権利”みたいな顔で主張する、お前のその態度が――
「……一番、許せない」
焚き火の炎が強く揺れ、ロイドの姿がかき消える。
そして――ティアナ。
あの冷たく尖った言葉、無遠慮な侮辱。
あのとき、俺を見下ろした目が忘れられない。
王族で、聖女で……誰よりも誇り高く、誰よりも正しさを求める人だった。
でもその正しさは、時に鋭く、人を切り捨てる。
あのとき、お前の目には俺は“汚れ”だったんだろう。
傷跡も、声も。
次に浮かぶのは、ノエルの無機質な目。
「使えるなら利用する。使えないなら捨てる。それだけだろ?」
お前の言うことは正論かもしれない。
でもな、正論が人を救うとは限らないんだ。
最後に思い出すのは、無表情のまま一歩引いていたレイナ。
ただ“どうでもいい”と切り捨てた女。
「……お前の沈黙が、一番刺さったよ」
俺の存在がいてもいなくても変わらないって
それが、仲間だと思っていた俺の幻想を砕いた。
火は静かに揺れていた。
レオンは深く息を吐き、目を閉じた。
「……あいつらは、確かに仲間だった。
少なくとも、僕はそう思ってた」
共に戦い、笑い合った時間は嘘じゃなかったはずだ。
それでも、ロイドが僕を貶めようとしたときに
誰も引き止めようとはしなかった。
それが最善だと――利益のために、割り切ったんだ。
「だから、赦せない。簡単には、忘れられない」
「もう、あの頃の僕には戻らない。
喰らって、積み重ねて、這い上がって――
いつか必ず、あの四人に“選び損ねた”と後悔させてやる」
それは復讐ではなく、“証明”だった。
自分は捨てられるだけの存在ではなかったという、たったひとつの答えを刻むために。
焚き火の炎が静かに揺れている。
レオンはその揺らめきの中で、もう一つの“問題”に思いを巡らせていた。
――どうやって街へ戻る?
力をつければそれで終わり、というわけではない。
あの四人を打ち負かすことだけに囚われれば、王国そのものを敵に回すことになる。
今の俺は、ただの追放者。
「(……だったら、姿を変えるしかない)」
レオンは、そっと手を顔に当てた。
この火傷――焼け爛れた皮膚、ゆがんだ声。
「もし、これが治れば……」
もし、この傷を癒してかつての顔と声を取り戻せたら。
もう一度、別の“自分”として、あの街に戻れるかもしれない。
憎しみを持たず、ただ力を証明する者として――
レオンは、じっとその赤い光を見つめながら、拳をゆっくりと握った。
怒りはある。
今でも、胸の奥に焼け残るような憎しみがある。
だが、彼らを力でねじ伏せ、復讐の刃を突きつけたところで
それは“追放された男”が暴れただけの出来事として処理される。
正しさではなく、“暴力”として。
「……それじゃ意味がない」
彼が望んでいるのは、ただの仕返しじゃない。
正面から、堂々と。あいつらが頭を下げるしかないほどの地位と力を持って
彼ら自身に、己の過ちを思い知らせること。
「力だけじゃ足りない。権力が要る。立場が、後ろ盾が。
この世界が“認める形”でなきゃ、何も覆らない」
魔獣を喰らって得た力。
それは確かに強いがそれだけだ。
顔を戻し、声を取り戻し、正規の手段で階段を登ることができれば。
貴冒険者として、あるいは別の何者かとして成り上がれば
僕の無実も承継できる。
「俺は、あの四人よりも上に立つ。
そして“あのときの判断”が、どれだけ愚かだったかを思い知らせてやる」
レオンの目が、焚き火の炎よりも静かに燃えていた。
それは剣を抜く怒りではない。
正義を語る激情でもない。
ただ――静かに、着実に世界を覆すための覚悟。
「暴力じゃ終われない。
世界に認めさせる。この手に握る力の正しさを」
風が木々を揺らす。
それは、誰かがレオンの決意に応えたような夜の音だった。
「……癒しの魔法だけじゃ足りない。
もっと確かな方法が必要だ。再生の力を持つ魔獣の力か、エリクサーか……」
焚き火の光が、レオンの横顔を照らす。
その瞳には、かすかに希望が宿っていた。
「(いつか、あいつらの前に立つ。それまで、俺が“誰”であるかすら、気づかせないほどに)」
闇の中、ひときわ強く火が燃え上がる。
それは、再起の光――
奪われた名誉を、奪い返すための光だった。




