【短編版】使い魔がコアラだったので、婚約破棄されました。
ある日、わたしの婚約者である王太子が告げた。
「浮気者であるルルティア=ルディール嬢には、オレとの婚約を解消してもらおう!」
……百歩譲って、婚約破棄は許そう。
このパルキア王国の王太子とて、彼はまだ十歳。此度、様々なことで幻滅させてしまったのは事実だ。それに、学園生活が始まり、初恋したりとか、それなりに青春があったのだろう。立場とかあれど、年齢のことを鑑みれば、むしろ健全のような気もする。十歳の男の子が、わたしのような四歳の女の子と遊んでもつまらないよね。
ただ、わたしは浮気なんてしてないぞ?
今は入学一か月して行われる、新入生お披露目兼懇親パーティー。そんな会場のど真ん中で指されても、他の生徒ら、教師らすらキョトンとしている。
だって、わたしは現在、四歳なのだ。
四歳児の浮気とはいかに……?
「も゛お」
今日もわたしの左腕に、使い魔であるコアラが抱き着いている。
こうなりゃ、いつものやけくそだ。
あーあ、今日もわたしのコアラがかわいいなー!!
※
時は遡り、入学式。
「あなたの使い魔は……なんだこれ?」
「……コアラではないでしょうか?」
公認魔法使いの資格が唯一とれる、いわゆるエリート魔法学園に入学して、最初のイベント――それは使い魔召喚の儀式だ。
この『マジカルティア』という世界で、魔法を使うためには使い魔の力を借りる必要があるため、その生涯の相棒を異界から呼び出す……という、ファンタジー好きな読者ならどきどき・わくわくの儀式で……わたしの使い魔として召喚されたのは、コアラでした。
そう、体長は人間の赤ちゃんサイズ。大きな丸い耳に、大きな黒い鼻。灰色のふさふさ体毛。オーストラリアか動物園で暮らす、あの絶滅危惧種のコアラである。
しかし、国一番と謳われる召喚師のお兄さんは、白黒した目で魔方陣の上にひょこんと座るコアラを見ている。
わたしはコテンと小首を傾げた。
「あれ、この世界に、コアラいない?」
「少なくとも、僕の記憶にありませんが……ルディール侯爵家では有名なのでしょうか?」
「いやあ……わたしも夢で……見ただけかもしれません……」
そんな使い魔が召喚されてしまった新米魔法使いルルティーナ、四歳。
わたしは俗にいう転生者である。
前世は負け組アラサー喪女。
ブラック社畜のつかの間の癒やしが、かわいい動物動画を観ること。
だけど過労死して一変、魔法世界『マジカルティア』で侯爵令嬢として転生した。癖のついたピンクの髪に、水色の大きな瞳を持つ、絶世の美少女だ。
しかも、通常十歳前後とされる魔力の発現が、まさか二歳の誕生日。
そのため、あれよあれよと六歳年上の美少年な王太子と婚約。
さらに、現在四歳の幼女にして、エリート魔法学園の入学まで果たしてしまった。
そんなバラ色な第二の人生を歩んでいた最中……突如、登場したのがコアラである。
コアラはまわりのどよめきと困惑を一切気にする様子もなく、ゆっくりと四つ足で近づいてきて……足からよじよじとわたしの身体を登ってくる。あ、左腕にくっつくんだね。あたたかいや。
登ってくるときも爪が痛くなかったし、重さも腕に軽いぬいぐるみがひっついている程度。まさにご都合ファンタジー調整ありがとう。
そんなわたしとコアラを見比べた召喚師のお兄さんが、生唾を呑む。
「前代未聞の使い魔……まさにルルティア嬢が未来の魔女である証明なのかもしれません……」
魔女とは、魔法使いたちの最高権威を持つ称号なんだって。
権威を築いた初代が女性だったのでそう呼ばれるが、男性がなっても『魔女』らしい。こまかいこと気にしない世界観は、ずぼらなわたしにとってありがたい。
とにかく、お兄さんの言葉に、会場の他新入生や教師陣が沸き立つ。
稀代の天才! 魔女の誕生だ! これで我が国の将来も安泰だ!
そんな歓声の中、左腕のコアラが口を開く。
「も゛ぉ」
いや、なんて発音? 鳴き声が渋すぎるんだが?
でも、挨拶してくれたと思えば、これもまた愛嬌だよね。
「よろしくね、コアラ」
「ぐも」
わたしは大の動物好きだ。たまの休みにはストレス発散で、よくひとりで動物園に行っていたくらい。日本では絶対に飼えなかった動物を堂々飼うのも、これまたファンタジー!
だけど一方、婚約者であるパルキア王国、王太子カーライル殿下が奥歯を噛み締めているのが見えた。金髪でちょっとキザっぽい髪型ながらも、顔立ちの整ったザ・王子様である。
入学前から交流があり、年下のわたしに戸惑いながらも、一生懸命エスコート(という名のお世話)をしてくれていた。たまに偉そうな発言はありながらも、小学校低学年が未就学児の面倒をみていると思えば、全然許容範囲。それなりに仲良くさせてもらっていたと思う。
叔父さんが憧れとかで、学園に入る前から必死に魔法の勉強もしていたっけ。
そんな殿下が召喚されたのは黒猫だった。魔法使いの相棒といえば王道だよね。
他の子たちも、やっぱり猫やカラスやネズミあたりが多いみたい。ニワトリだった子は頭を抱えていたけれど。
だけど、殿下の視線が気になるな。コアラのほうが良かったとか?
かわいいもんね、コアラ。
こればかりは替えてあげられるものではないらしいけど、頼まれたら喜んで撫でさせてあげようと、お姉さん気分で思っていたわたしだった。
……このときまでは。
何度も確認するが、コアラとは、日本の動物園で人気者のあいつである。
ずっと木にくっついている、耳と鼻が大きなゆるい癒やし系動物。
主な出身地はオーストラリア。主食はユーカリ。
かわいいけれど、日本では個人が飼育することはできなかった。絶滅危惧種だからね。
あと、コアラには他にも大きな特徴がある。
一日の大半を寝て過ごすのだ。
「いい加減起きんかーいっ!」
「ぐも゛おおおおおおおお」
起きねえ! こいつ、前世のコアラに忠実で、まじの一日二十時間寝てやがる!
揺すっても、叩いても起きない。耳元で叫んでも起きない。何のための大きな耳だ? しかもファンタジー調整で軽いとはいえ、わたしの左腕から本当に離れないので邪魔である。
「ねぇ、とっくに他の使い魔くんは起きてるよ? 結構前にコッケコッコー聞こえてたよね?」
「ぐも゛おおおおおおおおおおおお」
しかもイビキがうるせええええ!
前世十連勤したわたしでも、そこまでは寝汚くなかったぞ!?
ちなみに、主食のユーカリの葉は毒性があり、その毒を消化するために長い間寝ているというのが動画で学んだ豆知識。しかもユーカリ自体に栄養は少ないから、その限りある栄養による活動時間でもあるらしい。
……いや、もっと食べましょ?
好き嫌いはいけないとお母さんに教わっていてほしかった。コアラのお母さんも同じ食生活間違いなしだけど。
ちなみにこの世界の魔法は、使い魔を介さないと使えないらしい。
他の魔法ファンタジーの言葉を借りるなら、精霊魔法みたいなものである。わたしの魔力を糧として、使い魔くんがわたしのイメージ通りに魔法を発現してくれるのだ。
つまり、このコアラが起きてくれないと、いくら私に魔力があっても魔法が使えない!
「ルルティア嬢……これは、初級魔法なのですが……」
「すみません……使い魔が、本当に起きてくれなくて……」
「ぐも゛おおおおおおおおおおお!」
十歳前後のクラスメイトがバンバン小石を飛ばしている中、四歳のわたしはペコペコ平謝りを繰りだすしかなかった。相手は召喚の儀でもお世話になった、あのお兄さんである。本来の先生が長期休暇をとってしまったため、急遽新入生の世話をしてくれることになったんだって。フードを目深にかぶっているから、顔は見えないんだけどね。
「それじゃあ、ちょっと罰として……」
先生が懐から猫じゃらしを取り出した。な、なにをする気……?
そんなとき、助け舟を出してくれたのが婚約者のカーライル殿下だった。
「先生、そのくらいにしてあげてください」
「カーライル……殿下……」
「先生の時間は有限です。使い魔の使役もままならない幼子の相手ではなく、もっと有能な生徒に時間を割くべきでは?」
「ああああ、待ってカーライル、殿下! 僕はコアラをただコショコショしてみたくて~~!!」
教師といえど、王族の王太子殿下より立場は下。
ねこじゃらしを片手に持った先生はコアラに興味津々らしいけど、殿下に腕を引かれてしまえば、逆らうことができないらしい。
ともあれ、わたしの気分は悪いけど……殿下の言動は、謝罪祭りから救ってくれたと言えるかもしれない。だけど、戸惑う先生をよそに、殿下のわたしを見る目は冷たかったから、ポジティブ解釈にも無理があるかもしれないけどね。
先生から解放されたわたしは、グラウンドの隅で頭を抱える。
詰んだ……本当に詰んだ……。
まじでこのコアラ、魔法実践の授業があるときに限って寝ていやがる。
先生は色々試したがったようだけど、餌で釣ろうが、叩こうが、耳を引っ張ろうが起きないのだ、こいつは。
「あーあ、わたしのコアラはかわいいなー」
どんなにやけくそで自分に言い聞かせても。
わたしは一ヶ月のあいだ、実技授業に一度も参加することができなかった。
そして、第二の問題が餌である。
コアラの主食はユーカリである――先にわたしはこう申したが、厳密に言えば少し違う。
コアラはユーカリの葉しか食べないのだ。
しかもひとえに『ユーカリの葉』といってもコアラの好みがあるらしく、なんでもムシャムシャ食べてくれるわけではないようだ。しかも中途半端に地球遵守で、同じ『ユーカリ』といってもこの世界に六百種類あるらしい。
さらにさらに、あらゆるユーカリを取り寄せてもらって、好みを見つけたとしても、可食部分が非常にシビア。新芽や若い葉しか食べないものだから、まじで金がかかる。少しでも成長した葉の部分がどんなに綺麗であっても、すぐに「ぺっ」としてしまうのだ。
「おまえの躾がなってないんじゃないのか?」
ダメ元でカーライル殿下に相談したら、冷たく切り捨てられてしまった。
あげく、この場所が食堂だったから、周囲の嘲笑付き。さらにわたしが下唇を噛んでだんまりしてたら、「これだから子どもは」と殿下にため息つかれる始末。
だって口を開いたら、「四歳に優しくできないような十歳のお兄さんが、将来国を担うことできるんですかね~、あ、まわりの皆さんもそうですよ~。弱いやつ笑っているのが貴族の仕事だと思ってます?」とか、アラサーのわたしが言ってしまいそうだったんだもの。
そんなことで四歳児のわたしが頭を抱えていたら、実家から『どうにかならないのか』という手紙が届いた。
あれだ、授業に参加できていない旨も伝わっているのだ。
せめて実技で大活躍していようものなら、金のある侯爵家だ、『餌代くらいいくらでも出してしんぜよう!』となろうものの、無能には一文も出したくない実業家気質な家門である。気持ちはよくわかる元経理の社畜OL。しかもこの親、わたしが魔力発現してからチヤホヤし始めたけど、元は妾の子だからと、両親ともに虐待寸前だったものね。わたしが転生に気が付いたのがこの二歳のときだったのもあって、記憶はおぼろげだが。
「だけどさぁ……わたしまだ、四歳なのですが?」
はあ、詰んだ……。
メンタルアラサーだから辛うじて許されるものの、まじもの四歳児相手に『どうにかならないのか』はないでしょうが。四歳児に生じた問題は、本人ではなく親がどうにかするものでしょう。しかも、メンタルアラサーでもどうにもできないコアラ飼育生活。
「あ、だめだ、泣きそう……」
薄々気が付いていたことだが、メンタルつよつよでも、涙腺強度は四歳児。前世よりかなり涙もろくなってしまった。
まあ、幸い一人部屋だし、いいか……と、今日も左腕に寝ているコアラをくっつけながら、夜にシクシクしていたときだった。
「あの……失礼してもいいですか?」
トントンとノックされて聞こえた声は、優しい青年のものだった。
誰だろう……と思いつつ鼻を啜っていると、扉がゆっくり開かれる。
そこには教師用のローブを着たお兄さんが、片手を「やあ」とあげていた。
「あ、僕のことわかる? きみたちの実技授業も見ているし、召喚の儀も担当していた者なんだけど……」
フードを目深にかぶっているから、やっぱり顔はわからない。
でも柔和な話し方と手に持っていた葉っぱに、わたしの涙はすぐに引っ込んだ。
「ユーカリ!!」
「うん、知り合いの伝手で、格安で手に入ってね。いるかなーって」
「いります!」
袋にやまほど入ったユーカリの柔らかそうな葉っぱ。これならコアラも喜んで食べそうだ。
しかしわたしが手を伸ばすと、お兄さんが袋を引っ込める。
あ、また涙腺が……。
そんなわたしを見て、お兄さんの口が弧を描いた。
「代わりに……コアラ、撫でさせてもらっていいかな?」
「ぐすん……先生はコアラマニア、なんですか?」
「マニア……というのはよくわからないけど、見たことない使い魔に非常に興味があってね。餌の工面に協力するから、たまにコアラくんと交流させてもらえたらうれしいな」
なるほど、召喚師が召喚獣に興味ないはずないものね。利害の一致。
「ずっと寝ててもよければ」
今度こそ、わたしはユーカリの葉がたくさん入った袋を受け取る。
結果、召喚師のお兄さんの口元は緩みっぱなしとなった。
「あ~、モフモフかわいいな~。このゆる~い顔もいいと思っていたんだよね。抱っこさせてもらいたいな~、あ、腕力つよ。起きているときにユーカリでつったら、僕にも抱っこさせてくれるかな? はあ~しゅきしゅき♡ 癒される~♡」
やっぱりこいつ、ただのコアラマニアではなかろうか。
しかし、モフモフは正義。アニマルセラピーは異世界にも通用した。
「わたしのコアラ、かわいいもんね~」
ちょっとした収穫に、思わずわたしの頬も緩む。
どんなに癖のある子でも、自分のペットをかわいいと言ってもらえるのはうれしい。
※
そして、冒頭の婚約破棄である。
浮気者……もしかして、この先生のことだったりする?
毎晩、新鮮なユーカリを持って部屋にやってくるし。隣の部屋の子から「最近夜に何しているの?」とか聞かれるし。ただ先生がコアラをスゥハァしているだけなんだけどね。
「殿下、勘違いです! 確かに毎晩男性を部屋に招きいれてますが、ただ先生から使い魔の餌をもらっているだけで――」
「その言い訳が本当なら、昼間にもらえばいいだろう!?」
「だって先生が日中は忙しいからって……」
「理由は結構! 不埒な言い訳など聞きたくない!」
そんな、殺生な……。
どうにか、殿下に話を聞いてもらわないと。
せめて先生がいてくれれば話が早いのに、どうして今日に限って姿が見えないんだ。全生徒・教師参加のパーティーじゃないんだっけ?
くそぉ、まともに動いて四歳児の口輪筋。鎮まれ心臓。
学園中の関係者から注目を浴びて、殿下に怒鳴られて……涙腺まで緩んでしまう。
わたしの目から、ひとしずくの涙が落ちたときだった。
「も゛お」
わたしの身体から何かがスッと減った感覚がした。直後、すぐそばから、何かが殿下を目がけて飛んでいく。風を切る音しか聴こえなかった。次の瞬間には、殿下の頬に赤い線ができていて。ころんと、絨毯の上に小石が転がり落ちる。
ゾゾゾ、とわたしの背筋が凍る。
もしかして、この魔法、わたしが使った……?
正確には、わたしの使い魔であるコアラが勝手に魔法を使った!?
「コアラ!?」
「ぶふお」
そういやコアラ、何で今日に限って起きてるの?
そのドヤ顔はなに!? やっぱりあんたか! あんただよねえ!?
「ククク……ならば、いいだろう」
殿下~、そんな悪役風に笑わないでください~。
しかも着けていた白手袋を外して、床に叩きつける。
あ、これ知ってる。なんかの漫画で読んだやつだ。
「決闘だ! もしオレが勝ったら、二度とその顔をオレに見せるな!」
つまり婚約破棄はもちろん、社交界に一生出るなということですか?
当然、この学園からも出て行けということですよね!?
あ、詰んだ……本当に詰んだ。
入学して一か月の新米魔法使い同士とはいえ、殿下はさすが殿下。入学前からの勉強の成果もあって、すでに中学年の魔法まで修めているらしい。ただ授業で一年生は小石を飛ばす呪文以外、攻撃魔法の使用は不可。あとは徹底的に防御魔法を学ぶようにカリキュラムが組まれている。危ないからね。
そんなルールがあれど、対するわたしは、今まで実技授業に一度も参加できていませんが!? コアラがずっと寝ていたせいで! しかもわたし、まだ四歳!
そんな言い訳むなしく、わたしはグランドに連れられてきてしまった。
わあ……ギャラリーがいっぱいだなぁ……グラウンドに入り切ってないや……。
カーライル殿下が自信満々に手をポキポキ鳴らす。
うわぁ、肩に載った黒猫ちゃんもかわいいなぁ。一生懸命、殿下にスリスリしている。殿下はわたしを睨んでばかりで、スルーしているけどね。もっと構ってあげればいいのに。
対して、手のかかり具合なら、うちのコアラは負けていない!
ほら、せめて仲いいアピールを……とコアラを撫でようとするも、ぷいっとそっぽ向かれてしまった。
あーもう、わたしのコアラはかわいいなー!!
やけくそなわたしに、殿下が再び指をつきつけてくる。
「泣いて謝るなら、今のうちだぞ!」
本当ですか!? 泣く泣く! 謝る謝る!!
謝罪なら得意ですよ、前世社畜な派遣社員を舐めるな。
と、美少女四歳児を生かしてかわいく『ごめんなしゃい……』をしようとしたときだった。
おかしい……わたしの目の前で、グラウンドから浮かび上がった砂塵が形を成して、大岩が浮かび上がっている。ちなみに、わたしはもちろん魔法を使おうなんてしていない。
わたしの左腕のコアラが「ふんす」と鼻息を荒くしている。
「だからコアラあああああああ!」
「慰謝料はいくらでもくれてやるっ!!」
殿下が十歳のわりに太っ腹なことを叫べば、肩の猫ちゃんが「にゃおおおん」と吠える。するとカーライル殿下のまわりにいくつもの火球が生まれた。火球のいくつかはコアラの作った大岩が防いでくれるも、残った火球がわたしに迫る。
あ、詰んだ……本当に詰んだ……。
わたしは当然、防御魔法なんて使ったことがない。このまま黒焦げ四歳児の出来上がりだ。せめて、苦しくないといいな。なんて目を閉じてアーメンしていても、一向に熱くも寒くも痛くもならなかった。
聞こえるのは、ギャラリーのざわめきだけ。
おそるおそる目を開けると、目の前には薄緑の半透明な壁。
その壁の前で火球がボゥボゥとうねっている。
「このバリア、もしかしてコアラ?」
「ぐも゛」
「すごいね!?」
「ぶふっ」
――と、ここで終わればよかった。
バリアに阻まれていた火球のうねる方向が逆回転しはじめる。
そして、来た方へと跳ね返っていった。ぎょっとした殿下が動く前に、その肩に載った猫が自ら火球へと跳んで。
「調子乗りやがったなコアラあああああ!?」
「シェンナ!?」
シェンナは、黒猫ちゃんの名前なのだろうか。
殿下の肩から落ちてぐったりしている黒猫ちゃんを、殿下はおそるおそる抱きかかえる。
そういや、授業で習ったな。
使い魔の本体はこことは別の次元にあるから、どんなに大怪我を負っても死ぬことないんだって。しばらく動けなくなるけれど、毎日ご主人の魔力を与えていれば、いつか復活するらしい。ただ、そのあいだはご主人は魔法を使えなくなる。
座学の授業はアラサー頭脳でがんばっていたわたしだ。小テストもそれなりに高得点を出している。だから間違いない知識だし、殿下もわかってるはずだけど……。
弱った使い魔を抱えて、カーライル殿下がぼそりとつぶやく。
「だから、もっと強い使い魔がよかったんだ……」
「えっ?」
洟を啜りながら口を尖らせる姿は、まさに十歳の子ども。
「オレはドラゴンの使い魔がほしかったのに……ただの猫なんて……こんな普通のやつじゃ、ミハエル叔父上に自慢できないじゃないか……」
ミハエル叔父上って……たしか、カーライル殿下が憧れてる人だよね。
わたしはお会いしたことないけれど、噂によれば、放浪癖がありつつも、まだ二十代なのにあらゆる魔法に精通している頭脳派なのだとか。
「オレが叔父上が見たことないような、すっごい使い魔を見せてあげるって約束していたのに……オレは普通の猫で、ルルティアが未知の使い魔だと? せめて見た目と同じように腑抜けたやつならまだしも、こんな……強いなんて……」
つまり殿下は、ある意味わたしが羨ましかったということなのかな。
強くて珍しい使い魔で叔父さんの気を引きたかったのに、それが叶わなかったから。
わたしに嫉妬して。ありもしない『浮気』をでっちあげて、自分のほうが強いと証明しようとして。子どもらしいといえば、そうなのかもしれないけれど。
「だったら、オレもコアラがよかったのに!」
だけど見ていられないよ。
そう涙を流す殿下のそばで、今も黒猫は懸命に立ち上がろうとしているんだもの。
だってこの猫ちゃん、さっきも殿下を守ろうとして自ら火球に跳んだよね? 殿下を庇って怪我をして、やけどで痛いだろうに、今もまだ戦おうとして。ご主人様のために、ご主人様に愛されたくて、こんなにも懸命にがんばっている。
ちょっとこれは、メンタル年長者として言ってやらなければならない。
なのに、わたしの口が勝手に動いた。
「黙れ、小童が」
「えっ?」
とても四歳児とは思えない言葉に、殿下も、そして周囲のギャラリーも目を丸くする。もちろん、わたしもそうしたいんだけどね。
それでも、わたしは口が……わたしの身体が勝手に動くのだ。
「貴様のために身を挺した使い魔になんて言った? 使い魔の姿など……ましてや希少性などに何も意味はない。ただ貴様とともにありたい、貴様の助けになりたい、貴様に愛されたい、そんな純粋なる想いを糧に、わざわざ下界にきてやった存在に……この矮小な小童が。貴様に使い魔を使役する資格はない!」
あの~コアラさん。
とってもいいこと言っていると思うのですが、それ、四歳が仁王立ちになって語るに相応しい言葉ですか?
「その使い魔を解放するために、貴様は死ね」
そして殿下の前に、えげつないサイズの火球が生まれる。
その瞬間、わたしの心が叫んだ。
――待て、コアラ!
――こいつは、わたしに説教させろ!!
その瞬間、大きな火球がシュンと消えた。
まわりはザワザワとしているけど、わたしだけが気づいていた。
わたしの右腕に、魔力が集約されていることに。
「ねぇ、知ってる?」
おびえた殿下が、かろうじて顔をあげる。
そんな婚約者を見下ろして、わたしはにこりと微笑んだ。
「コアラの握力って、一トンあるんだよ♡」
「へ?」
ウソである。
ゴリラだって握力は五百キログラムと言われているのだ。身体の大きさから小さいコアラが、ゴリラに勝るはずがない。
だけど、コアラだって樹上生物。毎日二十時間も木に掴まって寝ている握力は、人間の成人女性並みにはあるという。ま、ぜんぶ前世のネット&動画情報だけどね。
「殿下、うしろを向いて?」
「えっ?」
「いいから!」
先ほど「小童!」とハスキーに説教されて、怖かったのだろう。
異様におどおどした殿下が、大人しくわたしに尻を向ける。
それでも、四歳児が意表をつくには十分な威力だろう。食らえ!
「にゃんこのうらみいいいいいい!」
「ぐぎゃああああああああ!」
説教といえば、お尻ぺんぺんである。
人前だし、実の母親じゃないからね。ズボンを下げるのは勘弁してあげた。
しかし、私が殿下のお尻を平手打ちすれば、とても王太子とは思えない無様な叫び声をあげて、殿下が吹っ飛ぶ。あれ、思っていた以上の威力だな?
「コアラ、なんかした?」
「ぐも?」
とぼけている顔なのか……普段からこんな顔だったような……。
とにかく、此度の決闘はわたしの勝利でいいはず。
なので、ひっくり返ってピクピクしているカーライル殿下に向かって、わたしはにこりと微笑んだ。
「決闘の勝者は、敗者にお願い事をするのがセオリーですよね?」
一度飼うと決めた動物は、最後まで責任を持つべきである。
たとえ理想の使い魔とは違っても、名前まで付けたなら同義だろう。
『シェンナちゃんを大切にしてあげてください』
そんなわたしからお願いなどなくても、すり寄ってくる黒猫シェンナちゃんに、殿下は涙を零していた。
「シェンナ……こんなオレでも主と認めてくれるのか……?」
カーライル殿下は、まだ十歳。前世の基準なら小学四年生くらいだ。
ここで泣けるなら、きっと大丈夫。またいつか決闘する機会があったら、きっとふたりは強敵になっているに違いない。
そして、殿下は自主退学された。
わたしに対しては「四歳児の婚約者にあんな恥をかかされて、おめおめ学園生活を続けられるか!?」とのことだが……けっきょく、わたしは婚約者のままなんだね?
「嫌な思いをさせてすまなかった」
別れ際、そう謝ってもくれたし、「オレもコアラを撫でてみたい」と言ってくれた。撫でさせてあげたら、すごく興奮しながら、嬉しそうにしてくれたっけ。美少年が無邪気に喜ぶ顔はプライスレス。
黒猫シェンナちゃんもわたしの手をぺろぺろと舐めてくれて、これにて無事に仲直りである。
今度会ったときには、ふたりのカッコイイ必殺技でわたしのことを守ってくれるんだって。なんとも十歳児らしいプロポーズじゃないか。
……と、ここで一件落着……と思いきや、そうは問屋が卸さなかった。
実家から、こんな手紙が届いたのだ。
『二度と家に帰ってくるな』
まあ、気持ちはわかる。
婚約者である王太子と公の場で決闘し、お尻ビンタで勝っちゃったからね。
王家の威信とか完全にズタボロにしたあげくの早期退学ですよ。わたしのせい……ってことですよね。申し訳ありませんでした。ほぼコアラのせいだけど。最後のビンタ以外は。
詰んだ……四歳にして、完全に詰んだ……。
どんなに美少女な貴族に転生しようとも、王太子から婚約破棄された四歳児が親から絶縁されたら、まっとうに生きていくことなど無理に決まっている。
だってわたしに残されたものは、すべての元凶であるコアラしかないのだから。
寮を出る準備をしながら、わたしはコアラをぎゅっと抱きしめる。
「でもさぁ、コアラ……わたしを守ろうとしてくれたんだよね……」
「ぐも゛おおおおおおお」
「コアラが魔法を使ったタイミング、いつもわたしが泣こうとしたときだったもんね。わたし、ちゃんと気が付いていたよ。ありがとうね」
「ぐも゛おおおおおおお」
「あーもう、今日もわたしのコアラはかわいいなー!!」
「ぐも゛おおおおおおおおお!」
いい話をしようとしたのに、やっぱりコアラはこれである。
わたしは苦笑しながら、寝ているコアラを撫でた。
「ま、これからも二人でがんばろうね」
そういや前世でも、ペットを飼った独身女は結婚ができないというジンクスがあった。
今ならその気持ちがよくわかる。男や親がいなくても、コアラさえいれば生きていける……ような気がするような、やっぱり勘違いなような……がんばれるかな、わたし。
「ぐも」
……ん、こいつ、返事した?
もしかして、寝たふりだったする?
確かめるべく、わたしがコアラの鼻を摘まもうとしたときだった。扉がノックされる。無許可で入ってくるローブの男に、わたしはジト目を返した。
「お久しぶりです、薄情者さん。あなたのせいで、わたし退学になっちゃいましたよ。あげくにこれから孤児ですって」
「知ってる。カーライルと決闘したんだってね。というわけで、今日のプレゼント」
恨みつらみはあれど、ユーカリには代えられぬ。
だって実家と縁を切られたということは、援助もなくなったということ。本当にすべて自分の生活代とコアラの餌代を賄わないといけないのだ。四歳の身体で。身売りする前に、縋れるものには縋りたい。
だけど今日は袋の中に、一枚の書類も見つける。
「これは……」
「実家から縁を切られたというから、責任をとろうと思って」
情報が早すぎるが、たしかにそれは、養子届けのようだ。
養子の欄にはすでにわたしの名前が書いてあり、親の欄には『ミハエル=フォン=パルキア』と書いてある。あれ、この名前って……?
「ミハエル……王弟殿下……?」
「うん。召喚師ってほんとなりてが少ないから、こうして手伝っているんだ。僕のこと、他のひとにはまだ秘密ね?」
そう言ってフードを外せば、そこにはまばゆいばかりのイケメンが登場した。
肩より少し上で切りそろえた金髪に、宝石のような碧眼。柔和とミステリアスが調合したイケメンは、二十五歳程度か。目つきの違いはあれど、その風貌はカーライル殿下にとてもよく似ている。
待って? 王弟ってことは、カーライル殿下の叔父さんってことだよね?
つまり、殿下憧れのおまえがコアラしゅきしゅき~♡しているから、殿下がわたしに嫉妬したってか!?
「というか、わたしを養子って……ただコアラが欲しいだけってオチはない!?」
「そんなことないよ。苦難はあれど、四歳にしてこんな面倒なコアラを飼えちゃったり、カーライルの尻をビンタでぶっ飛ばす君の精神性にも探究者として興味があるし……そもそも僕、モフモフしているの撫でるだけでも好きだから」
そう言って、召喚師のお兄さん先生……もとい、ミハエル王弟殿下がわたしの頭をうりうり撫でてくる。あー、そうですね。わたしの髪も癖毛でふわふわしてますもんね……。
「ちなみにカーライルにもタダではあげないほどの親バカになるつもりだから、そのつもりで」
この異世界生活に、使い魔がコアラだったので婚約破棄されましたが、どうやら養父からの溺愛が待っていたようです……なんてタイトルはいらないのですが!?
「はあ……詰んだ。まじで詰んだ」
「ぐも」
あぁ、今日もわたしの左腕にコアラが抱き着いている。
そのコアラをにこやかに見つめながら、ミハエル殿下が訊いてきた。
「で、そのコアラって結局何者なの?」
「そんなの、わたしが知りたいです……」
「本当かなぁ?」
そんなこと言われても、本当に手がかかって、たまに優しくて、でもすぐに調子に乗ること以外何もわかりません。前世のお決まりを当てはめるなら、封印された魔王とかですかね?
「ぐも」
とりあえず、たとえコアラにわたしの言葉はわかっても、わたしにコアラの言葉はわからない。なのでとりあえず、心の中で叫んでおいた。
あーあ、今日もわたしのコアラがかわいいなー!!!!
【使い魔がコアラだったので、婚約破棄されました 完】
最後までお読みいただきありがとうございました!
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(追記 2025.03.21)
連載版を始めました! https://ncode.syosetu.com/n9188ke/
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7話から新しい話です。主人公の過去や、養父とのお風呂騒動から描きました。