犬呼寺6
寺へ到着した。
驚いた、という枠では収まらない。
吐き気がするほど酷い光景だった。
犬の生首、人の生首。
それらが繋ぎ合わされて建った寺は呪いの根源であり、それ相応の禍々しさを漂わせていた。
霊たちに、わたしを呪い殺したり憑りつくことはできない。
これはそういう体質なのだという。
だからといって平常心ではいられなかった。
首たちはじろりと此方をみる。
だらりと舌を垂らし、目玉が残さずくり抜かれ、それでも全てが此方を見ているのだと理解できた。
久々の霊、恐怖が身を貫く。
その中でも龍川凛という男性は勇敢だった。
目を逸らしたくなる光景から目を逸らさず、危険だとわかりながらも消滅させることを選ばない。
わたしは結界を張る。絶対に彼と犬神の接触は許してはならない。
わたしと違って彼は憑りつかれる可能性がある。
それを恐らく彼の守護霊たちが許すとは思えないが、彼自身が許せば別だ。
彼は、優しすぎる。
「だめ、か…」
祈りは全て犬の鳴き声でかき消される。
目もくり抜かれているため見せることも叶わないようだ。
それに…あの様子では耳も奪われていることだろう。
゛りん。ちがう。おおきいのは、首じゃないよ゛
子狐が震える。
言葉と同時に結界に亀裂がはいった。
わたしの空間に何かが足を踏み入れたのだ。
それは、人であって人ではなかった。
目も耳も鼻もなく、肉も皮もほとんどない。
内臓があるべき場所は空虚で、至る所から白い骨が見えた。
人間とわかったのは、2足歩行だからというだけ。
辛うじて人間だとわかるレベルだ。
アレの周りには、犬のようにされた人間も犬神もいた。
彼らはアレから出るどす黒い煙のようなものに囚われているように見える。
「貴方が、彼らを留めているのか」
凛さんは、睨みつけて言った。
怒りが滲み見えている。
「人間はともかく、犬たちは目も耳もあったはずだ。
使役するための犬神なんだから奪っては意味がない。
死んだ後の彼らから奪ったんだな。行く道が見えないように」
アレは嗤う。
そして音のない言葉で言った。
”イヌたち、かわいソウだ。わしガずっと一緒にイテあげるのさ”
「うるさい。あなたのエゴだ、それは。あんたが縛ってるんだぞ、その子たちを!解放しないならあんたら消す」
アレはゆっくりと凛さんに近寄る。
わたしは結界を強める。それでも進む。
いっそのこと一度解除しようかと思ったが、結界は既に生首たちに囲まれていた。
ぞっとするほど、隙間なく。
眼の無い首たちがじっとこちらを見ているのだ。
舌を垂らし、腹が減ったと怨念を飛ばしてくる。
触れていないにも関わらず、飢えの苦しさはこちらまで届くほどに。
苦しさで結界の維持が限界だ。
これが解けてしまったら、わたしとて死ぬんじゃないだろうか…。
「…消しても、変わらない。統率者だから、失ったら、全員消すしかない…」
同じ立場にあるはずの凛さんは強さを失わずにそう言った。
彼は苦しさに鈍感ではないだろうかと思うくらいに。
「カガシ、合ってる?あいつの言ってること……。…うん、わかった。そっか…」
意思が伝わってくる。ハクコさんからだ。
アレが呪いの主体で、人間への恨みが一番強く、同じくらいの拷問を受け憎しみを持っている。
ここにいる霊たちはアレに引っ張られていると言っていい。
アレは霊たちを捕えている。目も耳も奪い、自由にさせないようにしている。
己の憎しみを分けて成仏もさせない。人間への恨みで満たせているのだ。
だから、アレが消えても、霊たちは消えない。
リーダーがいなくなって更に恨みを増すだろう。
アレを消すなら、全員消すしかない。そういうことだ。
ここにいるのが人間だけなら、裏切りという考えがあるためアレを消せば解決する可能性がある。
だが、ここにいるのは犬と犬にされた人間だけ。
忠誠心が高く、仲間意識が強い生き物の霊たち。
消されれば、彼らは敵対意識しか持たないだろう。
「喰え」
彼は、はっきりとそう言った。
「生きた人間だ。僕を喰って満足しろ。それであるべきところへ還れ」
彼の言葉にアレも周りの霊たちも一気に騒ぎ出した。
結界への攻撃が更に強まり、結界内にいる霊たちはこぞって彼を襲いだす。
それに対処したのはカガシ様だ。
姿を現し、大蛇の体で圧を放つ。
霊たちは消し飛び、粉々になるも新しい霊が現れる。
凛さんが噛まれた。カガシ様が激昂し、牙を剥く。
ただ、凛さんが消滅を願わない限り、カガシ様が彼らを完全に抹消させることはできない。
そして、カガシ様も説得はせず守護しか行いはしない。
この選択の結果がわかりながらも。
わたしには、言葉がない。言葉がでない。
ここから止めろと叫ぶことも、優しい彼を説得することもできない。
ハクコさんはあの場所へ近づけば、カガシ様か犬神かに消されてしまう。
無力。
無力、無力だ。
彼は人間だ。人間は、好きではない。わたしは人間からは離れたのだから尚更。
ただ、彼を見捨てるのは、忘れていた心が痛んだ。
叫ぼうとする。音はない。
もう一度、声を張り上げる。声は出ない。
涙があふれてきた。行く末が、わたしにもわかる。
そしてその時はきた。
―よい。ならば我を喰らえ―
「……は?」
凛さんが噛まれた腕を抑えながら、間の抜けた声をこぼした。
わたしは唇を固く噛みしめる。
―我はリンを守護すると決めている―
「い、いやだ!カガシが喰われるのはいやだ!絶対いやだ!!
カガシ約束しろ、命令だってするぞ!お前がくわれるのはいやだ!!」
凛さんは叫ぶ。しかし、カガシさまは守護者だ。
―我は守護すると決めた―
喰われるというなら己が守る。喰われることが必要なら守るために己を喰えと。
カガシ様は堂々たる姿でそう言った。
霊たちのなかで高位のカガシ様だ。
食らえると聞いて犬神たちが殺気立つ。
凛さんは止めろと叫んだ。しかしカガシ様は守るのに必要なことなら退きはしない。
ああ、わかっていた。行く末通りだ。
ごめんなさい。
力不足です。
来て。
たすけて。
「カガーーーーシ!!!」
突然現れた銀色の光はそのまま大蛇へ向かっていった。
カガシさまは咄嗟にそれを弾くも銀色の光はそのままカガシさまの頭へ居座る。
「お前が喰われたらここにいる奴ら力つけるだろうが!そうなると大変なの俺なんだよ!!」
―………王よ。来るならもっと早く来るべくであろう。リンが噛まれる前に―
「俺に頼んな、ばーか」
カガシ様から飛び降りた赤い眼の彼は、地面に手をついた凛さんへ近づきその背中を叩いた。
悪いモノが跳ねて消えたのが私には見えた。
「…アカメさん」
「おい。死んだ奴らのために犠牲にはなんな。そこまでする必要はねぇよ。わかったな」
「でも、それじゃ浮かばれないじゃん」
「ここが生きてるやつの世界である限り優先は生きている奴だ。どんな野郎でもな。
死んだ奴を優先するのは俺の世界。ここがそうじゃない以上、霊だろうが妖怪だろうがそれ以上優遇するつもりはねぇよ」
「……」
「わかんねぇようならカガシとハクコの記憶消すぞ。お前は人間として普通に生きる道もあるんだし」
「いや、わかるよ。うん。わかる…。ごめん」
よし、とアカメさんは言って、気づけば私の前にいた。
「まだまだだな」
…うん
「もうちょい頑張れ。次な、次」
……うん
そしてハクコさんにも向き直る。
「この子狐!ちったぁ役に立て馬鹿野郎!!力不足にも程があるぞ!!」
゛わぁわぁ きびしいよ きびしい!゛
「お前修行中だろ!スマホばっかいじってんじゃねぇ!!」
゛ごめん おうさま でもありがとう たすけてくれるのうれしい゛
「当たり前だろうが。カガシもハクコもついでに凛と朱鬼も俺の管理下だ。ルール破ったどこぞの阿呆に消されてたまるか」
アカメさんが、立ち上がる。
赤い眼を光らせ、銀の髪をなびかせて。
「おい、お前ら。お空から恨むだけにしろって俺は言ったよなぁ。程ほどにしろよって言ったよなぁ!」
びりびりと、空気が揺れる。
夜の闇より黒い闇が、アカメさんから溢れ出て包み込んでいく。
「ましてや俺の知り合いを喰おうとか良い度胸だ。わかってなかった?
嘘つけよ。俺の印が視えねぇ程目が腐ってんのか?あ?
ふざけんな。ぶっ殺すだけじゃ足りねぇようだなぁ!!!」
初めて見た、アカメさんの怒り。
ここまで酷いことになるとは彼らも、そしてアカメさん自身も思ってなかったんだろう。
怒気と恐怖心が入り混じる。心が乱れ、叫びとなる。
誰もが怯えて逃げようとして、それを許さぬと赤い眼が貫いた。
「全員消す。消える前に1000年は拷問でもくらってもらう。自分が死んだ時が可愛くなるくらいのやつを味わえ!!」
闇が包み込む。叫び声が響く。
カガシさまとて何も言わない。わたしも、凛さんも、ハクコさんも。
言葉を発するどころか動くことさえできない。
その中で、静かに闇の中に何かが舞い降りた。
「……あ?」
大きな狼だ。
神々しく、静かにたたずむ一匹の狼。
”真神様だ”
ハクコが目を丸くして言った。
”狼の神様。山の神様。人も助ける不思議なかただよ”
真神。彼を祀る神社があるほどに称えられた神だ。わたしとて知っている。
日本では神様を祭るところは多数あっても動物神は少ない。
神使といって尊重されてはいても主体となって奉るのは少ないのだが真神様は違う。
真神様のための神社もあり、歴史もあり、それが今もなお残っている数少ない神様だ
”ここもやまだから きてくれたんだね”
真神様は言葉も交わさず、じっとアカメさんを見る。
アカメさんもそれに応えた。
「……真神。それじゃ対価が足りねぇ」
真神様は動かない。
動かないまま、怯える霊たちを見つめた。
すると、彼らはみるみると姿を変えていく。
目をもち、耳を持ち、胴を持ち、手足を持った。
きらきらと輝く中で起きた信じられない事態にハクコさんも開いた口が塞がらない。
「……凛の願い、か。ちっ」
アカメさんはどんと真神様の胸を叩いた。
「ここ一帯、連れていけ。まだ修行中の子狐じゃ荷が重い。で、寄せ付けないよう協力してもらう。いいな」
真神様は無言でうなずき、美しい遠吠えを響かせた。
すると、体を得た霊たちはまるで水に流されるように天へ昇っていく。
苦しんだり悲しんだりする霊はいない。みなが輝きながら昇っていった。
そして真神様も一礼し、消えていく。
その後には一人の霊だけが残った。
根源であり、業を深く背負った人間。
犬飼と呼ばれた人間だ。
「…そうだなぁ。まぁこいつが俺の怒りの中心だしなぁ」
ぽりぽりと頭を描きながらアカメさんは進み、彼の頭を地面に叩き付けた。
そこは闇で染まっており、ずぶずぶと埋まっていく。
「全員分、苦しめ。終われば消してやる。それで清算だ」
アレは叫ぶことも詫びることできずに闇に飲まれて消えた。
ち。
真神、俺が来たから来たな。あいつ
まぁそうじゃねぇと記憶処理できねぇから判断は正しいんだけどよ。
なんか腹立つ




