第一章:嘘で守るものは(二)
ガタン、ゴトン。馬車は王国南東にあるメノリシア峠を走っていた。緩やかな曲線を描く道の隣には、色彩豊かな草花が広がり、太陽の光を浴びてきらきらと光る。
「(もっと王都に近いところを想定していたけど、結構辺鄙なところね)あとどれくらいで着くのかしら?」
「この峠を越えれば、すぐでございます。」
フォーリーンを出発したユリアは、宮殿に向かっていた。もう、かれこれ二時間は走っている。
「ハーロス様は、ヴィーノフ公爵をご存知なのですか?」
「えぇ。ライアン・ヴィーノフは私の幼馴染です。幼少期、共に剣の稽古などもいたしました。」
「そう。」
ユリアは想像してみた。どんな人だろう。ハーロス様は美男だから、きっと公爵も綺麗なんでしょうね。でも、どうせ傲慢で横暴な人だわ。いきなり使いを寄越したかと思えば、強制的に婚約ですもの。
そうこう考えていると、森の中に佇む大きな宮殿が見えてきた。馬車を降り、ロインに連れられ、整備された庭園を進んでゆく。すると、花の香りに包まれた、大きく立派な宮殿が建っており、それはまるで古城のような豪華さであった。
「(お姉ちゃんは一体、どんな人に求婚されたのよ…)」
ユリアが呆けていると、宮殿の中から五人の侍女が現れた。
「ようこそ、いらっしゃいました。」
侍女達は、礼儀良くお辞儀すると、ユリアを宮殿内へ案内した。
シャンデリアに大きな絵画、凝った装飾が施された宮殿内は、まるで王宮のようだった。
「マリア様、私はこれで失礼しますので、何かございましたら、この者達にお申し付けください。」
「分かりました。色々とありがとうございます。」
ロインはそういうと、宮殿を後にした。
「そういえば、ヴィーノフ公爵様は何処にいらっしゃるの?」
ふとユリアは疑問に思った。この宮殿の主人は、なぜ姿を見せないのかしら。
「それが…」
侍女達は、ヴィーノフ公爵からの伝言をユリアに伝えた。
「『夕刻八時以降は、蝋燭の火を消し、寝室にて待て。』だそうです。」
彼女達は笑みを滲ませた顔で言った。
「…そう。」
ユリアは、何とも言えない羞恥感に苛まれた。
侍女達が受けとった仕事内容を記す契約書には、四つ記述されていた。
一つ、マリア様の身の回りの世話。
二つ、夕飯は六時に済ませること。
三つ、夜七時半には自室に戻ること。
四つ、宮殿での出来事、又はこの仕事について、他言しないこと。
この不思議な仕事依頼に、侍女達は多少の不安を抱いていた。しかし、騎士団副長が関係している事もあり、侍女達はそれに従った。
この豪華な宮殿での生活は、田舎娘にとっては、まるで幻術にかかったかのように幸福なものだ。が、ユリアは不信感を抱かずにはいられなかった。
「(侍女に伝言を頼むだなんて、なんて腰抜けな公爵かしら)」
これがユリアへの伝言であったのならば、彼女はこう言い返しただろう。「言い成りになる筋合いは無いわ!」と。しかし、マリアを演じている今の状況で、そんな物言いをしたらバレてしまうかも知れない。六月までの辛抱だと妥協し、ユリアは寝部屋で公爵を待った。
ゴーン、ゴーンと、八時ちょうどを知らせる大時計の鐘が響く。ユリアはふぅーっと蝋燭を消すと、背筋をしゃんと伸ばし、ベッドの上で正座した。
「(何が何でも変なことは起こらないよう注意しなきゃ!どんな奴か知れたもんじゃ無いわ)」
カチッ、カチッ。静まり返った部屋の中で、時計の音だけが不気味に響き渡る。…ガチャ。
「(ビクッ)」
ドアの開く音に、思わず身体を縮こめた。緊張と不安に鼓動音が増す。近づいてくる足音を捕らえようとするかのように研ぎ澄まされてゆく聴覚。ピタッ、部屋が一瞬静寂を取り戻す。と、同時にベッドが沈む。耳に触れる生暖かい息。
「…緊張しているのかい?」
柔らかく空気を含んだ落ち着いた声。視覚を封じられ、敏感になっていた感覚は、その限界を超えた。
「(ぷつん)…あ、あ、あなた、仮にも婚約者に、暗闇で待てって…どうゆうつもりなのよ!しかも、直接じゃなく伝言じゃない!?」
「き、君…」
…はっ、と我に返ったユリアは、自分の失言に気がついた。うっかり素が出てしまい、強く言い過ぎてしまったと後悔の念に駆られる。しかし、放たれた言葉はもう元には戻らない。ユリアは、嘘をつく代償である罪悪感と、真相を知られる恐怖の重さを知った。
「…顔が見れないのが勿体無いな。」
「…へっ?」
「君が、私に必死になって、言の葉を紡いでいる姿は、さぞ愛らしいのだろう。こんなにも近くにいるというのに…。だが今日、君に私から何かすることはないから、安心してくれていい。早急に、事を起こすことはないよ。」
「あ、はい。」
ユリアは、何か、敗北感を感じた。この男は、愛しているのだ。お姉ちゃんを。マリアを。
「でも、将来的には君といろいろな事をしたいと思っているよ。ただ、今の時点で、君に私の顔を見せることはできない。お互い、まだその準備が出来ていないからね。だから、毎日八時には今日と同じようにして待っていてくれ。私から逢いに行こう。」
「はい。」
顔も見せないこの男は、穏やかな声に情熱を潜ませていた。その真剣さに、ユリアは言葉を失った。