第一章:嘘で守るものは(一)
ガヤガヤと騒がしく賑わう酒場。仕事を終えた者達がくつろぐこの場所で、せっせと働く娘が一人。
「ユリちゃん、こっちジョッキ三杯!」
「おじさん、もう四杯目じゃない!そんなに飲んでると、下っ腹でるわよ?」
ラミリエスタ王国北東にある田舎町、フォーリーン。この町で、一番の美女といえば、酒場で働くこの娘、ユリア・エミュロン、ではなく、その姉、マリア・エミュロンである。この姉妹は一卵性双生児。いわゆるそっくりの双子だ。大きな黒水晶のような瞳に整った顔つきは、瓜二つで、鏡に写したようによく似ている。ただ、性格や表情は全く違い、姉であるマリアの評判が高い。おしとやかに優しく微笑むマリアに比べ、ユリアは天邪鬼でお天気者。「顔は可愛いけど、少しお転婆すぎる」というのがユリアの評判だ。
「ユリちゃん、今日はマリちゃんいないのかい?」
「残念でした〜。お姉ちゃんは、今、イアンのとこで花嫁修業中よ!」
「もうそんな歳だっけねぇ〜」
そう。この姉妹に他の違いをあげるとすれば、それはマリアには、もう嫁ぎ先が決まっているというところだ。二人が十六歳になったこの四月、幼馴染であるイアン・ロッシュから正式に結婚を申し込まれたマリアは、六月の結婚式までの期間を、イアンの家で過ごしている。それに対して、ユリアは恋愛ごとにあまり興味がないようだ。恋人どころか、好きな人すらまだできたことがない。双子とは言っても、全く違う二人の人間ということだ。そして、マリアがいなくなったことで、二人でしていたホールの接客を、ユリア一人でまわしている。そんなわけで、ユリアは一人、せっせと働いているのだ。
店を開ける夕暮れ時。からん、からん。ドアを開ける音。こつ、こつ、こつ。一人、店を開ける準備をしていたユリアの前に、三人の男達が現れた。
「はじめまして。私は騎士団副長、ロイン・ハーロス。ラミリエスタ王国国王、ヘリオス様の命により、マリア・エミュロン様をお迎えにあがりました。」
そう言うと、綺麗な一礼をし、紅い百合の紋章で刻印された手紙を、ユリアに差し出した。澄んだ蒼い目にキャラメル色の髪。紺、紅、金で纏められた軍服を身に纏ったその姿は、白馬の騎士そのものであった。
「私はマリアではなくてよ。お姉ちゃんに何の用かしら」
突っぱねた言い方でユリアは言い放った。もう少し可愛げのある言い方はできないものか。
「この度、ライアン・ヴィノーフ公爵が、マリア様とご婚約されるという事で、国王様はお二人に祝い品として南東に所有される宮殿を差し上げるそうです。そして、案内役として私目が指名され、お迎えにあがった次第でございます。詳しくはそちらのお手紙に書かれてありますので、御拝見ください。」
「ちょ、ちょっと待ってください!お姉ちゃんは公爵のお嫁には行けません!もう婚約者がいるんですから。」
突然の危機的状況に、ユリアは混乱していた。
「マリア様に、拒否権はございません。ご了承ください。身支度がお済みで無いようならば、明朝、改めてお迎え仕ります。それでは、失礼いたします。」
そう言うと、副騎士長は二人の部下を連れ、静かに去っていった。酒場は一気に静寂を取り戻し、ユリアの手元には、重く厳しい現実を突きつけるかのように手紙が残されていた。
「ど、どうしよう…」
「おかーさーん、おとーさーん、ちょっと来てー!大変なのー!」
ユリアは愕然としていられるはずもなく、すぐさま両親に相談した。
「そんな…横暴な…」
「なんてことだ…」
父は眉をひそめ、母は瞳に涙を浮かべた。
ーーーどうしていつもこうなのだろう。
お姉ちゃんはいつも優しいから、いつも人一倍の苦労をする。やっと幸せを掴むところだったのに。
「ママ!」
小さい手を大きく広げて私を庇う。
「ユリアをそんなに怒らないで、ママ!」
なぜ怒られていたのかは覚えていない。しかし、お姉ちゃんはいつもそうだった。いつも悪いのは私で、その私を庇って、
お姉ちゃんは怒られていた。優しいその手は、私を守っていた。
お姉ちゃんは、きっと私たちを守ってくれる。このことを知ったら、迷う事なく、国王の言いなりになり、どんなことがあっても私たちを庇ってくれる。自分の意思を押し殺してでも…111
「(そんなのは絶対にダメだ)私でいいんじゃない?お姉ちゃんでなくても。(お姉ちゃんは、幸せになるんだ!)」
「何を言っているの!そんなこと、できるわけないわ!」
「私は、これといってやりたいことも決まってないし、口数少なく、おとなしくしていたら、気付かれやしないわ。」
「だめよ!あなたを犠牲になんてできない。マリアも悲しむわ。」
「うん。だから、これはお姉ちゃんには内緒。言っちゃダメ。私は旅に出るの。そう。明日から。」
「そ、そんな。」
「お姉ちゃんが大好きだから。本当に、本当に、大好きだから…。とりあえず、六月のお姉ちゃんの結婚式まで嘘を吐き通す事が出来たら、万事うまくいくわ。」
「それでも…」
「お母さん。私、何を言われても行くわ。これは、私の意志なの。」
「ユリア…」
「お母さん、お父さん。私、家族が大好き。愛しているわ。今まで、ずっと苦労をかけて、ごめんなさい。行ってきます。」
ユリアは真っ直ぐ、前を見つめていた。勇敢すぎるこの娘に、母と父は言葉を失った。
翌日の朝、騎士は現れた。来ないことを望んだ娘を思う両親の願いは、あっけなく砕かれた。