表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
密約  作者: segakiyui


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/31

9

 ためらった俺を、秋野さんは見逃さなかった。

「秋野さんが、何なんだ」

 頬が赤く燃えている。瞳がちかちかと燐光のように光っている。どこか悔しそうに見えるのは気のせいかもしれないが、秋野さんは十分にきれいだった。

「秋野さんが……必要なんだ」

「ほう」

 ごくりと唾を飲み込んでしまって、誤解されたかも知れない。

 でも、誤解じゃないよな、たぶん。

 俺は秋野さんが、まだ欲しい。

「女っけなしは訂正だな、ずいぶん口説き慣れてるじゃないか」

 突き放すような男口調でいわれて、俺は我に返った。

 秋野さんは本気で怒ってるんだ。

 急にぐでぐでになって担ぎ込まれてきたかと思えば、父親の前でいきなりキスしてきて、あげくの果てに気を失って。それで介抱してやっていれば、夜中に秋野さんに襲いかかってくる、とんでもない男だと思ってる。

 秋野さんは冷ややかなそっけない動作で俺の側を離れて、鳴り続けていた目覚ましを止めた。ナイロン袋を開けて、中味をあちらこちらへ片付け始める。

 熱冷ましの湿布、曲がるストローつきのジュース、小さなパン。タオルとどうやら男物らしい下着一組。

 俺のために買ってきてくれたんだと気づいて、嬉しいよりも切なくなった。

 秋野さんは優しい、秋野さんは親切だ。

 けれど、それとこれとは話が違う、病人だから介抱した、元気になったんならさっさと出て行け。

 そう言われているんだ、と気づいた。

「あ、あの」

「うん?」

 秋野さんは布団に体を起こした俺を振り返った。まっすぐな視線に思わずうなだれてしまう。

 どう言えばいいんだろう?

 俺は実は地球外生命体で、ここにいる『近江潤』というのは仮の姿で、本当はコバルト・ブルーでぬるぬると動くスライム状の不定形宇宙人で、地球には宇宙船の事故で落ちたんだ、と?

 そんなこと、誰が信じてくれる?

 そのうえ、『成人』した俺達は、エネルギーを分かち合う相手と生涯生死を共にするのだ、なんて?

 ましてや、俺の生死は、実は秋野さんのキス一つにかかっていて、特にこの数日は、二、三時間ごとにキスしてもらう必要があるのだ、などと?

 そんなこと、言えるわけがない。

 言っても信じてくれるわけがない。

 舞い上がった後の落胆で目の前が暗くなった。

「ごめん。ありがとう…ずいぶん、元気になったから…出て行く」

 ようようことばを絞り出す。出たら最後だとわかっていた。二度と秋野さんは俺に会ってはくれないだろう。

 そうなれば、俺は明日の朝には見事に溶けて、下水に流れ込んでいるはずだ。

「あ……れ?」

 ふと、俺は妙なことに気がついた。

 赤い小さな目覚まし時計を振り返る。もう夜中の三時になろうとしている。

 俺が倒れたのは夕方だった。あの直前に、秋野さんにキスしていたから二時間、いや三時間もったとしても、どうして今まで無事だったんだ?

 それに、何でこんな夜中に、目覚まし時計がセットされてるんだ?

「大体、三時間ごと、みたいだから。夜中に眠ってたらわかんないだろ。でも、心配で結局眠れなかったよ」

 まるで、俺の疑問に答えるように、秋野さんが小さな溜め息をついて呟き、改めて俺を見つめて尋ねた。

「もう、大丈夫なの?」

 そのことばの意味がわかるまで、かなりの時間がかかった。

「秋野…さん?」

 俺があんまり間抜けた顔をしていたんだろう、秋野さんはくす、と苦笑してこちらへ近づいてきた。

「本当はなんて呼ばれてる? 生まれた星じゃ、そんな姿じゃないんだよね。今だって悪くないけど元の姿も結構気に入ってる。見たことがないぐらいきれいな深いブルーだった」

「俺…?」

 心を支えていた克己心みたいなものが、音をたてて崩れていくのがわかった。

「覚えてないみたいだから、教えたげるよ。あんたは昨夜運び込まれてから、二回、人間じゃなくなってる。あえていえば、コバルト・ブルーのスライム、かな」

 俺は、秋野さんの前で、戻ったのか。

 ひんやりとした恐怖が体を貫いていった。

 ただでさえ『密約』してくれにくいのに、そんな姿を見たら、たいていの女性なら二度と関わりたくないと思うだろう。

 それで、さっき秋野さんが取った行動の意味がわかった。秋野さんは俺がまた『コバルト・ブルーのスライム』に戻っていないかを確かめていたんだ。

 よほど強ばった顔になっていたんだろう。秋野さんはなだめるように言った。

「一番初めは悪いけど、逃げかけた」

 ……やっぱり。

 それが普通だよな。

 落ち込んだ俺の耳に、ふいに優しくなった声が届く。

「そしたら、あんた、小さな声で呟いたんだ。『おかあさあん、おとおさあん、ぼく、しんじゃう』って」

 顔に見る見る血が上っていくのを感じた。

 誰も知らないはずの俺、それを秋野さんに見抜かれて、嬉しいのか恥ずかしいのかわからなくなった。

「あんたが運び込まれたときに、やたらとキスしたがったから、ひょっとしたらと思ってさ、ちょっとキス、してみたんだ。そしたら、見る見る元に戻ったよ。えーと、だから、服が脱げてる」

 秋野さんは少し赤くなった。

「キス、してくれた?」

「うん」

「スライム、なのに?」

 秋野さんはふんわりと笑った。

「ほっとけないだろ、ほんとに、ちっさな、ちっさな男の子の声だったんだ。そのときも泣きじゃくってて、とてもつらそうだった」

 俺は胸が一杯になった。

「どうしてここにいるの? 何で、その、えーと、故郷の星に帰んないの?」

 秋野さんは次のことばを少しためらってから、それでも、そっと優しく囁いた。

「どうして『あたし』が必要なの? 全部話してくれるなら付き合ってもいいよ、近江と」

 秋野さん。

 この人が俺の本当の『密約』者なんだ。

 俺はそのとき、故郷から遠く離れたこの星で、自分が正しい『密約』の相手を選んだことを悟った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ