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俺達は、故郷の『密約』の相手同士でも、地球人のカップルでもなかったんだから、本当は、秋野さんとどうして二人で生きていくかを話し合ったり考えたりしなくちゃいけなかったんだろう。
けれど、そんなこと必要ないと思っていた。
大丈夫だって言い聞かせていた。
起こってくる問題を見ないままではいられなかったのに、ずっと自分をごまかしていた。
見てしまえば、そこにどれだけ微かな糸しか繋がってないのか、わかってしまうから。
秋野さんと離れる可能性を考えなかったのは俺の方。
俺さえ気づかないふりをしていれば、いつかは全てうまく行くような気がしていた。一生懸命想っていれば、いつかは幻だって真実のつながりになるような気がしていた。
壊れることがわかっていた、ガラス細工のような『密約』。
その夢が今ここで、砕けて解けてちぎれてく。
なのに、ひどい。
俺は今でも秋野さんが大事なんだ。
「あの、さ、手をこっちへ出して。それで」
必死にことばをつむいだ。エネルギーが今の衝撃でかなりもっていかれた。
秋野さんは側にいるけど、きっとキスはもらえない。
俺が彼女を自由にしたら、秋野さんは俺の体を振り捨てて、あっさりドアへと走っていくに違いない。
「あんまり、力がないんだ。俺、汚れてて気持ち悪いのわかるけど、助かるためだから、少しだけ、我慢してよ、ね」
話している間にもとろけて意識がなくなりそうだった。
秋野さんが、足を動かさないような不自由な態勢で、体をひねって俺の方に縛られている手を差し出した。
それが、足に張りついている不気味でいやらしいものを刺激しないようにふるまっているようで、一層辛かった。
体を伸ばし、白くて細い秋野さんの指に、汚れて黒く見える触手を絡める。そのまま少しずつ体を移動させていくと、秋野さんの手がぴくぴくと緊張した感じを伝えて来た。
体が減り過ぎているのか、疲れ切っているせいか、秋野さんに触れても秋野さんの感じていることがわからない。
(そのほうがいいのかもしれない)
もし、こんなぎりぎりのところで、『こんな気持ち悪いスライムと一緒にいたのか』なんて秋野さんから感じ取ったら、正直なところ、体が保つ自信はなかった。
ゆるゆる動いて手首のロープにたどりつき、結び目に体を押し込んでいく。縄に体を無理に裂かれていくみたいだ。体を保とうとする意識が、綱渡りのロープよりも頼りなく、真っ暗闇の感覚に揺れて引き伸ばされ、なおも引っ張られる。
結び目が少しずつ緩む。唐突に、締めつけてくるのが弱まった。ロープが解れたのだ。
でも、俺の体はもう、つながりを戻せなかった。
ロープがほぐれたところからとろけた体が、びた、びた、と細切れになって床に散っていく。青黒いべったりとした塊は、固まり始めた血みたいだ。
片手が自由になった秋野さんが焦ったように自力でロープを外し出す。
俺の意識がもったのはそこまでだった。
びしゃん。
俺は床に滑り落ちた。全身を砕く衝撃も、どこか遠い。失い過ぎた体は、もう秋野さんの片手に乗るほどしか残っていない。
(秋野さん)
秋野さんが慌てたように立ち上がった。顔をしかめながら、急いで口のテープをはいでいる。
(あきのさん)
あれほど欲しかった秋野さんのキスだけど、きっともう間に合わない。
第一、床に汚物のように広がっているスライムに、一体誰がキスできる?
地球に落ちて五年と少し。
秋野さんと出会って、幸せだったのか、不幸だったのか。
でも、両親とは違って、俺は『密約』の相手を殺さずにすむし、助けることさえできたんだから、きっと幸せだったんだろう。
秋野さんがドアの方を見た。あのまま振り返りもしないで駆け出して行くと確信できた。
(ばいばい)
俺はなだれ落ちてくる深い闇にすべてを委ねた。




