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「俺は、秋野さん、大事です」
口ごもりながらつぶやくと、秋野さんのお父さんはぷいと横を向いた。
「父親に向かってたいした度胸だな」
「そんな」
「てめえよりずっと、ずっと、ひかりは大事な奴なんだよ」
吐き捨てるようにいわれて竦んだ。
「そう、です」
俺だって、こんな星に落ちたくて落ちたわけじゃない。俺だって、本当は、秋野さんなんか。
胸の中で反論したとたん、公園で水を抱き締めようとしていた秋野さんがまばゆく甦ってきて、体が震えた。
(秋野さん、なんか)
「そうです、じゃねえだろ」
はあ、と相手は疲れたように息を吐いた。
「付き合ってる女の親だからって、好き放題いわれて腹立たねえのかよ、てめえは、え、なんていったけ」
「近江…潤、です」
「じゃあ、まあ、その、くそ、落ち込んでるなら、いいもんやるよ、近江潤」
「は?」
秋野さんのお父さんは不機嫌二百パーセントで白い封筒を取り出した。
「そのかわり、あいつには黙ってろよ、ひどい目にあうからな。万が一しゃべったら、以後ひかりと付き会わさねえからな。じゃ、まあ、よろしくいってくれ」
俺の返事を待つまでもなく、すたすたと部屋から出て行ってしまう。
なぜか急に軽くなったようなその足取りに、秋野さんのお父さんが、実はこれを渡しに来たのだと気がついた。立つことも思いつかずに見送って、閉まったドアに再び、封筒の表書きに目を落とす。
『近江潤様』
そう書いてある。
裏返すと、小さく緊張した字で『秋野ひかり』と書かれていた。
(ラブレターだ)
秋野さんが近江潤に出したはずのラブレター。
どうしてそれが、こんなところにあるんだろう。
(俺宛じゃない)
思ったけれど、誘惑には耐えられなかった。そっと封を切り、中身を取り出す。薄いピンクの便箋が二枚、細い紺色の文字がきちんと真横に並んでいる。
『近江潤様。
突然お手紙を差し上げてすみません。けれど、どうしても、何だか気になってしかたなかったのです。前ほど笑顔がないのが、何だかさみしいです。いろいろとつらいことがあって、それで、とても笑えないのかもしれませんが、それでも、人間がんばらなくちゃ、きっとだめです。私も、おかあさんが死んでから、家の中のどこを見ても、おかあさんがいるみたいで、けれどどこにもいなくて、ずいぶんつらかったけど、それでも、私は生きてるんだから、生きていくのが大事なんだって、おとうさんがいいました。それって、ほんとうのことだと思います。きっと、いつか、がんばってよかったなって思う日が来ます。あの時がんばった自分はえらいって思える日が。
ずいぶん、きついことをいってすみません。私は、一年のとき、近江君が近所の猫を拾ったのを見て、いい人なんだなあと思いました。それから、ずっと気になってました。最近は、しんどそうに見えて、よけいに気になります。早く元気になってください。
秋野ひかり
追伸。私でよければ、話し相手になるよ』
「秋野さん、らしいや。これのどこがラブレターだって…?」
笑いながらつぶやいたとたんに涙がこぼれ、俺はびっくりした。急に大声を上げて泣き出しそうになって、慌てて口を掌で覆う。
その手紙は、まるで、俺に宛てたものみたいだった。
事故の後、ポッドに閉じ込められて『地球』に落とされ、『近江潤』の姿を借りて死に物狂いで生き抜いていたあのころの俺に。毎日毎日緊張で疲れ切って眠る、それでも見る夢がいつも事故の夢で、何度もここで生きることを諦めかけた俺に。
あのとき、この手紙を受け取っていたら、俺はずいぶん楽だっただろう。
(でも)
俺は猫を拾っていない。
これは俺宛の手紙じゃない。
秋野さんが気遣って、心配して、守ろうとしていた相手は俺じゃない。
それがはっきりわかった。




