05 貴族の流儀、あるいはノブレス・オブリージュ
さてこれからどうするか。俺は改めてこれからのことを考え始めた。
現実世界に帰ることはハナから考えていない。
レイド使いの召喚の成り立ちから考えても明らかに一方通行でしか行使できないはずだ。
そうでなければレイド能力を行使して、無理矢理に元の世界に帰ろうとするやつが出て来るはずだからである。
例え元の世界に未練がなかったとしても、強大な能力を手にしたらその認識が変わってもおかしくない。
それを防止するためには最初から手段を用意しないようにすれば良いのだ。
しかしそれはこの状況においてはデメリットにしかならない。
これから先サースライト家の人たちが、何もせずに家においていてくれる保証はない。
何かしらで身を立てていく必要がありそうだ。
そんな事を考えていると、不意に足元に向けてなにか棒状のようなものが飛び出してくるのが見えた。
突然のことだったので思わずつんのめり、歩みが止まる。
改めてそれを見ると、果たしてその正体は足先をひっかけるように伸ばしている、貴族らしき男であった。
貴族は意地の悪い笑みを浮かべながら、こちらの姿を値踏みするように眺めている。
「……その足、歩きの邪魔だぞ」
窘めるように俺がそういうと、貴族の方はますます喜んだように唇を歪ませる。
そしておもむろに立ち上がると、こちらにつかつかと歩み寄ってくる。
白を貴重とした礼服だが、胸ポケットにワンポイントとして赤の家紋が施されていた。
十中八九ラインケル国の貴族だろう。
「おお、これは驚きましたな。まさかこの会場に平民の犬が紛れ込んでいるとは思いもよらなかったので。いや失敬失敬」
慇懃無礼な態度で語りかけながら、仰々しい所作で左手を胸に当てる貴族。
恐らくはレイド使いとして召喚されたはずの俺が無能力者であることを知って、罵倒をしにきたのだろう。
であればこの男は、レイド使いを召喚したかったが、何らかの事情でできなかった貴族。
もしくはそれに近い境遇――そう考えるのが自然だろう。
それにしてもこのような対応をされるのは予想していたが、あまりに予想のど真ん中をぶち抜いていく行いに、呆れを通り越して笑いを堪えるのが大変である。
明らかに貴族とはかけ離れた行いに、俺は流石に一言ばかり言ってやりたくなった。
「貴族なら高貴なる義務って概念は知らないのか? 平民を相手にするんならそれ相応の対応をしてみたらどうなんだ」
ノブレス・オブリージュというのは、貴族ならば貴族らしい立ち振舞をするべきである、という意味の言葉である。
本来は戦争での前線に積極的に参加せよという意味が強かったが、このような場面で使っても大きな間違いにはならないだろう。
俺がそう言い返すと、反論されるとは思っていなかったのか貴族の顔は一気に怒りで紅に染まった。
「貴様っ! 言うに事欠いて貴族である私に、そのような狼藉を働くとは!! 許せぬ! 今すぐ外で切り捨ててやる!」
……いや、明らかに沸点が低すぎだろう。
流石にここまで煽りに弱いとは思わなかった。
それともこの男にとっての地雷をピンポイントに踏み抜いてしまったのだろうか。
であれば、この男がどういう貴族かは容易にわかる。
「貴族……貴族か。
そうだよな、例え金で買った貴族の身分であったとしても、例えそのせいで身分らしい所作やマナーを知らず成金貴族と呼ばれても、貴族であることには変わらないもんな」
「き、貴様……なぜそのことを知っている!?」
自分が生まれついての貴族でないと指摘され、目の前の男は先程までとは打って変わって狼狽え始めた。
恐らくは初めて会ったはずの俺に、貴族の身分を金で買ったことを指摘されるとは思っていなかったのだろう。
高貴なる義務を知らない所や、それを指摘された途端に怒り出す所を見ればすぐに分かりそうなものだが。
「その反応で図星って分かるよ。
だけどそんな気にすることじゃないだろ?
例え金で買ったとしても貴族は貴族。
むしろ誇ったらどうだ? 俺は成金だが、その金で貴族になれたんだぞってさ」
「だ、黙れ! 黙れ黙れ!!
貴様許さんぞ! こうなったら今すぐこの場で――」
「この場で――何をするつもりなのですか? リッカード卿」
今にもこの場で剣を抜きそうであった貴族を止めたのは、いつの間にか近くまでやってきていたメッツォであった。
よく俺がここに居るのがわかったな。
しかしよくよく考えてみれば、目の前のリッカードと呼ばれた貴族が、こうも大声でまくし立てていれば周囲の視線を集めるのは当然の話で、そこにたまたま俺の姿を見たというだけの話なのだろう。
「お、お前はサースライト家の!? 歴史が深いことだけが自慢の田舎貴族が私に何の……! っ、い、いやなんでもない。失礼した!」
怒りに任せて好き勝手言っていたリッカードは、何かに気づいたのか先程までの剣幕が嘘のように意気消沈をして非礼を詫びてきた。
恐らくは気づいてしまったのだろう。
目の前のメッツォが今回の儀式で雪菜を召喚し、これからはこの国に於いて大きな昇進を果たしていくのが、まず間違いないのだと。
そのままぶっきらぼうに一礼すると、踵を返し振り返りもせずにズカズカとテーブルから離れていく。
こちらも興味はないので無視をすることにする。それよりもメッツォに先ほどの礼をしなければ。
「その……迷惑をかけたな。ありがとう」
「いいんですよ。こちらとしても友人が荒事に巻き込まれているのを放っておくわけにはいきませんから」
「だが俺はレイド能力を――」
そう言いかけたところで、メッツォは人差し指を唇に当てて静かに、という旨のジェスチャーをしてきた。
「良いんですよ。こちらの都合で勝手に召喚をしてしまったのです。
当然これからの生活も世話をさせてください。
ああ、アイラスが貴方のことを気に入っているようですし、たまには遊び相手になっていただけるとありがたいですが」
こともなげにそんなことを言ってのけるメッツォ。
しかしよくよく考えてみればとんでもない提案をしていることになる。
つい最近知り合ったばかりの男をそのまま家に住まわせ続けようとしているのだ。
レイド能力を持たないにも関わらずである。
「いいのか? 俺はこの世界で、何が出来るのかもわからない男なんだぞ」
「そんなの、雪菜さんを召喚できた功績でお釣りが来ますよ。
私はむしろ貴方を一緒に召喚できたから、彼女を呼び寄せることが出来たのだと思っていますからね」
どうやらノブレス・オブリージュに関しては、先ほどの貴族よりもよほどメッツォのほうが良く出来ているようだった。
「ま、マト君……!」
そうこうしていると、雪菜の方もこちらに向かって駆け寄るように近づいてきた。
その顔は困惑と憔悴で青白くなっている。
「だ、大丈夫? さっきのはきっと何かの間違いだよ!
だってメッツォさんも言ってたよ!
術式で召喚された人がレイド使いを手にしなかったことは、これまでの歴史で一度もなかったって!
だからさっきのエマーズって偉い人にお願いして、もう一回石に触らせてもらおうよ!」
彼女のほうも俺のことを心配してくれているようだった。
俺はどうやらレイド能力には恵まれなかったが、周りの人々には恵まれていたのだろう。
「心配してくれてありがとう。
でもメッツォの方もしばらくは俺の生活を世話してくれるって言ってくれた。
少しの間だけお世話になったら、この世界で生計を立ててなんとか暮らしていくさ」
「いえ、私としては少しの間だけとはいわず、
言ってしまえばずっと暮らしていてくれてかまわないのですが……」
「そういうわけにもいかないだろう。
血縁関係もない男をいつまでも住まわしておいては、そっちの評判にも悪評が湧くというもんだ。
心配しなくても、金に困ったときには相談には迷わずいくからさ」
最後の言葉は冗談めかして言うと、メッツォはこらえきれず吹き出し始めた。
一方で雪菜の方はウンウンと頷いている。
どうやら俺の言葉を冗談だと受け止めきれなかったらしい。
「でも良かった! せっかく仲良くなれたのにまたばらばらになるなんて嫌だもんね。
私もこの世界に召喚されたばっかの時は不安で仕方なかったけど、
マト君がいてくれたおかげで私も頑張ろう、って気になれたし!」
のほほんとした様子の雪菜。
だがお陰で少し後ろ向きになっていたところが楽になれた気がする。
「メッツォ殿。メッツォ殿。
主催者のエマーズ様がおよびです、特別室までお越しくださいませ」
そんな時、メッツォを呼ぶ声がどこからともなく聞こえてきた。
声のする方を見ると、その主は先程までエマーズのお付きをしていた男であった。
「ケインズ様、わざわざお呼びいただきありがとうございます。
こちらから伺おうかとも思っていたのですが……」
そのまま二言三言話すと、メッツォは別室があるという廊下へと案内されていく。
俺達の元から離れる際に、彼は俺と雪菜だけに聞こえるように耳打ちをしてくれた。
「それでは一旦失礼します。
今回の儀式の件でエマーズ様とお話しなければいけないことがありますので」
その言葉で俺は別室で何が起きるのかを察した。
メッツォとエマーズの間で、雪菜の処遇を決めるのだろう。
なにせ彼女の能力は、無能力者の俺と違って、国家の行く末を左右するほどの代物だ。
公衆の面前でおいそれと話せるものでもないのだろう。
「……これから私、どうなるんだろう」
二人きりにされ安心したのか、ポツリとそんな不安を零す雪菜。
無理もない。
望んでいたこととは言え、異世界に召喚されてチートじみた能力を手に入れたのだ。
身に余る能力は、いざ手に入れたときには優越感よりも困惑が勝ることだってある。
「……心配すんな。メッツォはしっかりした男だ。きっと良くしてくれるよ」
たった数日の付き合いではあるが、メッツォという男は芯の通った人物だと俺は感じていた。
幼い時から妹と二人だけで家を守らなければならなかった環境が、彼を成長させたのだろう。
自分だけでなく、しっかりと他人の事も考えることのできる性格をしていた。
彼であれば、エマーズとの会合においても、家だけでなく雪菜のことを守ることが出来るはずだ。
……俺も、その一助になれれば幸いであるが。
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などと、その時の俺はそう考えていた。
甘かったのだ。
本当に雪菜を、メッツォのことを助けようと考えていたのであれば、止めるべきだった。
別室などに連れて行かれるのを、黙ってみているべきではなかった。
これまでに後悔することがあったとしたら、この瞬間がそうだ。
少なくとも、あの時無理をしてでも彼を止めていれば――
――あるいは、あのような悲劇はおこらなかったのかもしれないのだから。
次回は明日投稿予定です。
次回から少し暗い展開になりますが、もう暫しお付き合いください。