16 出発、あるいは宿屋名物『ふわふわスクランブルエッグセット』
「よし、行くか」
「数十年ぶりの夜明けだな……中々に悪くない」
宿屋での一夜が明け、俺達は出発の準備を終えた。
といってもまともに荷物なんて無いのだから、準備も何もない。
今の俺の持ち物は。
服が上下一式と、それに取り付ける鞘。
鞘に収められたラズリ―ズ。
そして革袋とその中の金貨数枚と銀貨数十枚。
――これだけだ。
ミニマリストでも、もう少し何かしら持っているだろう。
当然これだけで旅ができるとは思っては居ないので、旅先でちょくちょく買っていくことになるだろう。
「とりあえず、早いところこの街を出るぞ。
この街の人間なら、俺の顔を覚えている奴が居てもおかしくない。
長居は防いでおきたい」
「あの娘のことはいいのか?」
ベリトが言っているのはアイラスのことだろう。
昨日荷造りをしている途中で家を出たが、実際来るかどうかはわからない。
「さぁな、アイツの準備ができるのを、悠長に待っている気はない」
「アイツは事件の関係者について知っている風に見えたが」
「それが100%正しいかなんて保証はない。
そもそも最初からこの街で情報が手に入るつもりじゃなかったしな。
手に入ればラッキー……その程度だ。別にアイラスが必須ってわけじゃない」
そもそも最初は連れて行く気なんてなかったんだ。
いちいち来るのを待っている訳にはいかない。
「ふん、それでいいだろう。
居たらいたで、我の食い扶持が減ることになるからな」
「その心配かよ……」
こいつこんな食いしん坊だったのか?
崖底で出会った傲岸不遜な印象がガラガラと崩れつつある。
「失敬な、数十年ぶりに食の快楽を味わうことが出来たのだ。
少しばかり遅れを取り戻そうとしているだけと言ってもらおう」
「あの量のどこが少しなんだよ! あの量を毎晩されたら破産まっしぐらだ!!」
昨日の夜、宿の一階にある酒場でこの幼女は、皿が積み重なるほどの鯨飲馬食をしでかしやがった。
積み上がる皿と反比例するかのように、周囲の唖然とした視線が増えていくのを覚えている。
俺がシチュー1杯とパン1個ので満腹になるのを尻目に、彼女は遂にメニューの全制覇を達成した。
幸いなことに銀貨数枚で済んだのだが、それも主人の厚意があってのことだろう。
「う、確かに昨日のあれはやり過ぎたか……
今度からはあの3分の2にしておこう」
(それでも大概だと思うが……)
これ以上厳しくして気分を損ねてもしょうがないので、俺は諦めて一階におりることにした。
階段を降りてカウンターに居る主人に話しかける。
「主人、宿泊費の清算をしたいんだが」
「おお、兄ちゃん。……と、嬢ちゃんも一緒か
清算の前に聞きたいんだが、あそこに居る子は、兄ちゃん達のつれかい?」
宿屋の主人が、髭を蓄えた顎でしゃくる先には――
「アイラス……!?」
「おはよ、先に朝ごはんいただいてるわよ」
――椅子に座りながら、スープをすすっているアイラスの姿が居た。
どこから用意したのか、旅人用の動きやすい服装をきっちり揃えていた。
しかも足元には荷造りされた荷物がキチンとある。
「……よく俺が泊まっている場所がわかったな」
俺が向かいの席に座りながら尋ねると、アイラスの方はこともなげな様子で
「この街にある宿屋は一箇所しか無いもの。考えるまでもなかったわ」
と言い放ち、そのままスープを啜る。
流石、元貴族というだけのことはあり、その所作は洗練されている。
二年前よりも大人びた印象が強くなっていることもあり、服装さえ華麗な物に変えれば深窓の令嬢に十分みえるだろう。
周りの人間も何人か彼女の方をチラチラと見ながら、ヒソヒソと聞こえない程度に、褒めそやしているのが聞こえる。
「なるほどね、そっちもきちんと考えているってわけだ。
だが旅費の方はどうするつもりだ?」
「兄様の遺してくれた隠し財産と、貴族の位を売った時に手に入れた金の残りがあるの。
そっちの手をわずらわせるつもりはないから」
「はぁ……しっかりしていらっしゃる」
まさか金策まで用意していたとは予想外だった。
ついてきても良いと言った手前、最低限の金くらいは出そうかと思っていたが、その心配も必要ないらしい。
これくらいベリトの方もしっかりしてくれれば――
「――そういえば、ベリトはどこに行った?」
確か一緒に降りたはずだが、そこから姿を見ていない。
アイラスにかかりっきりだったのは事実だが、なんだか嫌な予感がする……
「ご主人! このスクランブルエッグセットのおかわりを所望する!!」
途端にカウンターの方から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
もう結果は見えているが、そちらに視線を向けると、カウンターに腰掛けながら宿の主人に向かって乗り出しているベリトの姿があった。
彼女の周りには、既に何枚もの空になった皿がある。
「ええと、嬢ちゃん……そのおかわりってのはパンのおかわりじゃなくて……」
「当然、パンと卵とサラダとスープ――全部のおかわりだ!!
……うむ、このエッグのふわふわ具合は実に良い!
絶妙な塩加減と非常にマッチしておる!!
そして食べた瞬間、あつあつのトロトロが口の中で広がる……一瞬たりとも我を飽きさせぬ。
正に至福の笑劇と言えよう!!」
グルメレポーターばりにペラペラとまくしたてていたかと思うと、主人が出したお代わりにキラキラ目を輝かせ、そしてガツガツと食べ始める。
あらためてアイラスの楚々とした食べ方と比べると、まったくもって雲泥の差だ。
「昨日あれだけ食べたのに、まだ食べる気なのかお前は……」
「む、もう話は終わったのか? であればこちらも挨拶をしてやらねばな」
そういうとベリトは食べかけのプレートを手に、アイラスの掛ける席に向かって歩き始める。
さっきまで俺が座っていた席に乗っかると、ふんぞり返りながらアイラスの方を見下ろす。
アイラスの方はというと、なんだこの小さい子は、と言わんばかりに眼を丸くさせている。
――あぁ、これは面倒なことになるぞ。
「貴様がアイラス・サースライトか」
「そうだけど……貴方は?」
「我はベリト。そこの男……鷹山マトの同行者だ。
これから貴様も、我と共に旅をすることになると聞いてな。
最初に挨拶をしていこうと思ったのだ」
「…………は?」
ベリトが卵焼きの刺さったフォークを突きつける。
それを受けて、アイラスの方は口をパクパクさせ、俺とベリトを交互に見ている。
「ちょっと! これはどういうことですか!?」
唐突にアイラスが座席を立ったかと思うと、こっちの方に詰め寄ってくる。
ものすごい剣幕だ。
「どういうこともなにも、その……」
「こんな小さい子に旅に同行させるなんて! 非常識です! 常識を疑います!!」
あまりに怒っているためか、貴族時代の丁寧語が出てしまっている。
喋っている内容も、同じことの繰り返しだ。
――というよりも、コッチのほうが地だったのか。意外と言えば意外だ。
しかしこの状態の彼女をなだめるのは苦労しそうである。
「あぁ、落ち着いてくれ。昨日話をしただろ、ベリトって奴に谷底で出会ったって」
「こんなちっちゃな子だったなんて聞いてませんでした! 本気でこの子と旅をするんですか!?」
「まぁ、必然的にそうなるわけだが……何か問題があるのか?」
「だ、だって……まさか私より小さいなんて、旅の辛さについて来れるのか……」
「ほぅ、随分な物言いじゃないか……小娘のくせによく吠える」
アイラスが懸念するのを他所に、ベリトはそんな心配を切り捨てる。
心なしか、怒っているようにも感じられる。
……まさか、自分の容姿について、しつこく言われたのが気に入らなかったのか?
「……あのねベリトちゃん。流石に貴方に小娘って呼ばれるほど――」
「我から見たら、この宿屋に居る連中は全員年下だ。
それに、旅においても少なくとも貴様よりは役に立つぞ?」
「そんな、何を言って――」
「ところで、貴様のスープ。コレ以上飲まないのか?」
「え……うそ、なんで……!?」
立て続けにベリトに話を遮られていたアイラスだったが、どうやら自身に起きた異常に気がついたらしい。
というよりも、俺も会話の途中で漸く気づけたほどだ。
いつの間にか、ベリトがアイラスの手にしていたスプーンを奪い取っていた。
恐らく宿屋に居た誰しもが気づけなかっただろう。
それほどまでに、完璧に自然な奪取だった。
「ふむ……飲まないのであれば、我が頂くことにしよう」
ベリトは口実を得たとばかりに、スープを掬って口をつける。
……まさか、スープを呑むために奪ったんじゃないだろうな。
だが、アイラスの気勢を削ぐことには成功した。
今がチャンスだ。
「……ベリトは決してタダの小娘なんかじゃない。
だから、旅に同行しても構わないだろ?」
俺がそう言うと、アイラスの方は仕方ないとばかりに首を振る。
「……こうも見せつけられたら、しょうがないか。
ま、私はもともと無理やり旅に同行しようとしてたわけだし、これ以上文句を言うのは辞めるわ
でも、夜更かしはダメよ。キチンと寝ないと、成長できないわ」
「ふん、年上ぶるのは変わらずか。
おいマト。コイツの世話は任せたぞ。我はもう少しここで朝飯を食べていく」
「まだ食うのか……」
ベリトが再び目の前の皿に夢中になるのを尻目に、俺は溜息を吐く。
アイラスの方は肩をすくめながら荷造りを始めた。
「――あぁ、そうだ。ここの会計も任せたぞ。我が共演者よ
というわけでご主人、セットのおかわりだ!!」
さも当然のように言うベリトと、顔をひきつらせる宿の主人
俺はこの先の旅路を想像し、そして二回目の溜息をつくのだった。
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次回は明日更新予定です。




