13 殺人論入門、あるいは旅立ち
「ッ……ハァ、ハァ……グッ……!」
胸を抑え、そのまま膝から崩れ落ちる。
俺は確かに今、殺人を犯した。
ユーガーを掴んだ手を放し、崖の底へと落としたのだ。
アイツを殺したことを後悔をしているわけではない。
人を人とも思っていない、死んで当然な奴だった。
そもそもアイツが約束を守るはずもない。
大方どこかの都市についた瞬間に、俺のことを密告して再び捕まえさせるのがオチだ。
殺す理由はあっても、生かす理由は1つもなかった。
だが……
だが、それでも、死の瞬間の光景、断末魔の叫び声、手放す直前の、ユーガーの体温、感覚は――俺の脳裏に刻み込まれた。
俺は、人を、殺した――
遠からず俺は人の命を奪う。
大断崖の底で俺は、ベリトを手にした時に、その覚悟をしていた。
だが覚悟をしていても、やはり実際に殺った後ではその実感は全然違う。
脳内の思考ではいくら冷静であろうとしても、呼吸は乱れ続け、鼓動は高鳴ったままだ。
『崖の底では、威勢のいい事を言っていると思ったが……
人を一人殺したくらいで、随分と憔悴しているじゃないか?』
俺のそんな様子を見て、ベリトが相変わらずの口調で話しかけてくる。
コイツは先程からこんな調子だ。
切り刻まれた兵士達の死体を見ても、目の前でユーガーが落ちるところを見ても
全く動揺すること無く、むしろ鼻歌を歌っていたくらいだ。
もっともコイツが本当に『マスク』なのだとしたら、かつて多くの人間を殺した女だ。
一人殺した程度ではびくともしないだろう。
「……何百人も殺してきたお前には分からん感覚かもな」
俺の言葉にベリトは、ニヤリとした表情はそのままに、フンと息を鳴らして腕を組む。
何か気に障ることでもいったのだろうか。
『貴様の言うとおり、我はこの場にいる死体の数を10倍にしても全く足りない数の人間を殺した。
そのほとんどは我の命を狙って返り討ちにあったレイド使いどもだが……ともあれ、貴様の抱く感覚とは全く相容れない所に、我は立っている』
「俺も……覚悟はしてたつもりだったんだがな」
相変わらずうつむいていた俺の視界を遮るように、ベリトのニヤニヤとした笑みが間近に迫る。
吐息の熱すら感じられる程の距離で、ベリトは甘く囁くように唇を開く。
『安心しろ、これからは――ずっと楽になっていく。
人間の心というのは便利なものでな、一度したことは繰り返すほどに麻痺していくんだ。
この先も人を殺めれば殺めるほど、お前の中のお前は変わっていく。
それこそ、人を殺しても何とも思わなくなるくらいにな』
「ああ、そうなのかもしれないな。
復讐を望むお前としては、俺にも早くそうなってもらいたいんだろう?」
『……無論そうだとも。
だが――』
そう前置きすると、ベリトはおもむろに俺の顔元から離れる。
つられてそちらを見ると、そこに立っていた彼女の顔から笑みが消えていた。
『――お前がもし、復讐ではなく真実を望むのであれば。
今感じている想いを、決して忘れるな。
殺すことに麻痺した頭は、いずれ真実すら殺すことになる』
そう告げた瞬間のベリトの表情は、遠くの何かをみつめるように儚げだった。
まるで、はるか過去に置いてきた大切なナニカを懐かしむように。
「ベリト、お前は……」
『おっと、無用な詮索はするなよ?
この言葉も単なる戯れにすぎん。
我にとっては貴様が人殺しに慣れてくれたほうが、好都合なんだからな』
彼女は無感情に吐き捨てると、その姿が虚空に掻き消えるように消失した。
一瞬の出来事であったが、俺には彼女がどこに行ったか心当たりがあった。
「仮面に戻ったのか。やっぱ便利だな、その体」
『やはりまだ現界するのは、体力を消費するからな。
レイド能力を万全に使う為には調整が必要であるし、しばらくはこちらで休ませてもらう』
ぶっきらぼうな物言いであったが、要は疲れたから眠いということなんだろう。
ほどなくして仮面越しに寝息が聞こえてきた。
怪奇・いびきする仮面の誕生である。
「はぁ……とりあえずは街に向かうとするか。
ユーガーのあの口ぶりじゃ、事件に関わっているやつはまだ居るみたいだしな。
とにかく今は情報がほしい。
ここから一番近い街はどこだ?」
行く宛がわからない俺が一人呟くと、仮面を通した視界にヴィジョンが浮かびあがった。
ここから一番近いところにある街が表示されていた。
さながらスマホの道案内機能だ。
いや、視界に道が表示される分、こちらのほうがずっと優秀だ。
相変わらずベリトの寝息が聞こえてくるところを考えるに、これはベリトが寝ていても使える機能らしい。
こんな便利な能力がつかえるとは……
ベリトのレイド能力に対してますます興味が湧いてきた。
改めて確認すると、ここからそう遠くない場所のようだ。
歩いて向かっても日没前にはたどり着けるだろう。
「距離はわかった。次に町の名前は――ッ!?」
それを見た瞬間に、全身に緊張が走った。
町の名前は「ライトヴィル」
俺はこの名前に見覚えがあった。
思い返すのは、二年前の式典の日。
そこに向かう馬車の車窓から、町名が記された看板が見えたのだ。
ライトヴィル――
――それはメッツォが治めていた領土の名前だった。
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