挟み撃ち
オルトバルカ王国は、雪国である。
夏は非常に短く、逆に冬は9月にはもう大国を訪れる。8月の中盤にはもう厚着で出歩く人々が見受けられるようになるほど寒さになり、9月の上旬にはもう雪が降り積もり始めるため、冬になる前にほとんどの国民は食料を買い込んだり、冬に使う薪を確保し始める。
それが、オルトバルカ王国という大国では当たり前の光景であった。
9月にはもう雪を降らせてしまうほどの気候の原因は、オルトバルカ王国の北端に鎮座する巨大な雪山が原因である。まるで地中から隆起した巨大な怪物の牙にも思えてしまうほどの巨大な山脈は『シベリスブルク山脈』と名付けられており、大昔からオルトバルカ王国へと猛烈な寒波と吹雪を送り届けている。
オルトバルカ王国の4分の1を占める巨大な山脈の中心付近からは永久凍土と化しており、最深部の最低気温は-102.8℃にも達する極寒の山脈だ。更に山脈には凶悪な魔物ばかり生息しているため、熟練の冒険者でも足を踏み入れればその日のうちに魔物に食い殺されるか、氷漬けになるのが関の山だ。
産業革命の勃発よりも以前からダンジョンに指定されており、何人も熟練の冒険者たちが挑んでいるにも拘らず、未だに最深部がどうなっているのかは明らかになっていない。もちろん転生者や屈強な身体を持つキメラでも、足を踏み入れようとしないほど危険な山脈である。
しかしその山脈の反対側には―――――――信じ難いことに、今度は灼熱の砂漠が広がっている。
大地を覆っていた雪原がそのまま砂に覆われてしまったかのような砂漠。昼間は太陽の猛烈な日光が濃密な陽炎を生み出し、灼熱の大地の上を強靭な魔物たちが闊歩する。そして夜になれば一気に極寒の大地と化すその砂漠は、数年前までは『カルガニスタン』と呼ばれる、フランセン共和国の植民地であった。
そのカルガニスタンの砂漠に、ぽつんと円柱状の岩山が屹立している。
まるで真ん中の部分をくり抜き、外周部をまるで城壁のように削ったようにも見えるその岩山は、すぐ近くで見ればただの岩山ではないという事がすぐに分かる。
騎士団の保有する要塞や王都を守る厳重で重厚な城壁よりも分厚い岩山の表面は何ヵ所かくり抜かれており、その中には巨大な対戦車砲や要塞砲が居座っているのが見える。口径だけならば戦艦の主砲にも匹敵する要塞砲の群れに守られた岩山の上には、高性能なレーダーや対空ミサイルの発射機がこれでもかというほど配置されており、この防壁だけでもまさに”難攻不落”と思えてしまう。
しかしその要塞砲やレーダーの群れは、まだ序の口だ。
大型の戦艦で編成された艦隊すら撃退してしまうほどの火力に守られた防壁の内側には、更に巨大な要塞砲に守られた要塞が鎮座する。
その要塞が、テンプル騎士団の本拠地である。
円柱状の岩山には巨大な3つの亀裂があり、その亀裂がそのまま中枢部へと通じる道として機能している。大型の戦車が並走してもまだスペースが余るほどの広さの道の奥に鎮座するのは、がっちりとした台座や支柱で支えられた、鋼鉄の塔の群れたちだ。
漆黒の制服に身を包んだ兵士たちから整備を受ける鉄塔の群れたち。しかし整備に使うための簡易的な足場は見受けられるが、人間が中に入るためのハッチは全く見受けられず、窓も全く見当たらない。
その塔も、この要塞に配備された巨大な要塞砲なのである。
超弩級戦艦の主砲にも匹敵する6門の巨大な”副砲”と、その副砲ですらまだ小さな兵器にしか見えなくなってしまうほど巨大な、中心部に鎮座する1門の”主砲”は、この『タンプル搭』の名前の由来にもなっている。
塔にも見えてしまうほど巨大な要塞砲が屹立する要塞。だからこそこの要塞は、創設者たちによって『タンプル搭』と名付けられたのである。
大口径の要塞砲は凄まじい射程距離と破壊力を誇るタンプル搭の象徴であるものの、当たり前だがそれを発射する事態になれば、その衝撃波は地上にいる兵士たちにも牙を剥く。それゆえにタンプル搭の地表は完全に要塞砲の群れに占領されてしまっている。
だからこそ、テンプル騎士団の創設者たちは司令部を始めとする設備を全て地下に用意したのである。
指令室や兵士たちの訓練のための訓練所だけではなく、彼らの家族や非戦闘員が住む居住区や、農産物の栽培と家畜の飼育を行うための区画まで準備されており、要塞というよりは”ちょっとした小さな国”と言える。
そのタンプル搭に、1機のヘリが降り立つ。
まるで大型の輸送機から主翼を捥ぎ取り、その代わりにメインローターとテイルローターを搭載してヘリにしてしまったようにも思えるそのヘリは、ソビエト連邦で開発された『Mi-26』と呼ばれる、明らかに一般的なヘリを遥かに凌ぐ大きさを誇る大型ヘリであった。
巨大なヘリポートに降り立ったMi-26のハッチが開き、中から数名の兵士たちが姿を現す。テンプル騎士団の兵士の証でもある漆黒の制服を身に纏った彼らが左右に並び終えると、やがて蒼い髪の女性にも見える男性と共に、深紅と漆黒の二色に彩られたドレスに身を包んだ赤毛の女性がタンプル搭へと降り立った。
この2人こそが、テンプル騎士団の創設者の中の2人。その中でもトップクラスの実力を持つ最強の夫婦である。
「ラウラ、疲れてない? 大丈夫?」
「うん、大丈夫。心配してくれてありがとね、ダーリンっ♪」
護衛の兵士たちの前で堂々と夫の頬にキスをしたラウラは、かつて一緒に冒険者として旅をした最愛の夫と手を繋ぐ。
異世界の兵器で強敵を蹴散らしながら一緒に旅をしたタクヤは、このテンプル騎士団を率いる団長。そして彼を得意の狙撃で支え続け、最終的に彼の妻となったラウラは、彼女の父であるリキヤからモリガン・カンパニーを受け継ぎ、巨大企業の社長となっている。
もう既に子供たちが巣立とうとしている頃だというのに、2人の容姿はまだ”少年”と”少女”がほんの少し大人びた程度で、殆ど変わっていなかった。
基本的にキメラは、20歳に達すると肉体の老化が一気に停滞を始めるのである。そのため30代や40代でも全盛期の体力を維持し続けることが可能であるが、50歳に達すると、まるでそれが彼らにとっての”定年”であるかのように一気に肉体が老いていくのだという。
キメラの平均寿命は62歳から65歳。驚異的な身体能力を誇る半面、一般的な人間よりも寿命は短いのだ。
若き日と殆ど容姿が変わらない2人を、護衛の兵士たちを引き連れた金髪の女性が出迎える。護衛の兵士たちと制服のデザインに差異はあるものの、彼女の制服にもテンプル騎士団のエンブレムはしっかりと刻まれており、腰にはテンプル騎士団で正式採用され続けているハンドガンが収まったホルスターが下げてある。
ラウラとタクヤと比べると、その女性の方が年上に見えてしまうかもしれない。しかし、決して”老いた”という言葉は似合わないほど若々しい容姿を維持し続けており、どちらかと言うと”大人びた”という言葉の方がはるかに適切であるのは一目瞭然だ。
彼らと旅をしていた頃からの特徴でもあるツインテールを指先で撫でてから敬礼をした彼女は、相変わらず人前でもキスをする腹違いの姉と、キスをされて満足している自分の夫を見つめつつ、苦笑した。
「―――――――相変わらずイチャイチャしてるのね、あなたたちは」
「よう、ナタリア参謀総長殿」
「久しぶり、ナタリアちゃんっ♪」
彼女の名は『ナタリア・ハヤカワ』。テンプル騎士団の団長であるタクヤの、5人の妻のうちの1人である。
テンプル騎士団では参謀総長を務める、組織の中でも数少ないしっかり者だ。
「娘から連絡があったわ。『ユウヤ君が転生者のギャングにケンカを売るから、円卓の騎士にも動くように要請してほしい』ですって」
「やれやれ、あのバカ息子め…………」
息子が貴族の子供と喧嘩し、相手を病院送りにした回数は最早数えきれない。その度にタクヤは不機嫌そうな表情のユウヤを連れて相手の家まで謝りに行き、脳震盪を起こして倒れるのではないかと思うほど何度も床に頭を叩きつけるように土下座を繰り返したものである。
ちなみに、今では大理石の分厚い床との激突にも耐えられるようになったのは彼のちょっとした自慢だ。
ため息をつきながら、ナタリアの報告を聞いて頭を抱えるタクヤ。隣にいるラウラは「ふふふっ。タクヤみたいに元気いっぱいじゃないの♪」と微笑んでいるが、彼が騒動を起こす度に後始末をしてきた彼の父親からすれば、ユウヤが動くという事は必ず彼の出番が待ち受けているという事になる。
「それで、どうするの? 私の権限で動かせそうな部隊はいつでも現地入りさせられるけど」
「…………兵力は?」
「装甲車2両と歩兵25名。ごろつきの鎮圧には十分でしょ?」
(いや、装甲車を投入するのはやり過ぎだろ…………)
そう思いつつ、タクヤは息を吐いた。
今回ユウヤが牙を剥いた”ローグ・マンティス”と呼ばれているギャングには、以前から目を付けていた。すでに潜入させていた諜報部隊の隊員たちから、彼らがモリガン・カンパニーに不満を持つ貴族たちに武器を密売し、彼らを煽ることで武装蜂起を促そうとしているという計画はすでに察知しており、いつでも部隊を投入して叩き潰せる状態だったのである。
本当ならばもう少し泳がせ、彼らに指示を出す”本体”が存在しないか確認するつもりだったタクヤだったが、それよりも先にユウヤが先制攻撃を仕掛けてしまったという事になる。
水面下で着々と進めてきた計画を放棄する羽目になった彼は、水泡に帰した努力を思い出して頭を抱えた。
「それで、どうする? あとは団長の承認があれば―――――――」
「―――――――じゃあ、『やなこった』と伝えてくれ」
「あら、助けないの?」
計画を台無しにされたちょっとした仕返しという理由もあるが、絶対に言う事を聞かない息子の実力も、父親だからこそよく理解している。
父であるリキヤから受け継いだタクヤの戦い方をベースにし、それを自分なりの戦い方に適応させつつ、ギャングの粗暴さと組み合わせて磨き上げたユウヤの戦い方。まだまだタクヤの足元にも及ばない未熟な男ではあるが、稀に息子と行う模擬戦ではヒヤリとすることが何度もある。
あれほどの実力を持っているならばやれる筈だろうと思ったからこそ、タクヤはユウヤからの要求を断ったのであった。
それにそろそろ、転生者が率いる組織を単独で潰せることを証明してもらわなければ困る。
なぜならば、ユウヤは―――――――リキヤの孫なのだから。
「その代わり、エリカたちに連絡しろ。『カッコいいお兄ちゃんを助けてやれ』ってな」
自由気ままで束縛されることを嫌うユウヤと、何よりも秩序を最優先するエリカの組み合わせは水と油としか言いようがない。最早兄妹と言うよりは、お互いを憎しみ合う怨敵同士のような組み合わせである。
しかし、未熟とはいえエリカもタクヤとラウラの才能を受け継いだキメラの1人だ。転生者に負けるとは思えない。
「分かったわ。じゃあ部隊には念のため待機命令を」
「そうしてくれ」
子供たちの力に期待しながら、タクヤはタンプル搭に鎮座する要塞砲の砲身を見上げた。
「パパは『やなこった』だってさ」
「…………そう言うだろうな」
車の発するフィオナ機関の轟音を聞きながら、エリカはため息をついた。
円卓の騎士が1人も動かなかったことに落胆しているわけではない。相手はたかが1人に転生者に率いられた烏合の衆で、練度も全く高くない。その辺のごろつきが少しはまともな武器で武装し、調子に乗っているだけの集団が相手なのだから、円卓の騎士たちが動くわけがない。
それに父であるタクヤが、もう少し奴らを泳がせようとしていたことも察していた。だからユウヤが1人で勝手に襲撃を始めてしまったのは、あの段階で兄にその話をしてしまった自分の失態でもある。
だからこそ、汚名返上をしなければならない。
仕事を終えて帰っていく労働者たちと何度もすれ違いながら決意するエリカの隣を歩くキャロルは、真面目な表情をしているエリカとは対照的に、まるでこれからボーイフレンドと遊びに行く少女のようにニコニコと笑っていた。
キャロルの母であるナタリアは真面目で厳しい人物であるが、娘であるキャロルは正反対である。彼女は決して、”相手と真面目に戦う事はない”のだ。
彼女にとって、強敵との死闘ですら”ちょっとしたダンス”程度でしかないのだから。
大通りから離れ、狭い路地裏へと入っていくエリカとキャロル。周囲に誰もいないことを素早く確認してから、エリカとキャロルは同時に片手を目の前へと突き出す。
華奢な美少女たちの白い指先に、それと同時に血のように紅いメニュー画面と、黄色いメニュー画面が出現する。キャロルの目の前に出現したメニュー画面の色はユウヤやエリカとは色が違うが、それ以外のデザインは全く同じである。
オルトバルカ語で表示されているメニューの群れの中から、細い指で素早く『武器の装備』をタッチ。エリカとキャロルが自分の持つポイントで生産した武器がずらりと羅列を形成するが、2人はその膨大な数の武器の名称の中から愛用の得物をすぐに見つけると、それをタッチして装備する。
エリカが装備したのは、2丁の『コルトM1911A1』。アメリカで開発された傑作ハンドガンと言っても過言ではない代物であり、マガジン内の弾数は今のハンドガンと比べると少ないものの、汎用性の高さと使用する.45ACP弾のストッピングパワーに加え、非常に高い信頼性を兼ね備えているため、最新型のハンドガンと比べても決して引けを取らない。
その隣でキャロルが手に取ったのは、エリカの得物よりも長大な1丁のライフルである。
ほとんどの部位を木製の部品が覆っているものの、ボルトハンドルや銃身の先端部などから金属製の部品が覗いている。その銃身の真上には狙撃に使用するためのスコープが搭載されており、そのライフルが近距離戦よりも中距離戦や遠距離戦を想定した得物だという事が分かる。
キャロルが装備したライフルは、アメリカで開発された『スプリングフィールドM1903』と呼ばれるアメリカ製のボルトアクションライフルであった。
第一次世界大戦と第二次世界大戦に投入され、これを装備したアメリカ兵たちと共にドイツ軍や日本軍と死闘を繰り広げたライフルである。スナイパーライフルとしても使用されており、さすがに現代のスナイパーライフルと比べると性能は劣ってしまうものの、第二次世界大戦後もスナイパーライフルとして大きな戦果をあげている。
「私が後方から突入して、兄さんと挟み撃ちにする。キャロルは屋根の上に登って支援してくれ」
「はいはーい♪」
ボルトハンドルを引き、弾倉の中に.30-06スプリングフィールド弾を素早く装填していくキャロル。装填を終えた彼女はボルトハンドルを元の位置まで押し戻すと、装填を終えたライフルを背中に背負い、両腕を近くにある建物の壁へと押し付けた。
次の瞬間、真っ白な肌で覆われていた筈のキャロルの腕から、何の前触れもなく黄金の棘のようなものが伸び始めた。やがてその根元の肌も真っ黒なドラゴンの外殻に覆われ始めたかと思うと、指先も人体を容易く切り裂いてしまえるほど鋭い爪へと変質していく。
これが、キメラの外殻である。
キメラは体内に別の魔物の遺伝子も持っており、体内を流れる血液の比率を変えることで、自由自在に身体を外殻で覆う事ができるのだ。
外殻の防御力には個人差があるものの、彼女たちの祖父であるリキヤや父であるタクヤは、戦車砲が放つ徹甲弾を弾き飛ばしたという記録も残っている。
とはいえ、女性のキメラは外殻の生成がそれほど得意ではないため、男性のキメラと比べると防御力が劣ってしまうという弱点がある。
「それじゃ、上は任せてね♪」
「ああ」
ニコニコと笑いながら壁をよじ登っていくキャロル。彼女が屋根の上まですぐに辿り着き、長大なライフルを背負ったまま走り出したのを見たエリカも、ホルスターからコルトM1911A1を引き抜き、目つきを鋭くしながら走り出した。